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二百七十七話

 主の手が挙がっていることに、美祢の思考は止まってしまう。

 美祢をして難曲と言わしめる『花散る頃』。その最難関のターンを素人同然の主がやってのけたのだ。

 どうして?

 美祢の頭の中に、いくつもの疑問符が浮かんでしまう。

 しかも、踊った張本人の主は、自分が何をしでかしたのかさえ分かっていない。

 なんとも気の抜けた表情で、美祢を見ている。

 主に限ってそんなことはない。そう想ってはいるが、疑問符に埋め尽くされた美祢は、ついつい口をついて、普段なら言わないセリフを口にする。

「あってたんですけど……ターンしましたか?」

 主はターンをしなかった。それなら、納得できるし、音に合わせて手を挙げることもできる。

 むしろ、そうでないのなら説明がつかない。そうまで思ってしまう美祢がいた。


 だが、主の答えは違っていた。

「え、う、うん」

 ターンはした。主は確かにそう言った。

 美祢の温度を感じさせない言葉に戸惑いながらも。

 ターンをした?

 じゃあ、なんで?

 もしかして、タイミングがずれていることに気が付いていないのでは?

 リズムを取ることに慣れていないのなら、間に合っているかどうかすら気がついていないもかもしれない。

「手……間に合いました?」

「たぶん……ジャン! で、手をッス、だったよね?」

 確かにそのタイミングで間違いはない。

 ターンもしたし、タイミングも間違っていない。

 なら、主は本多の仕掛けた難所をクリアしたことになる。

「はい。……先生。もう一度やってくれませんか?」

 主がウソを言っていないというのは、美祢にもわかっている。

 だが、どうしても信じきれない美祢がいる。

 いくら主の言葉であっても、ダンスに関しては信じきることができないでいる。

「え、ああ。うん。いいよ」

 主にも美祢の不信感が伝わっているのだろう。

 先ほどとは違って、主の表情も硬くなっている。

 だが、美祢の頼みだと言い聞かせて、疲労感を感じる体に鞭を打つ。


 結論から言えば、主の言葉はあっていた。

 美祢の眼の前で、美祢の踊れなかったターンを決めてしっかりと次の振りに移行している。

 主のたどたどしいダンスではあったが、ターンの瞬間のみにだけ本多が乗り移ったかのようにスムーズに動いている。

 念のため、携帯で撮影していた主のダンスを何度も確認する。

 しかし、何度見ても主はターンを成功させている以外の結論は出てこない。

「あってる。音とターンがあってる」

「……あってたら、おかしい?」

 美祢のつぶやくような言葉に、主は流石に口をはさむ。

 自分で教えた振り付けなのに、まるで出来ていたらおかしいような言い方の美祢。

 実際、その困難さをわかっていない主は、美祢に向かって初めて怪訝な表情を向けるのだ。

「っえ!? あ、そうじゃないんです! ……そうじゃないんですけど」

 いくらなんでも、失礼な態度だったと取り繕う美祢。

 だが、どうしても理解できない主のダンスから意識を離すことができないでいる。


 美祢は素直に主に相談を始める。

 今踊っていたダンスが、正確に踊れないでいることを。

 なのに、主がほぼ初見で正確に踊っていることが不思議でならないと。

 あのターンが、美祢の感じる最大の難所であること。

 いつしか、何時ものように主に相談してしまっている。

 美祢の相談に、主は耳を傾ける。

 そして、美祢が疑問を口にすれば、なるほどと納得するのだった。

「あ、そういうこと!?」

「はい」

 どう説明したものかと、主の表情に思案が宿る。

 口にしたら、美祢を怒らせるかもしれない。

 でも、美祢に答えるには正直に話すしかなさそうだと。

 まずは、ここから始めないとと、主は美祢に頭を下げる。

「あ~、ごめん。美祢ちゃん」

「?」

 いきなり主に謝られた美祢は、何に対しての謝罪なのか見当もついていない。

 また新しい疑問符が点灯する。

「実はさ、ダンスの技術以外で回ってるんだよね」

「ダンス以外?」

 ダンスを教えてもらっておきながら、ついつい無意識に染みついた動きをしていたことを話す。

 そうそれは、主が2年間ただひたすら動きの習得に費やして手にしたモノ。


 バツの悪い表情を浮かべながら、その技法を口にする。

「う~ん。まあ、詳しい経緯は省くけど、古武術の『膝抜き』って技法を使たんだ」

「『膝抜き』?」

 主の使った膝抜きは、間宮流弓術で習ったものだ。

 脱力と自然落下を使って、重心を落とし回転の手助けとするもの。

 主はそれをひたすらに行い、間宮流弓術に新しい技を刻んだ功績を持っている。

 美祢が、ターンの時に本多と重ねたのは、そういうことだ。

 主の身体を反転させることに関しては、本多と錯覚させることができるほど洗練された技術を持っている。

 それを今までまともに披露する機会もなく、編集者の集まるサッカー大会で少しだけ応用するだけにとどまっていた。

 だが、それを簡単には説明できはしないし、あくまで間宮流弓術の技法の一部でもある。

 勝手に説明して良いものなのかという、ストッパーも主の中にあった。

「うん、要は自分の力以外の力で反転するの」

「くわしく! 詳しく教えてください!」

 なんとなく伝わればいいかな? 的な主の説明に美祢はこれ以上ないほど喰いついた。

 なぜなら、『花散る頃』を踊れるかもしれない光明だからだ。

 美祢を夢の場所に、花菜のとなりに連れていく大事な大事な切符。

 美祢が手放すはずはない。

 輝くような美祢の顔を見て、主の中の師範に申し訳ないというストッパーはあっさりと取り払われる。

 美祢が望むなら、教えることは問題にならない。

 だが……。

 

 主はふと腕時計に目を落とす。

 もうすぐ21時。

 かつて聞いていた、寮の門限はもう過ぎている。

 そんな状況で、自分といて良いものか?

「いいけど……時間大丈夫?」

「大丈夫です!」

 何も問題じゃないと美祢の表情は言っている。

 今! 今教えて欲しいです!

 そう、まるで愛犬が尻尾を振っているかのような、その表情に主は白旗を挙げる。

「……はぁ。わかった! 知る限りを全部教えるから」

「お願いします!」

 美祢の表情に明るさが戻った。

 本多の言っていた、『持てるすべてを使って』を知らず知らず実践した美祢は、メンバーの誰よりもセンターの近くにいた。

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