三百四十七話
「美紅さん、本当にきれいですね」
「……うん。……そうだね」
「先生、もう泣いてます?」
「今日くらいは見逃して」
「……わかりました」
埼木美紅の卒業コンサートの関係者席には、矢作智里と主が並んで座っていた。
始まったばかりだというのに、主の目にはもう涙が流れている。
いくら何でも早すぎるだろうと智里が視線を寄越すが、主はしかたがないことだとわかってもらうしかない。それを察したのか、智里もそれ以上は何も言わずステージに視線を固定する。
智里の耳には、軽快な音楽と共にオッサンの鼻をすする音が聞こえている。
その後も主は泣き止む様子を見せず、かすみそう25の初期の楽曲が聞こえるたびに泣き声を上げてしまう。
智里も最初こそ主の嗚咽が邪魔に感じていたが、楽曲が進んでいくと次第に自分の感情も主に同調していくのを感じていた。
かすみそう25の、はなみずき25つぼみの最初から、美紅という存在はメンバーにとって重要なファクターだった。
メンバーと美祢が馴染めない頃、美祢に率先して美紅が突撃し打ち解け、それをまるで生来の性格だからと思わせるように、主をイジリ倒しメンバーと主の壁も取っ払ってくれた。
美紅のふざけた発言とそれに抵抗しない主の対応は、光を求めて入ってきた芸能界の厳しさに打ちのめされかけたメンバーを明るくさせてくれた。
今のかすみそう25のがいるのは、賀來村美祢という存在が大きい。だがそれと同じくらい埼木美紅という存在がなくては語れないほどだ。
ステージを見れば、後輩たちを含めて笑顔でパフォーマンスができているではないか。
それこそが、埼木美紅という偉大な二代目リーダーの功績。
観客が、ファンがいてこそのアイドルなんだと、そう教えてきた美紅の功績なのだ。
だから、本人も最後までそれを全うしようと全力でファンを煽り、会場を盛り上げようと声を枯らしている。
「みーさんにも……見てもらいたかったなぁ」
「たぶん……後で見るんじゃないかな」
「え?」
「今の美祢ちゃんは、人前で泣けないからね」
「そう……ですね」
智里の独り言に、主が答えた。今の賀來村美祢は人前で泣くことが許されていない。
はなみずき25の絶対的エースとして君臨する強い姿が求められているからだ。
例え会場の関係席であっても、誰かの目があるところで彼女は涙を見せることを良しとはしない。
輝く笑顔で、力強く笑っている姿。それこそが、今ファンが見ている美祢の姿なのだから。
それは、主にとっても智里にとっても違和感のある姿。
美祢が涙を流さなくなったのは、何時からだろうと智里は思う。
だが、主には明確に応えることができる。
あの日、主が美祢に「花菜ちゃんを君の所まで送り届ける。だから君は前を向いて走ってて」といった日からだ。
あの日以降、美祢がカメラの前で、いや、誰かの前で泣いている姿を誰も見たことがない。
彼女が最も大切にしている言葉『笑顔は魔法』を体現するかのように、彼女はどんな場面でも笑顔を絶やさない。
その笑顔にメンバー、特に三期生達は力をもらっているようだ。
三期生たちも少なくともカメラの前では、その涙を見せないようになってきた。
年齢的な成長もあるかもしれない。だが誰よりも輝いている美祢を手本としているのも確かだ。
それを見てしまうと、智里はもちろん、主も何も言えないでいる。
二代目リーダーの香山恵には、それとなく話しているが彼女も美祢には何も言えないでいる。
それとなく二人の時間を作っては何か話しているようだが、彼女の口からも美祢が泣いたと聞くことは無い。
「それにしても、先生は泣き過ぎですよ」
呆れたように、智里が主にティッシュを渡す。それをもらいながら、涙を恥じるつもりはないと主は言い切る。
「涙も大切なんだよ。……笑顔と同じくらいにね」
「そう……ですよね。そうなんですよね」
智里にも主の言葉はわかっている。誰かの笑顔に助けられてきたように、自分の涙に助けられたことは確かにある。そしてその涙を拭ってくれる誰かにも。
智里と主はお互いの顔を見る。
その役目はあなたの仕事では? そう言うように。
同じ顔をしていた主の顔を見て、智里がまた呆れた表情を見せる。
あなたはその役目を他人に譲っていいんですか? 美祢さんの涙なんですよ? というような目を向ける。
「あ、『飛び立つ前は』だ」
バツの悪い主は、流れてきた音楽に過剰に反応して見せる。
かすみそう25の一期生曲『飛び立つ前は心惹かれてしまうけど』。かすみそう25を離れる美祢と智里を送り出した楽曲だ。
そんなあからさまな話題の転換に、智里はさらに厳しい視線を主に向けた後、ステージに視線を戻す。
ステージ上では、先ほどまで笑顔でパフォーマンスしていた美紅が、きれいなドレスを身にまといながら涙を流している。
まるで結婚式で父親に手紙を読む花嫁のような光景。
それを見ているファンも、盛り上がっていたさっきまでとは違い涙を隠さず泣いている。
「本当に……綺麗ですね」
「うん……そうだね」
二人の視線も美紅に注がれていた。




