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三十話

 花菜は定期的にある夢を見る。黒い大きな影に襲われる夢だ。

 その影は自分に執拗に手を伸ばしてくる。もう捕まる! その時に必ず助けが入るのだった。

 影の手が守ってくれた人の頭をかすめると、自分の顔が濡れる感触。生暖かい赤い液体が自分の頬を濡らしている。怪我をしている。そう思い、もういいと何度も叫ぶが、自分の口から出るのは泣き声だけ。

 影は執拗に何度も何度でも手を伸ばすが、花菜に届く前に必ず邪魔が入る。

「できれば、君のお歌を聞かせてくれる?」

 自分に優しく語りかけてくる声。その声に従い涙を含んだ声でその時得意だった歌を歌う。

 どうかこれ以上、この人を傷つけないでと願いながら。

 歌い終わると、影はいつの間にかどこかに消えている。

 横たわる人に駆け寄り、また泣いてしまう。優しい大きな手が自分をなでて「もう泣かないで」と言っている。

「いっぱいの元気をもらっちゃったなぁ。君は良いアイドルになるよ」

 そう言って、自分を暖かな光のところまで送り届けてくれる。何度も一緒に行こうと言ったのに、その人は自分を置いてどこかへ行ってしまう。

 ああ、またあの人を救うことができなかった。いつもならそれで終わってしまう夢。

 だが、今日は違った。

 手を放そうとするその人の手を強引に引き寄せ、顔と顔が急接近していく。

 そして……。


 花菜は自分の部屋で目を覚ました。

 ああ、なんて清々しい朝だろうか。目に映るすべてが輝いて見える。

 ただ起きただけなのに、なんて幸福感に包まれているのだろうと花菜は思う。

「花菜! 起きてるか。入り時間に間に合わなくなるぞ!」

「今行く」

 そう声をかけて、ベッドから体を起こす。

 花菜は簡単な身支度を済ませ、部屋の扉を開ける。

「まったく、お前はいっつもいっつも……今日のお前なんか違うな」

 待っていたスカウト組の香山恵かやまめぐみが、花菜のことを舐めるようにみる。

「何も変わらないよ、早く行こう?」

「あ、ああ」


 花菜は今日のスケジュールを思い出す。

 その日はフロントメンバーで、歌番組用のVTRを撮影しに行くだけだった。

 夏休みにもなり普段であれば、夜まで埋まっているのになんてラッキーなのだろうか。

「おはようございます」

 挨拶をして迎えにきた車に乗り込む。

「花菜ちゃん、おはよう! ……花菜ちゃん、今日可愛くない?」

「そう?」

 先に乗っていた園部レミが花菜の顔を見るなり、疑問を投げてきた。

 いつも通りの自分なのに、なぜか反応がおかしいと花菜は思う。もしかしたらあの夢のおかげだろうかと。

 

 現場に入ってからも周りの反応はいつもと違っていた。

「花菜ちゃん、昨日なにかやった? 化粧のノリが良すぎるけど」

「え~、何もやってないんだけどな。……もしかしたらいい夢見れたからかな?」

「夢ぐらいでここまで違うなら、私も見たわ。どんな夢だったの?」

 そう聞かれて、思わず口に出しそうになる言葉を引き留める。

「ん~、ないしょ!」

「え~! 気になるなぁ」

 メイクさんともそんな話で盛り上がる。

 その風景を見るメンバーたちは、一層いぶかしんだ。

 あの不愛想魔人の花菜が、メイクさんと談笑している。そんなことがあるなんて、今日は台風でも来るに違いない。

「あ、もしかして花菜ちゃん。好きな人でもできた?」

 メイク中のたわいない軽口のはずだった。

「……」

「え!!!」

 あの花菜が、アイドルであることに命を捧げているかのような花菜が、あろうことか色恋話のイジリに顔を染めていた。

 いつもであれば急に不機嫌になり、舌打ちの一つや二つ打つはずなのに。

 花菜が頬を染めてうつむくなんて。


 その場に居合わせたメンバーとスタッフは、全員が一斉に天気予報をくまなくチェックし始める。

「そんなことないですぅ!」

 しかも、あの花菜がぶりっ子もどきまでして話を逸らそうとするなんて。

 大人たちはいっせいに株価の変動までチェックしはじめた。

「花菜お前、それはあたしのマネか? なあ?」

 香山がやや怒りながら花菜に詰め寄る。

「あ、わかった?」

 花菜が笑っている。バラエティでもアイドル然としてキャラを崩さない花菜が、まるで普通のアイドルのように笑っている。できもしないモノマネまでして現場の雰囲気を変えようと必死だ。


 現場にたまたま来ていたマネージャーは急ぎ事務所に連絡を入れる。

「もしもし! 高尾花菜に熱愛報道が来るかもしれません!!」

 その誤情報に所属事務所は、緊急対策会議を行う羽目になり、花菜はせっかくの半日オフだったのに事務所の会議室に呼び出しをされる羽目になるのだった。

 しかし、花菜は思う。今日は一日面白い日だったと。

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