三百一話
「安本先生! 彼女たちは……あなたにとって彼女は何なんですか!?」
病室で作詞作業をしている安本源次郎。彼は主の言葉に一瞬固まったがすぐに笑みを浮かべる。
そして何を今さらとでもいうような安本の顔が、次第に興奮からか赤くなっていく。
「私にとってアイドルが何かだって? 全てさ! 僕という人生を捧げてなお足りない祈りの具現化さ!!」
「い……のり……?」
主には安本源次郎の言葉がわからなかった。
単語それぞれの意味は解る。だが、文として認識しようとすると全く認識できない。
その主の言葉を聞く安本は、呆れたようにため息を吐きだす。
「君にもわからないか。いや、君は自分の願いを叶えた側の人間だからかな。わかるわけもないか」
「僕が叶えた側……? 何言ってるんですか! 先生は地位も名声もすべてを手に入れてるじゃないですか!?」
「僕が!? すべてを!? 何を言ってるんだ!! 僕はただの一つもかなえてはいない!! 彼女を日本一の歌手にすることも! 彼女にまた会うっていうあの約束さえも!!! 何一つだ! なに一つすらかなえられてはいない!!!」
主の言葉にここまで感情をあらわにした安本を、未だかつて見たことはなかった。
いや、少なくとも主は、誰かの言葉に感情を見せる安本源次郎の姿をみたことが無かった。
「彼女……彼女って誰なんですか?」
「君には見せたはずだが? 君の父君の思い出すら忘れたかね?」
「……奥野恵美子」
「君ね、人の想い人を軽々しく呼び捨てにするものじゃないよ」
そう言いながらも、安本の顔は笑っていた。
自分が手掛けたアイドルの名前を瞬時に思い出した主を、まるで褒めているかのようにも見える。
もしくは、主の記憶にその名前が刻み込まれていることに満足しているのかもしれない。
「そう、僕はね。もう一度彼女に会いたいんだ。……逢いたいんだよ」
安本の眼から一筋流れるものがある。
それに構わないように、安本は語りだす。
主は、ただ黙って聞くことしかできない。
◇ ◇ ◇
彼女はあの急成長の日本にあって尚、貧しい暮らしを強いられていた。
姉弟は幼く、両親はいない。
頼れる親族すらいない。そんな中で、逞しくいた。
僕と出会った時の彼女は、その貧しさから食べる事もできず、運良く手に入れた食べ物は弟たちに分け与えていたんだ。
そのせいか、ひどく痩せていてね。
今のアイドル達が必死に落とす体重を、どうにか増やさせようと何度も厳しく言い聞かせたほどだ。
彼女たちの弟たちを彼女ごと面倒見ようと、それこそ寝ないで曲を書き続けたよ。
忠生もね、必死に働いて彼女の家に食料をもって何度も通ったんだ。
普通なら、身体を売った方が速いし実入りもいいだろう。
だが、彼女はそれを良しとはしなかった。
だから僕のところまで来たんだ。『自分を歌手にして欲しい』とね。
そしてその願いに、いや、その願いのために、彼女は自分の想いを犠牲にしたんだ。
彼女にはね、どうやら好きな男がいたらしいんだ。
忠生が珍しく荒れて、来た時に聞きだしたんだがね。てっきり彼女は忠生と想い合っていると思っていたからびっくりしたよ。
ただね、それと同時に……いや、君に嘘を言っても仕方がない。
それ以上に嬉しかったんだよ。彼女と忠生が両想い出ないということに。
そして彼女がその想いを隠しているのに、僕のそばから離れられないということにね。
それからは、彼女の顔を見るたびに、彼女の声を聴くたびに歌詞があふれてくるんだ。
彼女の歌は瞬く間にヒットして、あの頃でも数年間働かなくっていいぐらいの稼ぎが舞い込んだ。
それが、僕には怖かった。
彼女と共にいる理由が無くなるからね。
……だが、そんな時間は呆気なく失われたよ。
ある時、急に舞い込んだ仕事に向かう途中に事故にあってね。
僕は助かったが、彼女は助からなかった。
彼女は、最期にこう言ったんだ。
どこでもいいから、またステージに立ちたかったってね。
自分の想いを殺して、他人の好意のためにステージに立つことを選んだ。
そんな彼女が、最期に再びステージに立つことを願ったんだ。
そこからしばらくは、いま言ったら怒られるかもしれないけどね。惰性さ。
惰性で芸能界に居残った。
提供された曲に、耳障りにいい言葉を乗せる。
それでも、彼女の作曲家をしていた僕は、賞賛を得られた。
……だが、不思議なことが起きた。ある時また、彼女を感じたんだ。
全くの別人、赤の他人のアイドルに。
奥野恵美子の面影を感じたんだ。
最初はとうとうイカレたかと自分でも思ったね。
だけどね、新しいアイドルのほんの一握り。稀に彼女の面影を見つけるんだ。
そこからさ、彼女が帰ってきたがってるんだとわかったのは。
まったく縁もゆかりもないアイドルの体を使って、彼女はステージに帰ってきたがっている。
なら、僕はその機会を与えなくてはいけない。
彼女は人生も、彼女の秘めた想いも、全部僕に賭けてくれたんだから!
「だから、僕はアイドルを産み出すのを止めはしない。彼女にふさわしいアイドルとステージを用意するまで。彼女が帰って来てくれるその日までね」
「それは……」
「そうだね、僕の見た都合のいい幻想かもしれない」
懐かしい思い出を口にしていた安本の顔が消える。
「だけど、僕の望みを手に入れるまで。彼女に会える日まで、この行いを止めるつもりはない。誰に言われようとだ」
肩で息をする安本の顔が、主のよく知った顔に変わっていた。
芸能界のフィクサーの顔に。




