三百四十五話
「やっぱり、『花散る頃』ってかっこいいですよね」
収録の終わった楽屋で、唐突に星が言葉を発した。
先程収録した映像を確認しながら志藤星は、うっとりとした表情を浮かべている。
となりにセンターを踊っている美祢がいるというのに、憚る様子もない。
まるで仲のいい姉におねだりするような表情にも見える。
「そう?」
メイクを落としている美祢はそんな表情など気にしないように、そっけない返事を返す。
「いいなぁ。踊ってみたい」
「じゃあ、今度のライブでセンターに志願してみれば?」
意を決した星のおねだりに、美祢は軽い調子で答えてしまう。
それを盗み聞きしていた周りのメンバーは、様々な表情を浮かべていた。
驚きを隠せない者、怒りで前のめりになる者、呆れた表情を浮かべる者。そして触らぬ神に祟りなしと、席を立つ者。
「良いんですか!?」
憧れの曲で、憧れの美祢のとなりに立てる。
それを許してもらえた星は、少し興奮気味に美祢に喰いつく。
「うん、あの曲は踊れるメンバーが踊ることになってるし。良いんじゃない?」
前任の振付師との口約束だが、それは未だに効力を失ってはいない。
それは、在籍メンバーに対する旧振付師からの大きな宿題なのだが、その意味を美祢たち一期生、二期生はあえて口にはしない。
だから、美祢を揺さぶる様におねだりをしている星を智里以外の先輩メンバーは冷ややかな表情のまま。
「でも……誰に言えば……」
「しょうがないなぁ。私が言ってあげるって」
またしても、美祢は星に対して軽い調子のまま対応し始める。
後輩から見れば、星への依怙贔屓。だが、先輩メンバーにとってはこれ以上ないヒドイ回答だった。
「ちょっと! みーさん!!!」
当然の様に、智里が怒りだす。
現在『花散る頃』で美祢のとなりを踊っている唯一のメンバー。
多くのファンは美祢と智里のWセンターだと勘違いしているが、後輩メンバーも似たような勘違いしている。
センターを取られたくない智里先輩が、出しゃばった星に対して怒っていると。
だが、あくまで智里は『花散る頃』ではフロントメンバーでしかない。
なぜなら、智里は未だにセンターの振り付けを踊ることができないでいた。
だから、智里は美祢に対して怒っているのだ。
三期生には無理だと。
三期生を潰すつもりかと。
しかし、そんな智里を美祢は軽くあしらうようになだめる。
理由は知っているだろと。
「智里、大丈夫だって」
「大丈夫なわけないじゃないですか!」
三期生は、確かに実力は高い。
なのに、負傷者を出した難曲に挑戦させる意味が、智里には理解できない。
あの絶対的エースだった、高尾花菜でさえ踊り切れなかった曲なのに!
それに万が一、あの難所のターンが出来てしまったら、それこそ問題だと智里は感情を美祢へとぶつける。
「星? 大丈夫だよね?」
美祢の表情は、一切変らない。
未だに軽く聞こえる口調のまま、志藤星という少女を試すようなことを言い続ける。
「はい! がんばります!!」
憧れた先輩のとなりに行ける喜びで、星の顔は破顔している。
それも美祢の推薦で、となりに行けるなんて。
どんなことでもしよう! いや、どんなことでも耐えられる。
そんな希望に満ちた星に、美祢は非情な言葉を付け加える。
「うん、いっぱい頑張ってね? 私は『花散る頃』だけは一切手を抜かないで踊るって決めてるから」
「え?」
一瞬、星の時間が止まる。
表情が凍り付いてしまう。
手を抜かない。
それはパフォーマンスをするうえで、当たり前の心構えだ。
しかし、美祢の場合はそれだけの意味ではない。
「全力の私のとなりで踊れるなら、センターに来ていいよ」
明るく優しい表情のまま、美祢は星に告げる。
ソロ曲以外で美祢が全力を出す曲なんて聞いたことが無い。
あの逃れることのできない引力のような魅力を、そのままパフォーマンスに載せた美祢を星はまだ知らない。
いや、正確にはステージ上のとなりにいる美祢を知らない。
後ろからは、いつも見ている。
あの目を逸らすことのできない美祢のとなりで、パフォーマンスをしろというのか?
「え……あ、あの……」
星はさっきまでの美祢と雰囲気がガラリと変わったことに気が付いた。
いつもの、姉の様にふるまってくれていた美祢ではない。
優しい先輩の顔をしていない美祢を初めて星は目にした。
星だけではない。
三期生は、初めて美祢のこんな顔を見たのだ。
まるで、誰も踏み込んでくるなと言っているかのようだった。
「Wセンターの曲で、なんで智里がフロントなのか知ってた?」
「そ、それは……?」
「智里でもこの曲のセンターには足りないの。誰もとなりで踊ってくれないんだぁ」
星が智里の顔を見ると、智里は沈痛な面持ちで顔を伏せてしまう。
自分が不甲斐ないばかりに、後輩をこんな状況に追い込んでしまったと。
そう責めているのが誰の目にも明らかだった。
「そ、それって……」
矢作智里というメンバーが、どれほど努力に努力を重ねているかを後輩はおろか全メンバーは知っている。
可能な限りレッスンを詰め込み、プライベートな時間などほぼないに等しい。
ダンススキルもグループで常に二番手争いをして、パフォーマンスもほぼ完ぺきにこなしている。
そんな智里でも、美祢は足りないという。
美祢にとって、『花散る頃』という楽曲がどれほど思い入れのある曲なのかを思い知らされる。
「うん、私のとなりに来るならそれなりの覚悟してね?」
美祢は笑って言い放つ。
いつもの優しい笑みのまま。
その言葉に、後輩が委縮するほどの圧力を込めて。
「みーさん!!!」
「もう、怒んないでよ。それとも智里がセンターする?」
誰でもいいから、センター踊ってみせてと言っているかのようだ。
しかし、美祢は誰も踊れないとさえ思っている。
ただ一人を除いて。
「怒りますよ!」
智里は泣きそうになりながら、美祢を叱りつける。
後輩への暴挙に対してだけではない。
美祢の真意を知っているからこそ、こんなやり取りを見せてくれるなと。
まるで八つ当たりのような、美祢の怒りを、どうか後輩にぶつけないでくれと。
自分が不甲斐ないせいなんだから。
優しい先輩でいてくれと。
「はいはい。そう言うことだからゴメンね? 星。センターはもう決まってるんだ」
「は、はい」
そう、美祢の中では決まっている。
Wセンターを踊るのは、高尾花菜しかいないんだと。
先輩メンバーは苦痛に満ちた表情で、全員が席を立つ。
美祢の願いは、叶うはずのない願い。
美祢以外はそれを理解している。
高尾花菜は、……あの時終わってしまったのだから。




