三百十六話
香山恵が二代目のはなみずき25のリーダーに指名された頃、美祢はとあるの離島にいた。
大所帯の撮影スタッフは忙しなく動き続け、被写体の美祢にも目もくれない。
撮影用の衣装をフィッティングするスタイリストも必要最低限のコミュニケーションしかない。
同行している近原もこの現場では緊張の様子を隠さない。
美祢の写真集の撮影現場。それは出版社の意向が強く影響していた。
園部レミの写真集を撮影するために集められたスタッフ陣。それを解散するわけでもなく、そのまま美祢の写真集のスタッフにスライドさせ、しかも発売日までそれほど時間もない。
ロケ地も予定していた箇所を削りに削って、この離島のみ。
世間の認知度を考慮すれば、圧倒的に低予算の写真集と言わざるを得ない。
出版社の補填だけのための写真集、そんな空気が現場には流れている。
「美祢、あんたも大変ね」
「そうですね。でも銀司さんがいてくれて助かりました」
「銀司じゃなくってシルバーさんね」
唯一の救いは、元々のスタッフに政安銀司ことマサヤス・ザ・シルバーがメイクとして入っていたことだ。
マサヤスとレミは師弟関係として、何度も美容対談をしているし、はなみずき25の現場にも何度も入っている旧知のメイクさんだ。
最近でも美祢のモデル仕事の現場で一緒にいた。
マサヤスと美祢の関係は、レミとの関係性もあって姉の友達と友達の妹のような関係性を保っていた。
そんなマサヤスがいつものように接してくれるのが救いなほど、現場の空気は緊迫していた。
「よし! いってらっしゃい」
「はい!」
マサヤスのメイクが終わり、元気に返事をした美祢ではあったがその表情は固いまま。
光を浴びた美祢の表情は、より強張り被写体としての姿ではなかった。
「ふぅ~、ダメだな」
「……すみません」
カメラマンの一言に顔を下げる美祢。
だが、カメラマンはそうじゃないと首を振る。
「ごめんごめん、そうじゃないんだ。……もっとリラックスさせないといけないのはこっちの仕事だからさ」
「いえいえいえ! 私のほうこそアイドルなのに!」
急に大人に謝られて、恐縮してしまう美祢。
「ちょっとさ、歩きながら撮ろうか?」
「はい」
カメラを向けられながら歩き出す美祢に、カメラマンは少し砕けた雰囲気をつくろうと雑談をし始める。
「賀來村さんは、どうしてアイドルになろうと思ったの?」
「どうして、ですか? う~ん。まあ憧れもありましたし、私の場合は花菜の存在が大きかったですね」
話しながらもピントを器用に調整しながら、シャッターが切られる。
「高尾花菜さんね。どんな存在?」
「う~ん、カッコいい女の子ですね。誰よりもカッコよくて、目標です」
話の内容は今までに取材で話したような、たわいもないもの。
だが、一応答えを考えるという行為をはさむため、美祢の意識が次第にカメラから離れていく。
「アイドルになって大切にしている言葉とかってある?」
「大切な言葉……あり……ますね」
「それはどんな?」
美祢が照れ臭そうに笑う。
少しだけ、ほんの少しだけ。メイクの上からでも分かるくらい紅くなった美祢は答える。
「笑顔は魔法って言葉なんですけど」
「笑顔は魔法……へぇ~、どんな意味?」
意味を聞かれて、少しだけ美祢の顔が下を向く。
それに合わせるように、何枚もシャッターが押される。
「笑顔は特別な力があるからって。私が笑ってるところを見せれば、ファンのみんなも笑ってくれる。だからどんな時でも笑顔は忘れないようにしようって」
美祢の表情、そして言葉から美祢が誰かに教えてもらった言葉なのだとわかる。
会話を繋げるための、重い空気の現状を打破するためのたわいもない質問だった。
「誰に聞いた言葉?」
「それは……だ、尊敬する作家の方の言葉です」
美祢がカメラに向けた表情は、恋をする乙女の表情そのものだった。
その瞬間を逃してはいけないと、カメラマンの本能がシャッターを押させる。
アイドルという存在、そしてメンバーのスキャンダルに巻き込まれた少女の、それでも想いを寄せる人物の存在が確かに美祢の向こうに見えた。
シャッターを押しながら、田中彰吾は思った。
たぶん使えないカットになるかもしれない。
そう思ってしまったが、それでもシャッターを押さずにはいられなかった。
一瞬ではあったが、カメラマンという仕事を忘れて本能が反応してしまったのだから。
ロケ期間3日というごくごくわずかな時間しか制作に当てられなかった、美祢の初めての写真集。
普段のモデル仕事の時とは違い、水着などの艶やかなカットも注目を集めた。
しかしファンはの眼はそこばかりにはなかった。
美祢の表情に息をのんだ。
パフォーマンスのときとは違う、自然な表情や愁いを帯びた表情。
何よりその美祢の笑顔が心に刻まれるのだった。
園部レミの写真集スタッフを受け継ぎ、スケジュール的にもキツイ状況で制作された『笑顔の魔法』というタイトルの写真集は、しばらくの間タレント写真集のランキングにおいて上位に居続ける会心の作品として語り継がれていくのだった。




