三百十一話
翌日、主は兵藤の元を訪れて頭を下げていた。
「お願いします! アルバムのリード曲を変えてください!!」
「え~~!! 先生、本気ですか?」
「お願いします!!」
アルバムの制作はもう始まっている。
使用する楽曲はもうアイドル達の手に渡っている。
今回のアルバムリード曲、主の制作した楽曲は、制作陣にも悪くない評価を得ている楽曲だ。
無理に変える必要さえ見つからない。
だからこれは、完全に主のわがままでしかない。
それも主はわかっているから頭を下げている。
兵藤も困って言葉が出ない。
主は黙って頭を下げているだけ。
無言の時間が過ぎていく。
「……」
「もぉ~~~!!! わかりました、わかりましたよ! 上に聞いてみます!」
「ありがとうございます!」
折れたのは兵藤だった。
今のはなみずき25の取り巻く状況はあまり良くはない。
レミが担当していたラジオ番組。そのスポンサーも今回の件にはいい顔を見せてはいない。
ただ契約期間中に降りることができないという理由で、新しいパーソナリティーへの交代が行われた。
レミの後釜になったのは、中村芽以。開始時点で打ち切りが決定している番組を、それでも懸命に担当していた。
その後は別の事務所のアイドルが担当する番組が始まるという。
他にも専属モデルとして契約していた雑誌からも交代要員を求められている。
レミと同等の知名度と言われ、こちらはかすみそう25の馬場優華に振らざるを得なかった。
何よりメンバーの心が折れてしまったことが、問題だった。
レミの件を受けて、脱退が決まったメンバーがいる。
江尻史華。彼女はアイドルも女優も諦めて、ゲーム配信者に、いわゆるストリーマーとして活動するというところまで決まっている。
せめてタレントとして事務所に残らないかと説得も試みたが、本人の意思が固く新しいアルバムのプロモーション期間で契約が終了してしまう。
そんな状況で、四代目主水之介である主にまで離れられては大問題だ。
主が頭を下げた時点で、兵藤にとっては脅されているような心境だった。
そんな少しだけ恨みがましい兵藤の視線を主は笑顔で受ける。
だが、この時兵藤が折れたのは結果で言えば正しかった。
主の持ってきた新しいリード曲『雪割草を見つけて』は、世間の目を引く良曲だった。
花言葉になぞらえて並べられた歌詞は、取り巻く環境に耐え忍ぶ人々に訴えかけることになる。
高尾花菜の離脱、園部レミのスキャンダル。その二つの出来事が影を落とすグループにもかかわらず、それでも耐え忍ぶ人々への応援を辞めないアイドルグループとして、再び注目を集めるのだった。
暗く感じる人が多い時代、それを無理やり否定するのではなく、認めたうえでそれでも未来は明るいと信じることを辞めない。
そんな彼女たちの曲に勇気をもらった人々はいたのだ。
賀來村美祢がセンターを務め、そのとなりを高尾花菜と矢作智里が配された。
この曲で特に注目を集めたのが、高尾花菜だった。
明るい印象のままパフォーマンスを行う美祢のとなりで、完全に復調していない花菜が歌の中にあるわずかな暗さを表現していた。
ファンは花菜の復帰を目の当たりにしながら、生まれ変わった新しい花菜の姿に魅了されていた。
確かにパフォーマンス自体はブランクを感じさせるのだが、そのブランクが花菜の持つ曲への理解度を深めた。
多くの楽曲でセンターを務めていた花菜が、完全ではない身体とブランクを埋めるために無意識で出した答え。それが曲への理解度だ。
そしてその答えは、ファンが正しいと言ってくれていた。
花菜の復帰という下駄でもあっただろう。だが確かにこの曲で上がる声援は花菜のモノが多かった。
やはり表現者として花菜は、このはなみずき25というグループでも突出しているのだとファンに実感させることができた。
だが、残念なことにその声援は花菜の耳にまで届くことは無かった。
披露した楽曲、すべてに参加できないという負い目。
そして現センターの美祢の姿が花菜の耳を塞ぎ、振られるサイリウムから目を覆った。
怪我以前とのパフォーマンスのギャップが、花菜の精神を蝕む結果となった。
それが花菜の焦りを産んでしまう。
目の前で美祢のパフォーマンスを見れば見るほど、その焦りは大きくなり花菜の心を支配していく。
観客を前にしても、花菜の心はある一点に囚われたままになってしまった。
(やっぱり、あの曲を踊らないと! あの曲を踊れないと美祢に追い付けない!!)
花菜の心は、未だに『花散る頃』に囚われたまま。
花菜の、はなみずき25の絶対的エースの膝と心を壊した『花散る頃』。
この曲がファンの間で『魔曲』と呼ばれる所以となるのだった。
しかし、今この時点ではそのことを誰も知らない。




