三百四十六話
「佐藤さん、只今戻りました」
「あ、先生。おかえりなさい。どうでした? 岐阜は?」
「とりあえず、移動がしんどいです。もう年ですかね?」
「まあ、年は歳なんでしょうけど。そうじゃなくって、仕事のほうは?」
「ああ! ……そっちもしんどいです。やり手プロデューサーにやり手マネージャー……要求水準が安本先生並みでした」
岐阜から戻った主は、社長の佐藤に愚痴をこぼしていた。だが、その顔はどことなく楽し気だった。
「良い仕事になりそうですね」
「まあ、楽しいですよ。あの頃を思い出します」
主の言葉に佐藤は、何かを思い出す。自分は部分しか見てはいなかったが、確かにあの頃は面白かったと当時を思い出す。
二人が思い出したのは、現在かすみそう25として活躍しているグループの結成当時のことだ。
その頃、そのグループは『はなみずき25 つぼみ』と呼ばれていた。
まだ誰も何者でもなかった当時、合宿所でともに先の見えない現状にもがいていた。
そんな彼女たちと重なる光景が見れたと、主は懐かしさと寂しさを感じていた。
「埼木さん、卒業ですってね」
「ええ。……時間が過ぎるのは早いですね」
主も美紅の卒業については聞かされていた。外に漏らさないようにと厳命されていた。
しかし、それも解禁されて世間に知れ渡るとようやく寂しさを思い出すのだ。
43歳となって主は出会いと別れに、特別な感情を抱くようになっていた。
それは若い頃とは少し違う。もしかしたら、もう二度と会うことは無いのではないかと、そんな心配が頭によぎるのだ。
「まったく! 感傷に浸るのも大切ですねどね!? お仕事はまだまだあるんですから、キリキリ働いて下さい!」
感傷的になっている主に檄が飛ぶ。敏腕マネジャーには、それ以上に大切なものがある。
「佐藤さん、もうちょっと浸らせて下さいよ」
「そんなこと言って、この前も締め切り破ったじゃないですか!」
そう、このところ主は締めきりをオーバーすることが増えている。だからといって仕事から逃げているわけではないのだ。
「本職では締め切り守ってるじゃないですか」
「先生。本職って言いますけどもう売り上げ的には……」
主の言い分は理解できるが、社長としての佐藤は苦笑いを浮かべるしかない。
「だって、それだって彼女たちあってのことじゃないですか。気分が違いますよ」
「まあ、そうでしょうけど……」
「どっちが本職でも構いませんけど! 私たち夫婦の生活のためにもお仕事! ……お願いします」
旧姓松田、今はマネジメント会社『NextOne』のマネージャーにして元々現場での最高権力者の圧は結婚後からその勢いを増している。
◇ ◇ ◇
「先生。久しぶりの現場ですけど、無理はしないでくださいね」
「佐藤さんも心配性ですね。大丈夫ですって!」
「そう言って、ねん挫したのが二カ月前でしたね」
多忙な主が、はなみずき25の冠番組に登場するのは実に二カ月の間が空いてしまっている。
前回の収録の際、怪我をした主。
怪我自体は軽傷だったが、スケジュールの都合で収録現場からは遠ざかってしまっていた。
ファンの中には、アットくんが登場しないのは怪我が長引いているんじゃないかと心配する声がある。
はなみずき25のファンには、関係者が怪我をすると異常なまでに心配する習性が身についてしまった。
それもこれも、かつて絶対エースと呼ばれた高尾花菜が3年ほど活動休止する事態に陥ったからだ。
そのことはある種のトラウマとなり、例え怪我ではなくとも少しの疲労で活動を制限する発表がはなみずき25の運営から出るだけで、ファンは運営に疑念を抱いてしまうほど。
それほど過剰にファンが反応してしまうのも仕方がない。高尾花菜は復帰してからもグループとは離れた活動が目立つためだ。
冠番組に登場する回数も極端に少なくなり、たまに登場するとレア回だと言われてしまうほどに花菜は、未だに活動に制限がされているように見えるのだ。
まるで運営側が意図的に外しているかのように。
しかしファンには、そう見えていなかった。
ファンは花菜の積極性が極端に枯れてしまっていると結論付けた。
デビュー当時の積極性は影を潜め、雑誌のモデル活動やグラビアなどの単独活動。
グループでの活動だけ、花菜はその姿を見せない。
花菜自身が何かと理由を付けてグループの活動から逃げているようにファンには映るのだ。
活動10周年を目の前に、はなみずき25はもはや高尾花菜率いるアイドルグループではなくなっていた。
今のはなみずき25の顔は、賀來村美祢と世間が認知している。
アイドルグループといえば、はなみずき25と言われる時代にグループのかつてのエースは所属していても過去の人になりつつあった。
美祢と智里、そして三期生という活躍の陰に追いやられていたのだ。
関係者もファンも、誰もが高尾花菜の卒業や引退をいつになるのかを予想してしまう現状。
そんな現状を良しとしない二人。
賀來村美祢と佐川主。
美祢は自身の夢のために。主は美祢の夢のために。
二人はこの5年間、花菜の『復活』のためにお互い通じ合った想いを口にしないまま過ごしてきた。
未だその『復活』は遠いところにあるように見えた。




