三百三十二話
年末からはなみずき25との接触を禁止された主。
かすみそう25のメンバーに心配されるほど、その姿に覇気がない。
肩を落とし背中を丸めたまま、エレベーターに乗り込む。
手にしているのは、かすみそう25のアルバム収録曲の候補たち。
6曲というはなみずき25のアルバム制作時期に比べれば、断然余裕のある仕事量にもかかわらず、主が持っているのは第4稿。
あの美祢と花菜の二人のために描いた歌詞以来、スランプ気味の主はまた手応えのない歌詞を手に安本を重い足取りで訪れた。
エレベーターから降りた主。扉が開いたすぐそこに人影を見つけて、思わずのけぞってしまう。
人がいるとは思っていなかった主のせいではあるが、降りる動線を妨害している人物のせいでもある。
主はそんなことでは怒ることも無いが、その人物への不信感は頭をもたげてしまう。
いったい誰だ?
主からしても低い位置にある頭部。髪の長さから女性であることは瞬時に察知できた。
そしてその姿に懐かしさを感じてしまう。
そんなに長い間離れていたわけでもないのに。
知らず、主はその人物との距離を近くなっていたらしい。
「っ! ……美祢ちゃん」
「……先生」
主の声で顔を上げた美祢。その表情は今まで見てきた泣き顔よりも深刻な顔をしている。
まだ流れてもいない涙が主には見えるほど。
「ひ、久しぶり」
何と声をかければいいのか迷い、主は一番無難な言葉を選ぶ。
その声に、美祢の眼から本物の涙が流れ始める。
「せ、先生……っ!」
美祢はその涙を隠そうとしたのか、それとももう自分一人では立っていられなかったのか?
美祢の頭部は主の胸の中に納まる。
「わっ! ちょ、ちょっと」
突然のことに慌てて周りを確認してしまう主。そう、ここは安本源次郎のお膝元。
所属アイドルに何かあれば、主程度はどのようにも処分できる。
そんな自己保身が頭によぎった主が、美祢の肩を抱いて自分から離そうとした瞬間。
胸の中の美祢が大きくなってしまう声をどうにか押し殺そうと、主の背中を強く引き付ける。
「っっっっっっ!!!」
美祢の声が主の胸から漏れ出ている。
今まで聞いたことのないような、助けを求めるような泣き声。
主の視界に入ってきた兵藤が、頷いて背を向ける。
主はその背中に頷き返し、感情を放出している美祢の顔を覗き込む。
「み、美祢ちゃん、こっち行こうか」
「っっっ! は、はい」
せめて人の目の少ないところへと誘導する主に、素直について行く美祢。
先ほどの主のように、その歩く姿にアイドルとしての覇気は感じられない。
そこにいたのは、ただの18歳の少女だった。
◇ ◇ ◇
「えっ!? 花菜ちゃんが学校辞めた??? 学校って高校を?」
泣きながら美祢が語った言葉は、最初は主には理解できない言葉だった。
だが、時間が経てば意味も理解できる。
美祢に黙って、花菜が高校を辞める。
確かに美祢がアイドルを忘れて、泣きじゃくるわけだと。
「……はい」
美祢の泣いている理由を理解すると、今度は問題の花菜の行動に疑問が湧いて来る。
「え、だって……あと二カ月じゃ……?」
「はい」
そう、あと二カ月。
3月初めの卒業予定なので、実質1か月程度しかない。
そんな時期に自主退学なんて。
美祢にも主にも、花菜の真意が理解できない。
「なんで?」
「私には教えないようにって」
主は美祢ならば聞いていると思い込んでいた。
しかし、花菜にとっては美祢だからこそ教えられないのだ。
そのことをわかっていない二人は、花菜の行動がことさら異常に感じてしまう。
美祢にも話せない理由。
そう聞いて、主は自分の無力さを痛感する。
もっと積極性をもって関わっておけば。
もしかしたら、美祢を慰める言葉を用意できていたかもしれないのに。
いや、その前にこうして美祢が泣くような状況を回避できたかもしれない。
「そんな……」
力なく項垂れる主を見て、再び動揺が美祢を襲う。
「どうしよう、先生? もう花菜は私のこと友達じゃないって……」
「そんな訳ない! そんなこと絶対にないよ!」
知らない間に花菜に嫌われることをしてしまったのか? 自分という存在が邪魔になったのだろうか?
また美祢の眼に涙が浮かんでくる。
そんな美祢の考えを否定するように、主は揺れる自分の心を抑え込んで美祢に強く言い聞かせる。
「だって……」
主の言葉は美祢には届かない。
弱気な主の心は言葉に乗ってしまうから。
それじゃダメだと、主は腹に力を込めて美祢に言葉を届ける。
「わかった。花菜ちゃんには僕が聞くから」
「え?」
自分に言わないことを主に言うだろうか?
そんな不安を美祢の表情が語っている。
「美祢ちゃんはもうすぐ入り時間でしょ? 早く行かなきゃ」
「……でも」
主が必死に笑顔を作ているのが分かる。
自分を安心させようと、虚勢を張っているのが。
「今はこんなことしかできないけど、約束は守るよ」
「……先生」
だが、美祢はそんな主を頼ってしまう。
この世に今の自分ほど無力なものはいないだろう。そう思ってしまっているから。
「……お願いします」
「うん! だから、美祢ちゃんは笑顔でいて」
優しく笑顔を向ける主に、美祢は必死に作った笑顔を見せる。
もう少女の時間は終わり。ここからはアイドルの時間なのだから。




