三百二十七話
「あっははは!!」
「安本先生、そんなに笑わなくっても……」
後日、本当に謝罪のために安本に面会した主を待っていたのは、安本の笑い声だった。
勘違いだと言われても、相手は芸能界のフィクサーと呼ばれる人物。
笑みを浮かべて引き金を簡単引くと言われる安本。
オマージュごときと侮ったら、自分はおろか周りにも類が及ぶ可能性もある。
真摯に最大限の謝罪をした主を、何が起きたのかと呆ける安本がいた。
そして何に対する謝罪なのかを説明したとたん、安本は腹を抱えて笑い出した。
「ああ、ごめんごめん。……ップ、くくく!」
「はぁ、もういいです。存分に笑ってください」
安本の様子を見て、自分の勘違いだと理解はできた。
思っていた以上に、自分が安本を畏れているのだと自覚できた出来事だ。
そんなことを考えていたら、安本のほうからこんなことを言ってくる始末。
「いやいや、本当にすまんね。そんなに怖がられてるとは思っていなくてね」
「え? 先生ほど怖い人をみたことないですけどね」
わかり切ったことを今さら言ってくる安本に、思わず主はノータイムで本音をこぼす。
畏れている人物に対して、警戒心のかけらもない反応をしてしまう。
怖いと言われ慣れているのか、主の言葉を気にも留めない様子の安本。
謝罪のついでと提出された第二稿に目を通す。
今回は音源無しで歌詞をさらっていく。
「そうかい? まあいいや。あ、新しい方はこの方向性で行ってみようか?」
「直し無しですか?」
もしかして第二稿で納品かと、主の顔がほころぶ。
そんな主を諫めるように、安本は一瞬だけ厳しい視線を向けて赤ペンを走らす。
ある程度の訂正要望を書き込むと、主に歌詞を返す。
「当然ある」
「ですよね……」
赤ペンを入れられた歌詞を見ながら、頭の中で音源を流して修正案を幾つか思い浮かべる。
どうにも納得できていない顔で、天井を睨む主。
そんな主に、安本はまた明るい調子で話題を振る。
「で、どうだい? 三期生たちは」
「とりあえず、明るいですね。かすみそう25の一期生を思い出します」
この場ではいい修正案を出せないと、諦めた主は安本へ笑顔で返答する。
思い浮かべたのは、公佳たち三人娘だけではない。美紅や日南子もはなみずき25の三期生と重なる部分が見える。
優しい表情でアイドルを思い浮かべる主の姿をみて、合宿の様子がうかがえると安心した様子を見せる安本。
「そうか、なら……大丈夫かな?」
「何がですか?」
何かを感じた主は安本に尋ねてしまう。
まだわずかな時間しか関わっていないとはいえ、見知ったアイドルが困難な状況に陥るのは見たくはない。
何ができるわけではないが、何かを与えたくなるのだ。
心配そうな主を見て、安本は少しだけため息を落とす。
だが、まあ知っていても問題はないだろうと計画を話し始める。
「ん? まあいいか。彼女たち三期生をこのシングルから合流させようと思ってね」
「……大丈夫なんでしょうか?」
思わず心配を口にしてしまう。
合宿で頑張っている姿は見ている。
だが先輩である美祢たちに合流させると言うのは、さすがに性急すぎると思ってしまうのだ。
三期生全員で、切磋琢磨し着実にスキルアップはしているとは思う。
しかし、パフォーマンスという面においてはなみずき25の先輩たちの能力は高い。
今は落ち込んでいるとは言ってもかつてはトップアイドルとして君臨していた実績がある。
アイドルカーニバル連覇の実力は伊達ではない。
だが、安本の決断もわかるのだ。
今のはなみずき25では、人数的にもイメージ的にも好転は難しい。
落ち目だと思われたアイドルの転落は早いものだ。
新しい風を運んでくれる三期生を迎えて、イメージを変えたいのは美祢たちも同じだろう。
だから主は問いかけることしかできない。
不安を口にすることも、否定をすることも、心配を口にすることさえできはしない。
口にはしないが、その表情は雄弁に語っている。
その上で葛藤していることもわかる。
「まあ、どうなるか。お楽しみってところかな」
安本は主の問いかけに、あいまいに応えるしかない。
明確な答えは、安本の中にはない。
それを決めるのは、いつでもファンなのだから。
恣意的な誘導もできるが、露骨なことはバレやすい。
安本の経験をもってしても、そこを完璧に読むことは至難の業だ。
だが、かすかだが安本の中に確信めいたものはあった。
もう一度はなみずき25はトップの座に舞い戻るという予感が。
それが三期生によるものなのか、それとも賀來村美祢によるものか? 高尾花菜によるものか?
もしかしたら、目の前にいる佐川主によるものかのかもしれない。
それがどれであれ、まだはなみずきの樹は枯れることなく花を結ぶはずだと。




