三十二話
「先生、@滴先生。今日のお昼なんですけど……」
「あ、多分今聞えてないと思いますよ?」
昼食のことで相談に来たテレビスタッフを佐藤が対応する。
主はパソコンに向かってキーボードを叩くことに没頭していた。
「執筆中ですか?」
「ええ、なんか吹っ切れたようで」
「にしても、なんかキーボードに親の恨みでもあるのかってぐらいに打ち込みますね。……おーい! カメラもってきて~!」
「撮ります?」
「何かには使えるかと」
テレビスタッフがカメラに向かって、画角がどうのと指示を出しているにもかかわらず主は一切気にした様子もなくただひたすらにキーボードを叩く。
カメラが一通りの撮影を終えて撤収していくと、今度は入れ替わるようにお腹を押さえた埼木美紅が情けない声を上げながら入ってくる。
「先生~!? お腹減ったんですけど~?」
「聞こえてないみたいね」
「書いてる時っていつもああなんですか?」
「うん、いつもこうだね」
「なんか、本当の作家さんみたい」
迎えにきた美紅がだいぶ失礼な物言いでも気にしていない。それほどまで主は集中していた。
「美紅さん! 邪魔しちゃダメでしょ!」
「パイセン~! 苦しいです」
美祢が美紅の襟を持ち、引きずるように主の部屋から出ていく。
出ていくわずかな時間、美祢は主のほうをチラリと見る。
昨日の憔悴したような顔ではなく、うっすらと笑みを浮かべながらキーボードを叩く顔には精気がもどっていた。
「頑張ってくださいね」
そうつぶやき歩き出す。
「パイセン、何か言いましたぁ~?」
「言ってません。さ、早くお昼済ませて午後も頑張らないと!」
「……マジか」
誰にも聞かれていないと思われた美祢のつぶやきは、佐藤の耳にしっかりと届いていた。
完全に女のコのトーンで主に贈られた応援。
あのフィクサーのアイドルからそんなにも好意を寄せられているのか? 佐藤は恐怖した。
さっきまで悲劇のヒーローに浸っていた、このどうしようもないオッサンにあの態度。
佐藤の中である疑惑が浮かぶ。
目の前のこのオッサン。もしかしてこの合宿中、ガチでアイドル狙いに行ってたのでは?
これは社会通念上の正義として警察に相談したほうがいいのではないだろうか?
ゆっくりとケイタイに手を伸ばそうとしたところで、声がかかる。
「誰か来ましたか?」
主は画面から顔を上げずに、佐藤に問いかける。
「い、いえ。誰も」
「そうですか。もう少しですので」
「……はい」
佐藤は伸ばしかけた手を戻す。
まだその時ではない。少なくとも原稿を受け取ってからでも遅くは無いだろう。
それに自分のカン違いかもしれないし、と。
◇ ◇ ◇
「合宿の様子は?」
「順調なようです」
安本と立木は電気もついていない部屋で二人難しい顔で、机に置かれた一枚の企画書を見ていた。
日当たりのいい部屋ではあるが、さすがに人工の光がないと文字を認識し辛い。
だが、企画書のタイトルだけはしっかりと見えている。
『アイドルカーニバル開催の知らせ』
それは主催者が招集したアイドルたちを一つの会場で、合同のライブを行うという企画だった。
はなみずき25も昨年出場した。
アイドルカーニバルはいくつかのステージに分かれ、各アイドルたちがライブをするというイベントになる。
ただの合同イベントなら何の問題もない。
問題は、終了後に行われる投票だ。それはそのまま、どのアイドルが素晴らしかったかという人気投票となる。昨年は初出場で1位に輝いたはなみずき25だが、今回は昨年の1位という追われる立場となっての出場だ。
プレッシャーになるのは目に見えている。
「つぼみたちには苦い経験になるかもしれないな」
「大丈夫でしょう。少々のつまずきは次なる飛躍の準備みたいなものですから」
立木は負けてもいいと思っていた。今のはなみずき25の実力なら勝ち負けなく十分に売れるだろうから。
しかし、安本はそうは思わなかった。合同イベントでの負けは、彼女たちの居場所を奪われる可能性につながる。なぜなら、今も少ないアイドル枠という1つの椅子を奪い合っているのだから。
注目が集まるこのイベントはもちろんテレビ関係者も見ている。ならば、そこで新しいアイドルを数少ない椅子に座らせようとするだろう。
自分の下にきたアイドルたちは、何がなんでも守らなければいけない。それだけが安本の矜持だ。
さて、どうしたものか。でればリスクしかないイベント、しかし、出ないとなると逃げたと言われかねない。なんとか無用な攻撃材料を与えない方法は無いだろうか。もしくは出ても問題ないと思わせる安心材料はないものか。
「失礼します」
部下の一人がノックもせずに安本のいる部屋に入ってくる。
本来であればきつい言葉を投げかけるところだが、その手にしている紙を目にして二人は押し黙る。
安本は紙を受け取り、目を通すとニヤリと笑う。
「出ても問題なさそうだ。……もしかするとあの男は彼女たちに福をもたらすのかもしれないな」
立木は安本から紙を受け取る。
そこにはCDの売り上げランキングが書かれていた。
はなみずき25のファーストアルバム『On Your Mark』。一か月のセールスは80万枚を超えていた。
もちろんランキング1位、しかも2位にダブルスコアと好調過ぎる結果となった。
「つぼみたちの仕上げを急がせなさい」
「わかりました」
そう言い残し、立木は席を立つ。




