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三百三十三話

「さて、花菜ちゃんはどこにいるかな?」

 何とか走り始めた美祢を見送り、主はさっき美祢と約束した通り花菜の姿を探し始めた。

 そして花菜を見つけたのは、美祢の予想通りダンススタジオだった。

 肩で息をして、俯きながら何やらぶつぶつとささやいている。

 その背中は、出会った頃の美祢に似ている。

 だがその背中から発せられる空気は、美祢のモノとは似ても似つかない。

 スタジオの入り口で、まだ声もかけていないというのに花菜の空気のせいで息苦しい。

 自分が声をかけるのなんて、彼女は望んでいないだろう。

 だがそんな不安で踵を返すわけにはいかない。

「花菜ちゃん」

「……なんだ、先生」

 主の声に振り向いた花菜の目は暗く沈んでいるように見える。

 だからと言って生気を感じないかといえば、そうではない。

 今まさに研ぎはじめられた刀のような、秘めたものを感じさせる目だ。


「どうしたの? 安本先生ならここにはいないよ」

 まるで早く立ち去ってくれと言わんばかりに突き放した花菜の言葉。

 それを無視して踏み出そうとする主を睨みつける。

 踏み込んでくるな。

 そう言っているかのような目だ。

「話聞いたよ」

「ってことは、美祢も知ってるんだ。……ま、当然か」

 主が何を聞いたのか理解したうえで、どうでもいいと言った態度。

 何より美祢から聞いたとわかったというのに、その顔には少しの動揺もない。

 最初からわかっていたかのような、そんな冷めた空気が発せられる。

「わけ……聞いてもいい?」

「そんなの、……思い付きよ」

「嘘だよね」

「先生に何がわかるの?」

「何となく、わかった」

「……そう」

 否定をしない花菜は、そのまま背を向けて鏡を見始める。

 主の存在を追い出すように、口ずさんだメロディ―が漏れている。


「後悔しないの?」

「……」

「……」

 花菜の口から流れていたメロディーが止まる。

 鏡越しに睨む花菜の目は、雄弁に語っている。

 後悔しないわけが無いと。

 それでも自分の決断が、間違っているとは言わせないと抵抗しているのだ。

「寝れるようになった?」

「普通かな?」

「抵抗あるかもしれないけど、キツイい時は薬使ってもいいともうよ?」

 いつかの話題を蒸し返す主。

 そんな主に苦い表情を花菜は向ける。

「先生にわかるの?」

「まあね。特に今の季節は夜が長いから」

 看護師時代に生死観と倫理観の狭間にいた頃を思い出す。

 何日も寝れないまま、昼となく夜となく働いていたあの頃。

 職務の緊張感で、何とか保っていた糸が切れたあの無力感。

 あの永遠に感じた1分間。

 思い出したくもない過去だが、今の花菜に言葉を届けるには必要なのかもしれない。

 今の花菜から感じるのは、あの頃の自分によく似た空気。

 考えたくもないことをひたすら考えてしまう、そんな不健康さが表情から滲んでいる。


「……私はね、美祢に勝ちたいの。何か一つでもいいから」

 粘る主にあきらめたように、花菜は自分の中にある泥を吐きだし始める。

「小さい頃から、私は何一つ美祢に勝てなかった。勉強も運動も、友達だって……美祢がいたから」

 花菜は唇をかむ。

 次第に重くなっていく唇を震わせながら、それでも主に声を届ける。

「スカウトされたとき、嬉しかった。美祢じゃなく私をスカウトしてくれたんだから。……確かに美祢がいない不安はあったけど、それでも自分達の夢だったアイドルになれるって思ったら、不安でもやって見たかった」

 花菜は緊張しながら、それでも時折一瞬だけ笑顔になりながら自分の半生を語っている。

「でも、やっぱり美祢は……あの娘はアイドルになった。オーディションを勝ち抜いて。どう表現したら正しいのかな? 嬉しくって悔しくって……また負けるかもしれないって怖くって」

 震える手を見た花菜の表情はそれでも柔らかくなっていく。

 アイドルデビュー当初、誰よりも信頼し誰よりも意識していた。

 メンバーが侮る人気最下位の美祢が、どこまでも恐ろしく頼もしかった。

「立木さんに言われたの。『あいつの背中をいつまでも頼れるわけじゃない』って、何言っているのかわかんなかったけど。……確かにそうだったかも。苦手だったラジオも美祢と一緒なら、マイクを意識しないで喋れてた。……それこそ、何にも考えないで」

 花菜は主を見て笑う。

 自分の失言を拾った美祢がいたから、こうして探していた初恋の人に出会うことができた。

 美祢と一緒にいたブースは、何でも大丈夫だと思えるほど全能感にあふれていた。


「だからこそ、美祢には勝ちたい! アイドルでは負けないって自信が欲しい!!」

 表情を一変させた花菜は吼える。

「他に何もいらない! 美祢にも負けないって! それだけでいいの!!」

「……」

 花菜の慟哭を聞いて、主は黙るしかなかった。

 自分で聞いておいて、かける言葉が見つからない。

 花菜のとなりに立ちたいと、だがそれは正しいのかと泣いていた美祢。

 美祢がとなりにいる安心感が、自分を傷つけ涙する花菜。

 歪ながらも支え合っていたのだろう。

 だが、花菜が怪我をした事でその関係性が崩れてしまった。

 いや、もしかしたらその前から崩れ始まっていたのかもしれない。

 

 主の見てきた二人。

 先を行く彼女に追い付きたいと願う姿がそこにはあった。

 だがどちらが先を行っているのか。

 今はもう、主にはわからない。

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