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二百七十六話

 薄暗いレッスン場に動く影が二つ。

 主と美祢が二人で踊っている。はなみずき25の新曲『花散る頃』の振り付けを。

 最初は美祢もこんなに慌ただしい振りを教えるつもりもなかったが、手元にある教材らしきものはこれしかない。

 それに本多の振り付けは難しいとはいえ、基本のステップが多い。

 そのいくつかを無理なくつなぎ合わせ、歌唱しながらのダンスであっても情感を訴える振りにしている。

 だから教材として、初心者に教えるのに適していないとは言い切れないモノになっている。

「そうそう! 先生上手っ!」

「そ、そうかな? っあっと!」

 笑顔の美祢に褒められて、反応した瞬間。主の足が少しだけもつれる。

 何とか持ち直し、主の眼には追い付かないタップダンス要素の強いパートに入っていく。

「大丈夫、そう! 足を前に出す時に一回、戻す時につま先で一回床を鳴らします」

「んん!? こ、こう?」

 主に次のふりを教えながら、美祢も主のとなりで踊っている。

 たどたどしい主のダンス。それを見て、美祢は最近で一番の笑顔を見せている。

 さっき花菜に踊ると宣言していたが、どうしても踊り切れない部分がある。

 美祢の中の引き出しには入っていない何か。

 それがわからない。

 だが、期限はある。

 踊れないという焦りが、美祢の根底に積もり始めていた。

 

 しかし、主に教えながらダンスするという今の状況は、それとはかけ離れた全くの別物。

 まるで花菜と一緒にアイドルのダンスをマネをしていたころのような楽しさがあった。

「そうです! 先生、本当にうまいですね」

「そ、そうかな?」

 美祢は正直驚いていた。

 ダンスを習い始めたとはいえ、それまで触れてこなかった分野。

 それなのに主は、まだまだ拙いが、踊れているのだ。

 何より主は、踊れないことの苦痛を見せない。

 性別も年齢も違うのに、主の表情に花菜の面影を感じてしまう。

 あの頃の花菜の面影を。

「で、ここでターンだよね?」

「……ターン。そうです」

 問題の箇所。

 美祢が踊れないと、『花散る頃』のセンターパートを踊れないと思ってしまう元凶の箇所。

 鏡を見れば笑っている主の横で、表情を暗くした自分がいる。

 情けない。

 あなたはそれでもアイドルなの?

 ファンには到底見せられない顔。

 それが美祢の身体をさらに縛り上げる。


 途中情けなさのあまり、足を止めたい衝動にかられた美祢だったが、主の練習の名目がそれを押し留めた。

 アウトロに合わせて、ゆっくりと最後のポーズへと向かっていく。

「手を広げて、抱きしめる」

 縮こまった美祢の身体は、疲労しているのに汗がうっすらとしか出ていない。

 主は、肩を激しく上下しながら大汗をかいている。

 もちろん、普段からの運動量の違いもあるだろう。

 だが、美祢にはそれがダンスを楽しめているかどうかと問われているように思えてしまう。

 あんなにも楽しかったはずのダンス。

 自分をアイドルとして支えてくれていたはずのダンスが、今は何故か怖い。

「うん、難しいね」

 疲労感の漂う主が、顔を上げる。

 その笑顔は、いつもの主だ。

 すがりたい気持ちをグッと堪える。

 主も自分のように新作を制作している時期だ。

 しかも今日の話では、2つも抱えている。

 そんな中で、美祢が主といられる時間は少ない。

 その少ない時間を、今までのように使いたくはなかった。


 なんとか笑顔を張り付けて、美祢は主に応える。

「ですよね。けど、これが基本かな?」

「へー。さすが本多さんだね」

 主の視線が美祢から外れて、モニターの中の本多に向かう。

 それが、少しだけホッとしたような、もっと自分を見ていて欲しかったような。

 複雑な感情が美祢の中に残る。

「じゃあ、一回音流してやってみましょうか」

「よし! がんばります」

 主の疲労は、美祢にもわかるほど。

 だが、その表情には気力が満ちている。

 その顔を見ると、先ほどのモヤモヤはどこかに行ってしまう。

 もっと一緒に居たい。

 その気持ちの乗った美祢の表情は、自然と明るく紅潮してしまう。

 美祢も自覚しているその気持ち。

 それを口にすることはできない。

 どうか気づいてほしい。でも気づかないで欲しい。

 新しい矛盾は、それでも美祢の表情を明るくするのだった。

「はい!」


 何度目かの通しで、美祢はあることに気が付く。

「え……先生。手……」

「え!? あ、あれ? ターンの後手を挙げる……じゃなかったっけ?」

 思わず足を止めて、美祢は主の挙がっている手を見つめる。

「いえ、……あってます」

 そう、合っている。

 ターンの後のアクション。右手を挙げて宙を握って胸元へと戻す振り。

 美祢の手は、そこで上がることはない。

 なのに、主の手は確かに上がっていた。

 手を挙げる振り付け、それの意味することが理解できない主は、怪訝な表情の美祢の言葉、振り付けがあっているという言葉にのみで安堵する。

「ああ、よかった。あってたんだ」

 美祢の表情から、不思議が取れない。

 なんで主の手が挙がるのか? なんで自分の手は挙がらないのか?

 曲が流れたまま、二人の影は止まったままだった。

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