二百九十八話
美祢たちはなみずき25のメンバーが懸命に宣伝したおかげもあり、『花散る頃』の世間への認知度は急速に高まりテレビでもラジオでもランキングやリクエストが集中していた。
新曲『花散る頃』を引っ提げて行われた全国ツアーは、高尾花菜が不在だと言うのに10か所の会場は即完売。グッズの売り上げも過去最高を記録していた。
花菜のいないツアーだと言うのに、花菜のファンも多く詰めかけるという珍事も話題になっていた。
美祢の見せる幻想の花菜が目的だと公言するファンすらいたほど。
ツアー全体を見れば美祢に注目が集まった結果にはなったが、そのとなりで懸命にステージを守る新しいメンバーも注目され、ファンに暖かく迎えられる結果となった。
何より『花散る頃』が注目を集めてくれたおかげで、色々な時間帯の色々な番組にメンバーが呼ばれ活躍の機会が多く見れるようになったこともファンを喜ばせていた。
はなみずき25の運営はここが勝負時と先日、夏に行われるはなみずき25のドームツアーを発表したばかりだ。
ツアーのラストには秋に発売する新曲の披露も決定し、ファンへのサプライズにすることも決まっていた。
新曲の制作が決まれば忙しくなるのは、はなみずき25とかすみそう25の作曲を手掛ける安本源次郎だ。
その日も安本は作曲家から上がってきた音源を朝から聞きこみ、次の作品のイメージを探っていた。
グループが有名になると、作曲家たちの気合も違ってくる。
これまでも安本のアイドルへの提供であるため、下手な作品を上げれないと気合は入っていたのだが、今回は作家としての冒険心やグループへのイメージが音に乗っているのが分かる。
何よりもインスピレーション得た作家たちが筆を思いのままふるってしまったおかげで、いつもよりも多い作品数が安本の元に届いてしまった。
普段3時間程度の睡眠時間さえ削らなくてはいけないような、膨大な作品数。
その中からメインに据え音源を決めるのは、さすがの安本源次郎でも一苦労だったようだ。
「じゃあ、次の曲はこれで行こうか」
「わかりました」
疲れた様子の安本が、側近の立木へ採用した音源を伝える。
音が決まれば、今度は本職の作業に入らなくてはいけない。
椅子に体を預けた安本を心配そうに見つめる立木がいた。
元々バケモノじみた仕事量の安本ではあったが、今回ばかりはつらそうに見える。
そんな立木の視線を見て、笑みを浮かべた安本は信じられないことを言い出す。
「ああ、そうだ。そろそろ次のアルバムも考えないとな」
まだまだ大丈夫だと、自分に向けられた心配を笑い飛ばす安本。
そんな安本を見て、立木はため息を落として応える。
「……ライブスケジュールも詰まってきそうですね」
本当は自分の大将を心配したいのに、その大将は自分の心配などお構いなしで次の一手を口にする。
「まあ、仕方ないさ。彼女たちには頑張ってもらおう」
「そうですね」
この人の眼にはアイドルしか映っていないかのように見える。
事実そうなんだろうと、立木は思う。
年のせいか、最近の安本の肌艶はあまり良くはない。
だがこういった時にとんでもない曲を書き上げるのも安本源次郎という男だと知っている。
しかし、その日は違ったのだ。
立木に向けていた安本の笑顔が消える。
目の焦点の合わない、うつろな表情。
安本自身も、自分に何が起こったのかわかっていない様子だ。
「……?」
「大将、どうしました?」
いつもと違う安本に戸惑う立木。
立木の背に何か、不穏なものが駆け上がる。
「あ、いや。……なんでもない」
「そうですか。じゃあ、これ伝えてきます」
製作スタッフへの通達に向かおうとする立木だったが、どうしたことか、立木の足がそれを拒否するようにその場を動かない。
「ああ、頼ん……だ」
「大将?」
返事をした安本の額に大きな汗が浮かんでいる。
その割に顔色は、段々と白くなっていくのが分かるほど。
いや、そんな訳はない。
目の前の光景を否定しようと、立木は必死に駆け寄ろうとする自分の身体を止める。
「ぐっ! ……」
「た、大将!!!!!」
安本の短いうめき声を聞いた立木は、もう自分を制止することもできずに安本へと駆け寄る。
立木の声に机に突っ伏した安本が、必死に応えようと頭を持ち上げる。
「だ、大……丈夫、……大丈夫だ」
だがそれは叶わず言葉とは裏腹に、事態のひっ迫さを演出してしまう。
こんな状況で何が大丈夫なんだと、珍しく立木が安本を感情のまま叱りつける。
「そんな訳ないじゃないですか!? 誰か!!! 誰か来てくれ!!!」
「立木、大丈夫だから……」
二人しかいない安本の作詞部屋に立木は人を呼ぼうと、大きな声を張り上げていた。
それを止めようとする安本の弱弱しい声が口から漏れている。
そこで安本は目も開けていられない事態なんだと、ようやく自分に起こった何かの重大性に気が付く。
「大将!!!!! 大将!!! おい!!!! 誰か! 誰か!!!!!」
動転した立木の声だけが響く。
扉の向こうで数人の足音が聞こえても、立木はその声をのどがかれるまで叫んでいた。




