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三百三十九話

「先生? ……私は成長したように見えますか?」

 一瞬訪れた間。

 それが美祢にこの質問をさせてしまう。

 あの時、出会ったばかりの泣き顔の頃と比べて、自分はどう変わったのか?

 本当に主の言う通り、笑顔の似合うアイドルになったのだろうか?

 美祢の中で、あのドッキリの場面は忘れられない。

 主との出会いの場面だと、思い込んでしまうほどの衝撃がったから。

 

 だが主にとってはそうではない。

 主と美祢の出会いは、その前。

 作家デビューを果たして、最初の単行本を手渡した喫茶店だ。

 あの時見た美祢の笑顔。あの衝撃が心の中にいつまでもいるのだ。

「もちろん」

 アイドルとしての活躍を見れば、主から見ても成長著しい。

 仲間を引っ張り、後輩を支え、悲しい別れも笑顔を絶やさない。

 そんなアイドルらしいアイドルにファンは見えているだろうことを、主は知っている。

 主にとっては笑顔と泣き顔のギャップに、何度心をかき乱されてきたかわからない。

「私……笑顔……出来てますか?」

 だが美祢にとっては、そうではない。

 どうしても、自分の涙の多さに自信が持てなくなってしまう。

 花菜のようなアイドルにはなれない自分。求められているアイドルになれているのかという疑問が、いつまでもぬぐえない。


「美祢ちゃんの笑顔は、出会った頃と変らないよ」

「え?」

「今まで……見たことないぐらい……可愛かったよ」

 年甲斐もなく顔を紅くしてしまう主。

 思い描いていた大人には、なれなかった。こんな言葉を相手の目を見て言えるぐらい感情を制御できていると錯覚していた。

 でも、出来はしない。

 思ったことを口にしてしまった、自分の口を投げ捨てたいぐらい後悔もしている。

 しかし、本心か問い詰められれば間違いなく本心だと言えるぐらい自分の言葉が正しいと思っているのも間違いはない。

 美祢は主のやさしさだと、自分を慰める言葉だと受け取ってしまう。

「先生は、……本当に優しいですよね……」

 そんな優しさは欲しくはなかったのに……。

 好きになった男性に、慰められるのがこんなにも惨めなのかと思い知る。

 美祢の暗くなった表情を見て、行き違いがあるのを察した主が強く否定する。

「そうじゃない! 本当に可愛いって思ってるよ!!」

「もういいですから! もう……わかりましたから」

「違うって! あの喫茶店で見た時から、君の笑顔は特別だったんだ!!!」

「……喫茶店……?」

 涙をためた美祢が顔を上げる。

 いったいいつの話をしているのか? 美祢は主との思い出を慎重に掘り起こす。


 そしてようやく思い出した。

 初めて出会ったのが、ライブ会場ではなかったことを。

「っあ!」

「思い出した?」

「は、はい……」

 思い違いをしていた美祢は、今度は顔を紅くしてしまう。

 あの時、単行本を手渡されたとき。確かに推しの作家の初めての単行本を手に嬉しくて。

 なら、主の言う自分の笑顔は本当なのだ。

 特別という言葉も、あの『笑顔は魔法』だと教えてもらった時の特別も本心だった?

 そう意識してしまうと、さっきまでの涙はもう乾いてしまう。

 そして別の感情が刺激されるのだ。

 今まで、懸命に蓋をしてきた美祢の本心。

 主が、佐川主が好きだという気持ちが注がれた器に、主の言葉が一滴、一滴と注がれていく。

 そしてそれは、表面張力をあっさりと超えてしまう。


「先生……」

「ん?」

「私は、先生のことが……っ、……好きです」

 言ってはいけない。言うべき言葉でない言葉は、美祢の意思を振り切って零れていく。

 もう誰にも止めることはできない。

「大好きなんです! 私を、誰にも見つけてもらえなかった私を見つけてくれた、先生が! アイドルになり切れなかった私を支えてくれた先生のことが! っ……好き……なんです」

 感情とは波のようと表現される。

 確かに波だった。理性を振り切ったはずの言葉を言い終えようとした途端、今までの関係性が壊れるかもしれないと、血の気は引く。

 もし、これが主との最後の会話になってしまうかも。そんな弱気が顔を見せる。

 主の顔を見るのが、急に怖くなる。

 大人になったと褒めてもらったのに、こんな感情任せの告白をしてしまった。


 血の気が引いてるはずの顔は、どこまでも熱く。緊張しているはずの足は、力が入らないほど震えている。

 主の表情を確認したいと顔を上げたはずなのに、視線は地面を捕らえている。

 全部がちぐはぐだ。

 どうしたいのかさえ、美祢自身にもわからない。


「……美祢ちゃん」

「は、はい!!」

 主に呼ばれて、声が上ずる。

 いったい今まで、どんな返事をしていたのかも美祢にはわかっていない。

 主の言葉を待つ時間は、あまりにも長く感じる。

 美祢は、視線をゆっくりと上げていく。

 美祢と主の視線が交わるその瞬間。

 美祢のケイタイが鳴る。

 いつもなら気が付かないこともあるその音は、異常にけたたましく聞こえる。


「出ていいよ」

「で、でも……」

「返事は……ちゃんとしたいから」

 主の言葉にうなずいて、控えめに応答をはじめる美祢。

「はい……賀來村です」

 主の耳にも聞こえるほど、電話口の向こうは慌てている。

「えっ!?」

 美祢は先程とは違い、目を見開いている。

 それが異常事態が起きたことを教えていた。


 ケイタイを地面に落し、美祢が膝をつく。

 糸を切られた人形のように、一切の力が抜けてしまう。

「美祢ちゃん!!」

 駆け寄る主に、かろうじて反応を見せる美祢。

「先生……先生っ!」

 美祢が涙を流して、主に縋りつく。

「美祢ちゃん!」

 涙にぬれた声で、美祢が言う。

「花菜が……花菜がっ!」

「花菜ちゃんが!?」

 美祢の絶望に染まった声が、ようやく主にも届いた。


「……病院に……運ばれたって……っ!!」

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