三百三十七話
はなみずき25の新曲が初披露されたのは、冠番組「はなみずきの木の下で」内のコーナー終わり。
番組の最後にスタジオ収録されたパフォーマンスが初めて地上波に乗る。
はなみずき25の冠番組放映中なのだから、掲示板のはなみずき25のスレッドもSNSも番組実況という形で大きく動いている時間帯。
はなみずき25を応援しているファンが、一番活発な時間帯だ。
そんな中、新曲の初披露ともなればスレッドは瞬く間に埋め尽くされ新しいスレッドになり、SNSもファンの界隈は活発にコメントを投稿していた。
新曲の「雪の積もる傘の下で」は、その淡いコンセプトとともに前列の3名が印象的に映り込む演出がされていた。
心配されていた西村菜月の表情も良く、その精神状態が落ち着いていることがファンにも読み取れる。
あの頃の菜月はいないんだと、ホッと胸をなでおろしていた。
それもそのはず、センターの美祢が振り付けの合間に、盛んに菜月への視線を投げている。
それを受けて菜月も笑みを返すなど、まるで楽屋でのじゃれつきのような二人のパフォーマンスがあったおかげだろう。
それでいて、美祢はセンターとして楽曲のイメージを損なわないように締める所は締めるダンスをカメラに魅せている。
もちろん、花菜にも同じようにまるで恋人に投げるような視線を送っている姿も見られる。
しかし、花菜の表情は固いままだ。
ダンスに集中するあまり、曲の表現まで意識できていない。
振りが遅れるようなことは無いにしても、5年目のアイドルのパフォーマンスなのかと疑問が出てくる。
だが、ファンは花菜が最後までパフォーマンス出来たことを喜んでいた。
確かに美祢や菜月に比べれば、幾分か質という点で劣っているかもしれない。
それでもあの怪我以降、前列でまともに最後まで全うできた初めての姿。
それが見れたことだけで、ファンは安心を感じていたのだ。
そのファンの「花菜も頑張ってた! 安心したよ」や「全盛期には遠いけど、やっと花菜様のパフォーマンスが見れて幸せだった」といった言葉。
運営的には何とも嬉しい評価。手放しで今回のフォーメーションが成功だと喜んでしまうほど、ファンの評判は悪くはなかった。
花菜本人が、それに納得できていないと知らないまま。
デビュー当時から、花菜はエゴサーチなどしたことがなかった。
だが、新曲のパフォーマンスに対する評価が気になり、初めてそれを行ってしまったのだ。
自分としても怪我以降、最後までやりきれたパフォーマンス。
納得できない面もなくは無いが、それでも少しの自信になったパフォーマンスだった。
それを喜んでくれているファンの言葉を見たいという衝動が抑えられなかった。
そして見つけた言葉たち。
知ってしまったのだ。
収録であっても、失敗するかもしれないと思われていたことを。
自分への好意から来る心配だとしても、そこまで思われていたという事実がショックだった。
「……嘘でしょ」
暗い自室で、思わずこぼれてしまった言葉。
自分は本当に、アイドルの高尾花菜なのかと思ってしまうぐらいにショックを受けていた。
望まれたほどのパフォーマンスではなかった。
それが読み取れてしまい、花菜の目には涙が浮かぶ。
初めてのステージ。
あの時は不安もあったが、絶対にアイドルとして成功するという自信も大きかった。
そして披露した初めてのパフォーマンスは、今よりも小さいライブ会場で、今のアリーナ席ほどの観客しかいなかったが、それでも会場が湧き熱狂に近い盛り上がりで終えることができた。
そこから何十回とライブを行い、手応えのないパフォーマンスなど数回しかない。
それでも手ごたえのあったパフォーマンスで、観客が湧かないなんてことは無かった。
今回のスタジオ収録でも、花菜は十分な手ごたえを感じていたのだ。
ようやく怪我をする前の自分に戻れたのだと。
だが、それは花菜の中にしかなかった幻想だった。
それどころか、まともにパフォーマンスができないと思われていたのだ。
高校を辞めてまで、すべてを捧げてまでアイドルであろうとしたのに。
全部、自分の思い違いだった。
手にしていたケイタイを壁に投げつける。
ガスンと鈍い音が、部屋に響く。
ケイタイの当たった壁を睨みながら、花菜は泣いていた。
悔し涙を全部この部屋に置いていくように。
翌日から、花菜はダンスのレッスンに励んでいた。
かつての自分を取り戻そうとするかのように、ただひたすらに。
まるで憑りつかれたように、ただ一人で。
膝に走る痛みと戦いながら。
無理をしないと、あの頃には戻れないんだと自分に言い聞かせて。
その表情が、「花散る頃」の振り入れをしている時と同じ表情をしていることにも気が付かないで。
そして花菜の身体は、心よりも先に悲鳴を上げる。




