三百四十八話
「兵藤さん!! なんでなんですか!?」
事務所にしては早い時間、兵藤が現れたのを見計らったように詰め寄る人物がいた。
まだ3年目のマネージャー沢口。その青年は週刊誌を片手に上司でもある兵藤にすごい剣幕で詰め寄っていた。
「なんでって……お前、それが差し替えだってわかってるな?」
「わかってますけど! それでもこれはあんまりですよ!!」
「上がこれで行こうって判断したんだ。それに、本人も了解している」
「それでも! ……っそれでも、彼女はアイドルなんですよ!?」
沢口は兵藤の机に記事を叩きつける。そこに掲載されているのは、高尾花菜の記事だった。
見出しは『あの超人気アイドルグループの元エースの夜の顔が発覚!! 連日飲み歩き泥酔するアイドルとは思えない姿を劇撮!!』と書かれていた。
「しかしな、記事の内容はほぼ真実だぞ?」
「それでもですよ! アイドルを守るのがこの事務所の方針でしょ!?」
初めて自分一人で担当することになった、高尾花菜をどうにか守りたいという気持ちが見て取れる。
だが、それが分かっているからこそ兵藤は呆れるしかなかった。
「これでも守ってるんだよ」
そう言って、兵藤は沢口に何枚かに綴ってある紙を投げてよこした。
それに書かれていたのは、一人で飲み歩いていただけではない。その現場には常に同じ男がいたという記事だった。
しかも、その男の素性も事細かく調べ上げられている。
男のそばには、常にアイドルがいる環境。二人の妹もアイドルとして活動している。
妹の過去の発言から、兄妹たちは血が繋がっていないなどなど。
記事に書かれていたのは、誰でもない。佐川主のことだった。
二人がまるで熱愛関係にあるかのようにほのめかす記事に、沢口の手には力がこもる。
「全然事実と違うじゃないですか!?」
「ああ。だがそう取られても仕方がない頻度と姿だろ?」
「っ! ……そ、それは……」
兵藤の指摘に沢口の勢いがそがれる。
「……四代目先生をかばったんですか?」
どうにか批判を続けようと、沢口は苦しくなるのを理解しながら問いただす。
四代目主水之介。はなみずき25もかすみそう25も初期からお世話になっている作詞家。両グループから引き離すなんてそれこそ、どんな問題を引き起こされるかわからないほどの重要人物。
しかも世間的には、安本源次郎の愛弟子と認知されている。今最も仕事を頼みずらい中堅作詞家にまでなっている。
沢口の目には、そんな作詞家と所属アイドルを天秤にかけたかのように見えてしまう。
「上がそう判断した。安本先生も了承している」
「でも、それじゃ……」
「あのな、四代目先生も協力してこの形なんだ」
「え? それって……」
兵藤は沢口の叩きつけた記事をめくり、あるページを開く。
そこに書いてあるのは、はなみずき25とかすみそう25とは切っても切れない縁を結んでいる作家@滴主水の新連載が始まるという予告記事だった。
「これは……?」
「四代目先生が自分のスケジュールを切って、高尾の記事を変更させたんだよ」
「……マジっすか」
@滴主水の評価は、今や出版社が無視できないほどになっていた。
アニメ化は4本、映画化はアニメを含めると8本。連載は漫画原作含めて月6本。かつての新人は、ただのオッサンと呼ぶには高い評価を得ていた。
そんな作家が、抱える限界を超えて1アイドルの記事を変えることに尽力した。
沢口はそのことに口を噤むしかなかった。
だがわかっていないと、兵藤はため息を落とす。
本来芸能とは畑の違うところからデビューした新人作家。それが佐川主だった。
もちろん、デビュー当時は何の力も持たないどこにでもいるような、新人作家だった。
それがデビュー10年も満たないのに、一出版社と交渉できるまでに力を付けているという事実に対して想像力が足りないと。
しかも部署が違うのに、その影響力が及ぶという事実に対しても。
まるで安本源次郎を彷彿とさせるその交渉術。
兵藤は今思い出しても、身震いしてしまう。
もはや事務所の力だけでは、@滴主水と四代目主水之介と言う作家をけん制できない所まで来ている。
止められるのは安本源次郎という個人的なつながりだけだろう。
今、佐川主という人物とのつながりを断絶させるわけにはいかない。それが上層部の判断だ。
もしかしたら、そう判断せざるを得ないような材料を隠しているのかもしれない。そんなことを想像してしまう兵藤がいた。
「……だから、その記事は相手方の最大限の譲歩なんだ。納得できなくてもいい。ただ黙っておけよ」
「……わかりました」
意気消沈した沢口は、肩を落として自分の席に向かっていった。
それを見て、もう一度ため息を落として沢口の置いて行った記事をもう一度見る。
そこにいるのは、上機嫌の高尾花菜と困ったような表情の佐川主の姿。
まるで無害に思える佐川主の姿をみて、出会った頃のことを思い出す。
さんざん振り回されたこともあった。
その姿は、今もあまり変わりがない。
権力を振りかざそうとなどみじんも感じさせない。人の良いだだのオッサンに見える。
それなのに、何かを隠し持っているような表情を見せるまでに成長している。
あの年齢なのに。
それを触れ合うアイドルには、全く見せない周到性まで身に付けた。
あの頃とは違う危険さを身に付けてしまった。
……もし身に付けなくてはいけなかったのだとしたら、あの作家はいったい何を求めているのだろうか?
兵藤もそれには全く見当がついていないのだった。




