二百八十七話
収録が終わり、美祢はスタジオから楽屋へと歩いていた。多少の犠牲はあったが、スタッフや青色千号の反応を見れば良くできた方だろう。
問題は智里をファンに上手く紹介出来たかだが、そこは編集のスタッフにおまかせするしかない。
花菜のいない収録、その違和感を上手く誤魔化してくれることを祈るしかない。
美祢の口の中にはまだ、今日の代償の味が広がる気がするのだから。
「あ~、まだ酸っぱい気がする」
「大丈夫ですか? 美祢さん」
呟きに返答が返ってきた。まずい。
美祢はとっさに表情を作り直す。声の主に自分の不安を伝えては、今日なんのために犠牲を払ったのか。意味がなくなってしまう。
「コラ、智里。呼び方」
「あ、みーさん……本当に大丈夫なんですよね?」
「うん。体に悪いものじゃないのは確か」
「いえ、そうじゃなくって。……花菜さんは?」
やはり、花菜がいないというのは、はなみずき25にとって大問題なんだと痛感する。
加入間もない智里でさえ、こうして何度も確認するほど。
美祢は本多の言葉を思い出しながら、自分の力不足を恥じる。
花菜がいない状態で、はなみずき25を引っ張るのは、センターの片割れの自分しかいないというのに。
不安を圧し殺して、美祢は笑顔の仮面を慎重につけ直す。
感のいい智里にバレてはいけないと。
「もぉ~! 大丈夫だって。花菜が簡単にアイドル辞めると思う?」
「そりゃ思いませんけど」
そう、これは本心でもあり、グループ内の共通認識。だから大丈夫。
美祢は自分の不安を納めると、話題を変える。
これ以上不安になる言葉も、誰かの不安な顔も見ることがないように。……蓋が開いてしまわぬように。
「ん~。智里、敬語やめない?」
「やめません。タメ口なんて先輩に無理です」
真面目な智里は、美祢の提案を即座に却下する。
それも智里の魅力だとわかっているが、美祢は食い下がる。
「むぅ~。もっと仲の良さアピールしないと」
「なんですか? 急に」
美祢の呟きに、怪訝な表情を返す智里。
そんなことはお構い無く、美祢の提案は続く。
「妹って設定にしない?」
「しませんよ。なんですか?」
「ファンの人に喜んでもらえると思うんだよね」
メンバー同士が、仲が良いことを嫌うファンはいない。
色々なメンバーと交流があれば、聞こえてくるエピソードは増えるし、ブログ等での登場回数が増えるからだ。
なにより、近しいメンバーから見た推しメンの姿が、画面外の素の姿を想像させる。
時には、あり得ない関係性を想像させることもあるのだが……。
「百合営業は嫌です」
「ゆり営業?」
智里の拒否する理由に、美祢は疑問符を浮かべてしまう。
それを見た智里は、顔を背けて話題を終わらせにかかる。
「んん!! とにかく、作った設定ってバレたら大変ですから」
「仕方ない。地道に距離を縮めていくか」
もっともらしい智里の言葉に、美祢は引き下がる様子を見せる。だが、仲良し作戦は決行するようだ。
「諦める気は無いんですね」
いつもは後輩の自分たちを尊重してくれる美祢だが、時折後輩の言葉が届かなくなる美祢。
今日は主がいないのにと、智里は思わずため息を落とす。
「智里が早く受け入れてもらえるようにしないと」
「大丈夫ですよ。信じましょう」
「そっか。うん、そうだね」
「そうです」
そう、はなみずき25のファンは、美祢が心配するようなことはないはずだ。
無理矢理な理由でステージに上がった自分を許してくれた人達なんだから。
智里は確信をもって言い切る。
「お姉ちゃんって呼んでもらえるように頑張らないと!」
「諦めないんですね」
「うん! 仲が良いのは良いことだからね」
ファンに対して心配が無いと納得したと思った美祢が、また設定を持ち出す。
他のかすみそう25の年下メンバーなら、美祢の提案を違和感なく受け入れたかもしれない。
だけど、自分がそんなことをするか?
智里は、美祢に甘える自分の姿を想像出来ない。
決して嫌いだからとかではない。
美祢のことはもちろん好きだ。
逆に美祢が自分を妹のように愛でる姿は、容易に想像できる。
妹を通り越して娘を愛でていた姿を知っているから。
それを素直に受け入れている自分を智里は、想像出来ない。
そんなことを考えていたら、想像の中の智里が、妹のように愛でている美祢の手から逃げ出している。
うん、やっぱり難しいだろう。
ても結局美祢は諦めないのだろう。
仕方ない。たまになら我慢する覚悟を決めた智里がいた。
だか一つ確認しないといけない。
「誰の受け売りですか?」
まあ、恐らく冴えない作家先生の言葉なんだろうと、智里はもう一つため息を落とす。
「一般論でしょ」
「まあ、そうですね」
確かに『仲良き事は美しきかな』何て言葉があるくらいだ。
なんだ、違ったんだ。
智里は少しの違和感を感じながらも、納得したようにうなずいて見せるのだった。




