二百八十二話
花菜の膝が壊れた翌日、花菜はまだ病室にいた。
「美祢……泣いてたね」
先ほど帰った美祢を思い出す。
青い顔をして駆け込んできたと思ったら、ひとしきり泣き、気が済んだら笑顔になって出ていってしまった。
美祢は花菜に、『花菜の場所は私が護るから!』と宣言していた。
そんな美祢に花菜の感情は追い付くことができないでいた。
一緒に来たはずのはなみずき25のリーダー、小山あいはまだ花菜の傍らにいる。
ジクジクと痛む膝を見ながら、先ほどの光景を呟く。
美祢があんなに泣いてるのを見るのは、いったいいつぶりだろう?
少なくとも自分の前で泣いている美祢という記憶に、心当たりがない。
花菜は美祢にも涙があったんだと、あいに聞いてしまう。
ため息を落として、あいは答える。
自分の見てきた美祢と、花菜の中にいる美祢。関係性で見える姿が違うのは当たり前だ。
だが、問題はそこじゃない。
もっと、シンプルな理由で美祢が泣いていたことを花菜は知るべきだ。
「そら泣くやろ。親友やねんから」
あいには、ようやく花菜と美祢の歪さが見えたような気がした。
幼いころからの関係性。それは成長と共に変化して当然なのだ。
だが、二人はその変化を望んでいない。
その無茶な願望が強いのは、花菜のほうだったのかと、そこだけは意外に思うのだった。
しかし、事実として二人がお互いを親友だと思っている。
だから、美祢の涙に理由なんて必要ない。
そんなことには、無頓着な花菜にため息をつかざるを得ない。
あいの言葉に、どうやら納得したような花菜の表情。
そして、花菜はようやくあいのほうを見る。
「そっか。……あいリーもこの後泣くの?」
泣いてほしいという要望ではない。
ただ、純粋な興味であることは、あいにも理解できた。
自分は泣くのだろうか?
いや、泣ける立場ではない。
負傷者を出したグループに対して、世間は苛烈になりやすい。
それを受け止める立場に居なくてはいけない。
初めは望んではいなかったが、自分はアイドルグループ『はなみずき25』のリーダーなんだから。
そう決めたあいは、花菜に呆れたような視線を見せる。
美祢の様に泣ける立場ではない。
演技を勉強していて、助かった。
「なんで泣かなきゃいけないん?」
「え? 泣かないの?」
意外そうな花菜の声。
そこには悲しい気持ちは無く、ただただ意外そうなだけ。
気を抜くと沸騰してしまいそうな感情に蓋をして、あいはおどけた所作を見せる。
「泣いてる暇なんてあらへん。あんたがいない間に実績作って不戦勝狙いなんやから」
スカウト組と花菜、そして美祢の間に存在する、密約。
花菜と美祢に勝てるのなら、アイドルを辞めてもいいという、何とも勝手な約束。
あいは、花菜がこんな状態でもそれは変わらないと言っていた。
それは、アイドル高尾花菜に対する絶対的な信頼でもあった。
足を怪我したから、花菜がアイドルを辞めるのか?
否だ。断じて否。
そんな考えの花菜であれば、もっと自分達は簡単にアイドルを辞めていた。
だから、花菜。あんたは絶対に復帰する。
あいは確信をもって花菜を見る。
花菜はあいの視線を受けて、ようやく痛み以外の涙を流す。
花菜にもどこかでわかっていた。
自分のケガが、はなみずき25にどんな影響を受けるのか。
批判は免れない。
それは、プロとして準備を怠った自分をはじめ、管理を怠った大人たち。何より普段から一緒にいるメンバーにも迷惑をかけるだろう。その中でも美祢は特にファンから色々と言われるに違いない。
普段から親友だと公言していたのに、不調にすら気が付かないのか? と言われるに違いない。
絶対的に悪いのは自分なのに。
悪いのが自分だと、花菜は知っているのに。世間はそれを許してはくれない。
自分が美祢の足を引っ張っている。
美祢が自分のとなりに来るまで、どれほどの代償を払ったのか知っている。
新しいグループを自分達のグループと並ぶまで引き上げた美祢。
手薄になったグループに、新しい風をもたらしてくれた美祢。
何より、自分のとなりまで駆けあがってくれた。あの宣言通りに。
なのに、なのに前作に続き今作も美祢のとなりに自分がいない。
どこかで望んでいたはずなのに、ままならない現実が花菜の眼にも映った。
美祢が加入してきたときに夢見ていた淡い感情が、花菜の心を刺激する。
その刺激は、波となり花菜の身体を満たして涙を押し出す。
自分が泣いていい立場だと思っていないのに、それでも涙は止まってくれなかった。
涙を流しながらも、花菜の気丈さは言葉となってあいに届く。
「えー。ちゃんとズルいじゃん」
「そや。私はあんたらと違って大人やからな」
あいは、花菜の頭を抱きかかえる。
花菜が涙を見られるのを嫌っているのを知っているから。
例え自分であっても、それが美祢であっても。
花菜は泣き方を知らないから。




