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三百二十八話

 安本に添削された歌詞を睨みながら歩いていると、主は久しぶりの少女を見つける。

「あ、美祢ちゃん」

「先生……安本先生のところですか?」

 いつかの時の様に走ってくるわけでも、走り去っていくわけでもない。

 落ち着いた対応。

 年相応に美祢が振舞おうとする姿は、主には好意的に見える。

 それと同時に、あの揺れる振り子のような感情が懐かしくもあるのだが。

 そんなことを想っているのを悟られないように、主は努めて普段通りに振舞おうとする。

「うん、また添削にね」

「……」

 主の軽口に、反応が返ってこない。

 沈んだような表情の美祢を見て、主は何故か安心感を覚える。

「どうかした?」

 主の問いかけに、美祢はパッと顔を上げて違う話題を望む。

「いいえ、なんでも。……三期生のみんなはどうですか?」

 少しだけ陰の残る笑顔を見せる美祢に、主は心配する。

 何かを抱えているのではないか? また何かに悩んでいるのではないか? と。

 美祢は確かに悩んでいた。

 夢乃に吐きだして、一度は落ち着いたかのように見えた悩み。

 自分の夢のせいで、誰かが不幸になるのではないかという恐怖。

 それが新しく入ってきた三期生にまで及ぶのではないかと。

 確かに夢乃は否定してくれた。

 しかし、それが後輩で現実になってしまうのではないかという恐怖が美祢の中には残っていた。


 自分に言ってこない悩みを抱える美祢に心配そうな視線を送りながらも、主の声色は努めて明るい。

「早く美祢ちゃんに会いたいって言ってる娘がいるよ」

「わ、私にですか!?」

 突然の報告に、美祢は驚く。

 まさか自分に会いたいなんて願う後輩がいるとは思ってない。

 もしかして気を遣わせたのかと、ようやく美祢は主を見る。

 そんな美祢の視線を受けて、主はそんなことは無いよとほほ笑む。

「うん! 推しメンなんだってさ」

「……なんか、うれしいような恥ずかしいような。複雑ですね」

 主の笑顔から視線を外して、美祢は下を向く。

 一見すると照れているようにも見える。

 だが、美祢の仕草は照れているわけではない。

 何かを思い悩む表情が透けている。

 急に美祢の存在感が薄れたように感じる。

 人生の大半で自分を責めていた主にはわかった。

 彼女も自分と同じように、何かのせいで自分を責めているのだと。


 そんな必要無いのに。

 そんなことを考えなくてもいいのに。

 主は美祢に大声で言い聞かせてやりたかった。

 君はそんなことしなくていいんだと。

 だが、それはできない。

 自分がそれをしてきたのに、他者にこれは間違っていると言えるわけが無い。

 もどかしさで、主の目は濡れている。

 こぼれそうになるものをなんとか押し留めて、主は明るく言う。

「そう? でも智里ちゃんが言ってた通りになったじゃない」

「智里が?」

「うん。はなみずき25が好きな娘、いっぱい入ってきたよ」

 そう、これまでのはなみずき25で何が起きていたとしても、それでも好きだと言ってくれる後輩がいるんだと。

 確かに今年のはなみずき25には、かつての輝きは無いのかもしれない。

 それでも、夢をもって新しく加わった仲間が居るじゃないか。

 主はそう美祢に言い聞かせるように、明るく言うしかできない。


 美祢の存在感が少しだけ帰ってくる。

 主の言葉にほんの少しだけ、救われた気がする。

 改めて主を見れば、その眼には何かがあった痕がある。

 美祢の顔が再び沈んでいく。悔しいと。

「そっか。そうですね」

「本当に何もない?」

 いっそのこと全部吐きだしてはくれないか? そう主は願いを口にする。

「……先生、少し背中を借りても良いですか?」

「いいよ」

 前に主の背中を借りたのは、いつのころだったか。

 ずいぶんと懐かしい気がする。

 この匂いも、この温もりも。

「……」

「……」

 ただ美祢の言葉を待つ主。

 

 美祢は主にすがるように、か細い声で懇願する。

「……先生、もう一度言ってもらっていいですか?」

「何を?」

 何でも言ってあげたい。

 この娘が、美祢がまた元気に走れるなら。

 どんなことでも口にできる。

「私の夢って叶いますか?」

「叶うよ」

 花菜が怪我をしたときと同じように、主は即座に答えを返す。

 叶わないわけが無いと。

 あの時力になった言葉。だけど、今の美祢には物足りない。

 あの時は、こんな状況になるとは思っていなかった。

 気が付けば、美祢の眼には涙がたまっていた。

 どうしても感情が抑えられない。

「……誰かを不幸にしても?」

「不幸になる人なんていないよ」

 やはり夢乃と同じ言葉をくれる。

 優しい先生はそう言ってくれるだろう。

 高ぶった美祢の感情は、主の言葉を否定しようとしてしまう。

「……でも、でもっ!」

 優しさをむげにしたいわけじゃないのに、素直に受け取れないのは自分のせいなのに。

 主を否定してしまう言葉が、もう喉元まで来ていた。

 必死に飲み込もうとするが、うまくいかない。

 涙と共にあふれそうになってしまう。

「大丈夫! 絶対大丈夫だよ!! 僕はきみに幸せにしてもらった。だから不幸になる人なんていないさ」

「本当?」

 不意に主の背中が動き、美祢を覆う。

 主の両手に納まった美祢の感情が止まる。

 初めての抱擁。

 いつかはと夢に見た主の胸元。

 服越しに伝わる固い感触が、美祢の頬を押す。

「うん、美祢ちゃんの夢がかなうまで応援するから」

 すぐ上から聞こえる主の声は、今までとは違い美祢の心に落ちてくる。


「私は……花菜の隣に立てますか?」

「うん、必ず」

「……先生」

 美祢は自分の夢は叶うと、もう一度言ってくれたその胸に顔を押し込むのだった。

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