二百八十四話
花菜の負傷はメンバー全員の知る所となった。
冠番組の『はなみずきの木の下で』の楽屋は、いつもなら騒がしいを何倍かに濃縮した有様なのに、今日はシンと静まり返っている。
そんな中、誰よりも身の置き場のなさそうな智里の姿。
まだ先輩たちとそれほど仲も良くはない。先輩たちも自分の感じる不安と戦い空気が張り詰めている。
先輩のため息や咳払いで、智里の肩が震えている。
美祢が楽屋に帰ってくると、かすみそう25での印象と真逆の智里を見つける。
「智里、大丈夫?」
「……美祢さん。美祢さんは……?」
大丈夫なんですか?
こんなにもピリついた空気でも、美祢の表情は智里の知っているいつもの表情のままだ。
むしろ、なんで大丈夫そうなんだと不思議そうな顔まで見せている。
そんな智里の顔を見て、美祢はため息を落とし少し怒ったような表情に変わる。
「コラ! 智里。『みーさん』って呼ぶんでしょ!? 始めたなら最後までやり切ること!」
「え? ……そ、そうじゃなくって。あ、あの……花菜さん」
そんなことを言ってるわけではないと、智里が動揺してしまう。
花菜の、はなみずき25のエースの負傷が、心配ないのかと問われてしまう。
智里も美祢と花菜が親友だということは知っている。それなのに、美祢のこの態度。
まるでいつもと何も変わらないような、そんな姿に智里は美祢という人物の顔がわからなくなってしまう。
だが、美祢は笑顔ではっきりと言う。
楽屋にいる全員に聞こえるように声を高らかに。
「大丈夫! 花菜はすぐ戻ってくるから! 智里、今日はしっかり笑顔だからね」
「でも……」
美祢の言葉は、何かの確信があるかのように力強い。
それでも智里は、美祢の言葉を信じきることができない。
暗くした顔を伏せてしまう。
「はなみずき25のファンのみんなに、智里を知ってもらう回なんだから! しっかり笑顔決めていかないと!」
「……」
そう、今日の企画は急きょ加入した智里の紹介企画。
新しいメンバーをファンに知ってもらうために、何枚ものアンケートにも答えた。
だが、そんなことをしている場合なんだろうかと疑問に感じてしまう。
ファンが知りたいのは、自分のことよりも花菜の容態。
花菜のいないはなみずき25に、どんな言葉が待っているのか……智里は想像もしたくはなかった。
そんな時期に、自分の紹介なんてやって何の意味があるんだろうか?
智里の頭の中には、ネガティブな想像だけが広がっていく。
美祢は申し訳なさそうな表情で智里を見ていた。
本当ならもっと意気込んできてもよさそうな日に。花菜のことで智里の表情がふさぎ込んでいる。
本当なら、今回のことも身内ではあるが他人事で済ませられる話のはずだった。
なのに、こうして一番割を食う形になってしまっている。
美祢の夢のために、智里の笑顔が犠牲になる。
なのに、美祢は智里に謝ることしかできない。
「……智里。ゴメンね? 花菜のことでそんな顔させちゃって。でもね、あなたはいっぱい頑張らなきゃいけない時なんだから。かすみそう25の時みたいにしっかりしないでいいんだよ? ここには先輩しかいないんだから、いっぱい甘えて良いの」
「……美祢さん」
美祢に抱かれて、その腕を握る。
美祢の腕が震えている。
そうか。美祢も不安だったんだと、智里は理解した。
不安で、今にも泣きそうなのに、自分という後輩のために。
自分も不安だと言うのに。
かすみそう25の一期生としての矢作智里の顔が上がる。
仲間たちと誓った、あの時を思い出して。
今支えられるのは、自分しかいない。
不安ながらも智里の顔が上がる。
智里の眼に、ようやく美祢の顔が見えてくる。
少し怒ったような顔の美祢が。
何でそんな表情? 智里の頭に疑問符が浮かぶ。
「あ、ほら! また違ってる! ほらほら! みーさんって呼んで」
「み、みーさん」
美祢の勢いに圧されて、ふざけて呼び始めた愛称が口から漏れる。
その智里の言葉に、美祢は破顔して再び智里をきつく抱きしめる。
「智里! いっぱい甘えてね」
「……はい」
優しい姉の様に、自分を抱く美祢。
智里はそんな美祢の体温が嫌いではなかった。
スタジオの準備が終わり、ようやく収録が始まろうとしていた。
スタジオに入ってくるはなみずき25のメンバーの顔は、軒並み暗い。
花菜の件はスタッフにも伝わっているようで、そんな暗い表情のメンバーになんと声をかけて良いものかと戸惑っている。
収録現場の空気は良くはない。
そんな空気を目の当たりにすると、これまでの収録で大人たちが自分達にどれほど気を遣っていたのかがよくわかる。
それが分かっていながらも、メンバーはどうにも上がらない士気とともにた。
「はなみずき25のみなさん、入りまーす!!」
「よろしくお願いします!!」
暗いメンバーの中で、美祢はいつも通りに明るく、大きな挨拶をする。
それは、この空気を吹き飛ばす程ではなかったが、上の大人たちの不安を少しだけ和らげたのだった。
青色千号の片桐は、打ち合わせをしていた本間を伴ってメンバーへと歩み寄る。
「あい、ちょっといいか?」
「はい」
少し離れた場所で、片桐に呼ばれたあいが本間と片桐の顔を見上げる。
それは表情で分かった。
多分企画の変更。
そして台本のない企画になるかもしれないことを示唆していた。
「どうする? 花菜のこともあるし、企画かえようかって話してたんだけど」
「あ、そうですね……」
企画の変更が与えるダメージは計り知れない。
バラエティー番組である『はなみずきの木の下で』において、台本の変更は番組成立の是非に関わってくる。それでも企画の変更を検討しているということは、自分達アイドルの不甲斐なさだろう。
きっと切り替えることが難しいと判断されたのだ。
今後バラエティー番組での活躍を夢見るあいにとって、それは受け入れがたい判断だ。
それでもメンバーの顔を見れば、それも仕方がないとあいさえ思う。
わかりました。そう口にしようとしたあいの背後から、メンバーの声が聞こえる。
「大丈夫です!」
「み、美祢!?」
美祢が自信ありげにあいと大人たちを見ている。
出来るだろうか? あいはどんな顔をして大人たちのほうを向けばいいか思案していた。
だが、美祢の眼はまっすぐだ。
一番動揺しているはずの美祢が、こう言っている。
あいは美祢と同じ表情で、片桐たちに答えを示す。
「ただ、智里がちょっと緊張してるんで、少しだけ変更お願いできますか?」
美祢はすまなそうに手を合わせている。
そんな美祢を見た片桐たちは、どうするべきかとお互いの顔を見るしかなかった。




