二百九十一話
お披露目ライブが終わり、舞台裏へとメンバーが帰ってくる。
あいを含めほぼ全員が、開演前の重苦しい雰囲気から解放されたことを喜んでいた。
はなみずき25の絶対的エースがいないという、グループ史上初めての大事件。
だが、現センターの美祢のパフォーマンスで無事終えることができた。
ただ少しだけ問題を残す事態に陥ったのだが、それよりも大きな問題が去ったことのほうがスタッフ含めたライブ関係者には大きかった。
喜ぶメンバー、スタッフ陣を横目に美祢が智里に寄り添い、小さな声で告げた。
「智里、ありがとうね」
「……みーさん」
声が掛かった智里は、驚きながらも美祢へと振り向く。
しかし、美祢も別の方向を向いてしまったため智里がその顔を確認することはできない。
「ゴメン、ちょっと一人になるってみんなに言っておいて」
「……っ! ……みーさん」
一人、舞台裏の暗闇へと消えていく美祢の背中。
引き留めたい智里。だがそれはできない。
智里にはその背中が、何故だか泣いているかのように見えてしまったから。
ホールの屋上。
ライブが終わった今、ここに来る人はいないと美祢は風に吹かれていた。
ようやく終わったというひと時の安堵。
だが、どうしても美祢には納得できない怒りにも似た感情が渦巻いていた。
またあんな状態でパフォーマンスをしてしまったという罪悪感。
本多に注意されてから、自分でも抑えていたはずのあの全能感。
あれがまた顔を出してしまった。
かすみそう25での活動で、何とかコントロール出来ていたと思っていたのに。
よりによって、本多の最後の振り付けの楽曲でやってしまった。
美祢は拳を握りしめる。
もちろんそれも問題なのだが、何よりもなぜ自分のとなりに花菜はいない?
ただ花菜の隣に立つためだけにアイドルをしていたはずなのに。
前作は自分のスケジュールの都合で、今回は花菜のケガで。
美祢の脳内で、誰かがささやく。
これからも花菜のとなりに、自分が立つことは無い。
否定しようにも、今の美祢にはそれを否定するだけの材料はない。
だがその言葉に、怒りが無いわけではない。
悲しみと怒りの渦巻く美祢の背中は、誰も話しかけてくれるなと言っていた。
だがそんなことは気にしない、いや、そんな背中をしている美祢を見てしまったからこそ声をかけずにはいられない男が屋上へとやってきた。
「美祢ちゃん。お疲れ様」
本来、敷地内禁煙のはずのイベントホール。その屋上で堂々と煙草を吸いに来た問題児。
主は咥えていたタバコを箱に戻して、美祢に声をかける。
「先生、来てたんですね」
美祢は振り返りもせず、主に応えた。
主にもその背中は泣いているように見えた。
理由は……花菜のことが関係しているのだろう。
あれほど望んでいた場所に、花菜の姿がないという事実がその背中を泣かせている。
主は無力感を覚えた。
掛ける言葉がない。
その涙を止めたいと願って声をかけたのに。
主は無力感を表には出さず、美祢に答える。
「まあ、僕が書いた曲のお披露目でもあるからね」
明るく聞こえただろうか?
美祢の背中が少し震えたように見える。
主が力なく視線を落とすと、美祢は上を向いて主にお願いをする。
「先生……後ろ向いて下さい」
「良いけど……どうしたの?」
主は美祢の言うとおりに後ろを向く。
たぶんこの後何があるかも知っている。
だが、美祢の顔が見えないことが主を不安にさせる。
「だって、ひどい顔してるから」
「そんなことないと思うけど……これでいい?」
初対面の時から、主が美祢の顔をヒドイと想ったことは無い。
しかし、見られたくはない顔があることも知っている。
そんな表情すら見たいという下衆な感情を蹴散らして、主は顔も完全に美祢とは別の方向を見る。
力ない美祢の感触が、主の背中に到達する。
服越しに美祢の熱が主に伝わる。
無粋にもドキドキする自分の心臓が嫌になる。
だが、その背中を動かすことはできない。
「……ごめんなさい」
小さな声で美祢が言う。
謝られることなどない。
「何が?」
「また、背中汚しちゃう」
美祢の言葉で以前の記憶が、主の中に蘇る。
何回かこうして背中で泣いていた美祢。
主には誇らしい思い出なのだが、美祢には違うようだ。
だから主は、そのことを忘れたようにふるまう。
「前にあったっけ?」
「ありましたよ」
「そうだっけ? ゴメンね、覚えてないかも」
とぼける主の言葉は、どこか演技がかったように聞こえる。
主なりのやさしさ。
どうして、この人は自分にこうも寄り添ってくれるのだろうか?
こんなにも自分勝手な自分なんかに。
こんな自分を見られたくはない。
こんな状態の自分の言葉を聞かせたくはない。
でも、……離れたくない。
離れたら、きっと倒れてしまうから。
「先生の嘘つき」
「あはは……服は全然いいからね」
泣いても良いと言われてしまった。
主のやさしさに甘えてもいいんだろうか?
美祢は口にしたくはない、けど、頭の中で何度も響く言葉を口から漏らしてしまう。
「……ねぇ、先生? ……私の夢は叶わないのかもしれませんね」
「そんなことない」
主は即座に否定してくれた。
たぶん、その根拠はない。
でも、そんなことは無いと力強く否定してくれた。
「だって……」
「叶うよ」
優しい主の言葉が、美祢の中に響いていく。
先ほどまで鳴り止まなかった言葉たちが、どこかへ消えていく。
「……」
「大丈夫。絶対叶う」
繰り返された言葉に、美祢の感情は爆発してしまう。
「っっっ!!!! っ~~~~~!!!!!」
「……」
背中に押し付けられた美祢の顔。
その感じる吐息、涙の熱さ。
そんな雰囲気ではないのは、百も承知しているのだが。
何故だか主は、この状況に少しだけ……幸せを感じてしまうのだった。




