二百七十八話
そして期限の一か月が過ぎた。
レッスン場に数台のカメラが設置されている。
この結果を番組で放送し、新しいフォーメーション発表とする予定になっている。
カメラの下の長机に座るダンスチームの面々。本多忠生最後の仕事ということもあり、全員がそろっている。
リョウもとなりに座るマサに居心地の悪さを見せながらも、席を立つ様子すらない。
全員がメンバーにいつもは見せないような、厳しい表情を見せている。
中央に座る本多は、そんな部下たちとは正反対に笑顔を見せている。
まるで自分の最後の仕事とは感じさせないほどだ。
「よし! 今日が期限の一か月だ! お前らの成果を見せてくれ」
「はい!」
整列したメンバーの表情は固い。
前方から発せられる圧力に気圧されている。
「じゃあ、先ずは後列組」
本多の声で前に出ていくメンバーを美祢は見送る。
並んだメンバーは、緊張しているように見える。
中でも宿木ももは、誰よりも硬い表情をしていた。
珍しいと美祢の視線が、ももに固定される。
音楽が流れ、メンバーが一斉にステップを刻み始める。大きなミスは誰にもない。
だが、その中でもひときわ目を引くのは、やはりももだ。
他のメンバーが音を追うのに精いっぱいの中、ももはダンスの中に込められたメッセージを追っていた。
歌詞だけではなく、本多の声をダンスの中から拾い上げようとしていた。
歌詞が聞き手に向けられているのならば、本多の声はメンバーに向けられていた。
歌詞の様にまたいつか会えるときを楽しみにしていると、成長した姿を自分に見せて欲しいと言っていた。
めぐる季節の様に、また出会う時も来るだろう。その時まで自分の言葉を忘れないで欲しい。
新緑の輝く季節に、また会おう。
再会を前提にした別れの歌。『花散る頃』の歌詞を本多はメンバーへと送っている。
後列のダンスは優しい言葉だった。
ももは、それをくみ取ったうえで悔しさを滲ませる。
本多にこんな言葉を言わせてしまう弱い自分が許せない。
もっと言われたい言葉も言いたい言葉もあったのに。それはセンターから逃げた自分では、貰うことも言うこともできない。
ももを中心に目立ったミスなく踊り終えるメンバーたち。
その表情を見て、本多は満足そうにうなずく。
「よし、問題なさそうだな。今東! テンポがずれる瞬間あるから音をよく聞いてな」
「はい、ありがとうございました」
最後まで優しい言葉だけを残して、後列組は本多に見送られる。
その胸中は違っても、本多の残した最後の宿題に向き合うこ時が来るだろう。
いつどこでに違いはあっても。彼女たちも本多の最後の教え子なのだから。
「じゃあフロント組いくぞ」
フロント組を踊る5名。古蔵夏生を含めたセンター脱落組と矢作智里を含む元々の志願組に分かれている。だが、その差は大きく離れてはいない。
誰もが息を合わせたように、揃ったダンスを見せている。
その中でもやはり、このダンスの難しさを理解してフロントを希望した智里の頭はわずかに上を行っていた。
智里のその表情。彼女も振り付けから本多の声を拾っていた。
止まっていないで走れと。あと一歩は自分で踏み出すんだという激励だ。
後列よりも難易度の低いダンス。
センターの後ろで、何が足りないのか考えるように言っていた。
答えを間近で観察して、その答えを探す様にと。
「まあ、さすがに問題なさそうだな。あとはちゃんと体に染み込ませていけ」
「はい!」
本多の声を拾うことができれば、いつかは踊れる時が来るだろう。
誰が欠けてもセンターを空けるなと、次はお前たちの番だと言われているのだから。
ここまで大きな問題なくポディションが決定していく。
問題はこの場所だ。
志願者は8名。
リーダーの小山あいを筆頭に、香山恵、小山操のスカウト組3名。柏木美沙、黒田優紀、中村芽以の。そして高尾花菜と賀來村美祢。
スカウト組もオーディション組も関係なく、その位置を狙っている。
特にオーディション組の年長メンバーでもある柏木美沙と中村芽以は、自分にとってラストチャンスだと意気込んでいた。
ともに22歳。アイドルとして年長者と言われてしまう現状。
そんな彼女たちは3列目を踊る楽曲が多い。
人気が関係する人選では、今一つ抜け出ることができない。
だが、この楽曲に関しては踊れることだけが正義。
自分が前に立つチャンスがあるなら、ここしかないと。
「さてと、センター組か」
「早く」
本多を急かす花菜。
いつも以上に前のめりな花菜にため息を落とす。
「高尾、そう急かすなって。……無理だと思ったら必ず止まること」
「はい!」
花菜に注意したつもりだったが、花菜以外のメンバーが返事をしてしまう。
当の本人は自分に言われている自覚もないようだ。
「よし、曲流して」
ダンスチームの厳しい目が、さらに厳しく光る。
踊り始めて少し経つと、ダンスチームの何人かが本多の元にチェックシートを提出する。
それを確認した本多は、無情な宣告を告げる。
「小山、香山、黒田。お前らは抜けろ」
「……」
呼ばれた3名は、表情を変える様子もなく列を抜けて下がる。
「何となく、それっぽくじゃ客にバレるぞ。手を抜くなら抜き方を覚えろ」
「……はい」
何も手を抜くことが悪いわけじゃないと本多は言う。
だが、それでもパフォーマンスを落とさず手を抜く方法があるんじゃないかと言った。
ステージで何曲も歌い、踊る彼女たち。
時に3時間を超えるステージを常に全力疾走などできるはずもない。
だから、そうは見えないように手を抜く技術を覚えろ。
本多の言う言葉が本当に届いているのかは、これからということになるだろう。
最初のサビまで来ると、その実力差は次第に明白となってくる。
「残りは……小山と柏木、中村に高尾と賀來村か」
「ボス、小山と柏木は」
マサが本多に進言する。二人は踊れないと。
「……だな。仕掛けに気づきもしないな」
通常のターンではタイミングが合わない振り付けになっている。
だがそれに気づかず、二人はただ我武者羅に踊っていた。
振り付けをなぞるだけで精いっぱいなのだろう。もしくは思い込みで振り付けの確認不足だったか。
どちらにしろ、これを合格にはできない。
残る3人にも明確に違いが出てくる。
中村芽以がふらつき出している。
それを見たリョウは、本多に聞こえるように自分の見解を口にする。
「中村ちゃんはもう無理ね」
純粋な体力不足。蹴り足の力だけでは回れないということを理解した芽以は、手足をその体の中心に集めて回転力を高める作戦に出た。
だが、その動作は止まるために余計な力を消費し、次に来る振りへの負担となり体力を浪費してしまう。
結果、最後まで踊ることができなかった。
ターンにだけ意識が向かい、その他がおろそかになってしまう。
中村芽以は、列を離れると顔をタオルに押し付けて泣き始めた。




