三百四話
作曲家四代目主水之介こと佐川主を語る時に、欠かせない人物がいる。
それははなみずき25やかすみそう25のファンのみならず、音楽ファンにとっても認知され名コンビと呼ばれる作曲家の存在だ。
その作曲家の独特な感性で紡がれるメロディ―に四代目主水之介の感情的な詞が載ると、世代を問わず感情を揺さぶられてしまう人が続出する。
このコンビが制作に関わったと言うだけで、その楽曲を購入するという人までいるほど。
そんな名コンビの誕生は、意外なほど荒れていた。
「かすみそう25の音源が出来てない!?」
一旦は逃げ出した主の筆が、ようやく進み始めた頃廊下にいる兵藤の声が主の耳まで届いた。
逃げ出したあと、驚異的なスピードではなみずき25の楽曲を仕上げた主は、何とかかすみそう25の新しいシングルの作詞に取り掛かっていた。
表題曲もユニット曲も終わり、あとはカップリング曲だけ。
今回のカップリング曲センターは、一期生の匡成公佳。
綾とも仲の良い3人娘の一角がセンターと聞き、主は気合を入れ直して作業に取り掛かろうとしていた。
だが、まだ主の手元に音源が来ていない。
他の曲で代用しようと考えたが、休養前の安本から絶対に使いたいと言われていた作曲家がいると聞いていたので、楽曲が来るのを待っていた。
立木の話ではサビのメロディ―を聞いただけで安本が気に入り、次は絶対にリストに入れたいと切望した人物らしい。
あの安本源次郎にそこまで言わせた人物。
主にも興味があった。
「……兵藤さん?」
「先生! 本っっっっ当にすみません!!!!」
土下座しそうな勢いの兵藤を止めると、主は笑顔で問いただす。
「良いです、良いですって。ただ理由は?」
出来ていない理由を知っている兵藤の顔が、青くなっていく。
言いずらそうに、何度も主の顔を見ている。
再び勢いよく頭を下げながら、意を決した兵藤が相手方の言い訳を口にする。
「先生が……逃げたから、まだいいかなってって……ことらしいです」
言い訳を聞いた主の表情は、驚くほど穏やかだった。
「なるほど間接的とはいえ、僕の責任でもあるってことですね」
確かに主が原因と言われてしまえば、事実だから仕方がない。
納得してしまった主ではあったが、その真顔の主に兵藤は慌て始める。
「いやいやいや!!! そうじゃないです! 彼は締めきり破りの常習犯ですから!! 今回も先生をダシに引き延ばしてるだけですよ!!」
「……じゃあ、直接行っちゃいますか?」
焦った様子の兵藤を見て、主は少し考えて笑顔を見せる。
そして兵藤の予想していなかった言葉を投げてきた。
「え?」
「催促」
驚く兵藤に、良い口実ができたと主は笑っていた。
都内のとあるマンションの一角。
見るからにミュージシャンといった、遊んだ髪色の男が仏頂面のまま主たちを出迎えていた。
「で? 誰に聞いたんだよ」
「何がですか?」
全く歓迎されていないことは、その態度からも明か。
それでもミュージシャンの自宅という興味が勝った主は意に返さない。
「家のことだよ! こんな時間に押しかけてきやがって! 非常識だろ!!」
不遜な態度の新人作家に苛立ちながらも、なんでここにいるのかという疑問をしっかりと伝える律儀な男。この人物の名は野島月男、作曲家としては中堅に位置する。
実績もそれなりにあり、有名なミュージシャンにも楽曲提供している。
ただし、無類の酒好きで夜遅くまで飲み歩いていることでも界隈では有名だった。
交渉事はバーでするようにと各所で伝達されているほど。
そんな人物の自宅まで押しかけて催促するのは、無謀と言える。
かえって相手を怒らせるような行動を主は平然と行っていた。
自分の興味のために。
怒り出した野島の問いかけに、主は笑顔で答える。
「安本先生がこの時間なら、まだ飲みに行ってないだろうって」
「おい!! お前、大先生に言ったのか!?」
流石の野島も安本の名前を出されて焦り始める。
「僕は今回の件を反省して直接謝りたいって言っただけですよ?」
「告げ口なんてマネしやがって!!」
謝りに来たと言っている主の顔は、柔らかいままだ。
安本という重鎮に、自分の落ち度を話されたと思った野島はさらに興奮し始める。
「嫌な風にとらえないでくださいよ。……言ってないですよ?」
「え?」
あっけにとられた野島が、間の抜けた声を上げる。
「まだ、曲ができてないってことは言ってないですよ? まだ」
主が強調した『まだ』という言葉に気が付かないまま、野島は兵藤のほうを見る。
「本当か!? 兵藤さん!!」
「え、ええ。それは本当です」
確かに主は、安本との電話では曲のことに関して何も言っていない。
だが、野島だけに謝りに行くと言った主の言葉をそのままの意味でとらえるだろうか?
思わず兵藤は野島の視線から目を外す。
「よし!! よっし!! よ~し!!!」
危機的状況ではないと勘違いした野島は、まるで何かで優勝したかのようにガッツポーズを繰り出している。
そんな野島にもう一度、今度はちゃんと意図が伝わる様に主が声をかける。
「今はまだ! 言ってませんけどね」
「……。っっ!! お前……脅そうって腹か?」
何度か瞬きをして、野島はようやく主の言葉に気が付く。
さっきと口調は同じだが、その声には確実に恐れが載っている。
「? 事実を言ったまでですよ?」
「お前なんか嫌いだ!!! 速攻で曲上げるから、さっさと帰れ!!」
勢いよくドアを閉めようとした野島だったが、主は閉まりかけたドアをこじ開ける。
「じゃ、曲が上がるまで待たせてもらいますね」
「本っっっ当に、むかつく新人だな!!!」
初対面での印象は最悪。
それでもお互いに何度も同じ仕事をするようになる奇妙な関係は始まりを告げたのだった。




