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二百七十三話

 新曲制作に入った美祢の日常は忙しい。高校生最終学年になったというのに、登校できたのはまだ数えられるぐらいしかない。

 そして美祢のとなりで、智里も忙しい思いをしていた。

 新衣装の採寸、アーティスト写真の撮影。歌入れ、振り入れ。冠番組収録。全部、今までの倍の稼働状況だ。さらに美祢にはグループ外の仕事もしている。

 2つのグループを行き来するメンバーは、美祢と智里しかいない。

 必然的に美祢と同じ時間を共にすることが増えた。

 智里は、美祢と同じスケジュールで生活して分かったことがある。

 異常だ。

 美祢のこれまでのスケジュール調整が、異常なほど過密だと言わざるを得ない。

 それに加えて、美祢は進んで自主練習の時間も捻出している。

 おかしい。

 自分の先輩が、異常だとしか言えなかった。

 こんなにも余裕のない毎日を過ごしていながら、何故この先輩は、自分に笑顔を向けられるんだろうか?

 美祢が近くにいることで生じた智里の小さな劣等感は、智里の中にあるアイドル像に小さなひびを入れ始めていた。


 そうとは知らない残念な者が、智里へ声をかける。

 笑顔を満載させた主が、一枚の紙を手に智里へと走り寄ってくる。

 数日前に、立木がメンバーに通達を出していた。

 @滴主水が、社内に泊まり込みで作詞活動をするから一部区画には近寄らないようにと。

 これまでそれなりの実績と信用を勝ち取ってきた主だが、そこはさすがにアイドルを擁する芸能事務所。不穏な噂が出てこないように管理は徹底していた。

 だから、智里は主がこんな朝早い時間に事務所にいること自体は不思議に思わないのだが、何故自分にあんなにも笑顔で駆け寄ってくるのか? それが不思議で不穏でしかなかった。

「智里ちゃん! ソロ曲出来たよ!」

「はぁ、おめでとうございます?」

 智里は理解した。

 いわゆる、これが缶詰というやつかと。

 それから解放されたことが、そんなにも嬉しいんだろうと。

 だから、見知った顔の自分にその喜びをぶつけたいんだと。

 だがそれは間違っているのだ。

 智里のソロ曲を書き上げて、地獄の添削も無事に乗り越えたというのに。

 歌唱担当のアイドルの反応が、それほど良くないことに主の表情が曇る。


「あれ? 喜ばないね」

「何がですか?」

「だって、これ。智里ちゃんの曲だよ?」

「へー……っえ!? わ、私!?」

「うん」

 立木にも聞かされていない話を、まさか主から聞くとは思っていなかった智里。

 主の手にしていた紙を奪い取り、紙が破れるくらい顔を寄せて内容を確認する。

 さっき主が言っていた言葉が、智里の頭を駆け巡っている。

 確かにソロ曲だと言っていた。

 グループ曲とは違い、ブレスの位置も無理が無いように思える。

 しかし、譜割りを見ればグループで歌うと言われても無理がなさそうに思える。

「本当にソロ曲!?」

「うん。はなみずき25で出すヤツ」

「っ……!!! き、聞いて……ないです」

 本当の本当に自分のソロ曲らしい。

 しかも、加入したてのはなみずき25で。

 そちらも、もちろん聞いていない。

 聞いていない話ばかりで、思わず主に八つ当たりしそうになってしまう。

 振り上げた手が、勢いのまま下ろされないように力がこもる。

 何とかゆっくり手を下ろしながら、先ほどと違い言葉にも気を付けながら主へ返答できた。


 智里の言葉に心底驚いた表情の主が、言葉を漏らす。

「っえ? そうなの!?」

 ああ、これは先生が先走ったんだなぁ。そう理解した智里は、残念そうに主を見る。

 大人が大人に怒られる事例が生じたのだから。

 それとは別のため息が出てしまう。

「……はぁ。ソロかぁ……」

「あ、本当に喜んでないね」

 肩を落とした智里に、主が改めて声をかける。

 その表情、態度は、自分のソロ曲を全く受け入れていないように見える。

 今までの彼女、いや、メンバーが、歌割の多い少ないで、一喜一憂している姿をみてきた主には、今の智里の反応は意外なものだった。

 歌割を気にせず、自分で全部歌う曲があるというのは嬉しいモノなんだろうと思っていたから。

 智里の表情は、どちらかと言えば拒否しているようにも見える。

 だからこその疑問の言葉。

 智里は、不思議そうに自分を見る主に、新しくため息をついて感想を口にする。


「先生、先生には言っちゃいますけど。忙しすぎです」

「良いことじゃない」

 自由業の身として、仕事があると言うのは喜ばしいことだ。

 暇な時間の身を焼かれるような、焦燥感を味わないで済むんだから。

 主の不思議なものを見る目が、さらに強くなる。

 智里もこれじゃ伝わらないと理解していた。

 本心では、それ以外にも重要なことがある。

 はなみずき25の新メンバーとして、ファンに受け入れらるのかという心配だ。

 ソロ曲をもらい浮かれて、先輩メンバーの固定ファンに叩かれないかという心配。

 ただでさえ、新曲のフォーメーションは決っていなし、なんなら自分はフロントの希望をカメラの前で示したんだから。

 ああ、そうだった。

 新曲の振り入れ、まだ完璧じゃなかったんだ。

 下手すると、それも含めて炎上するんじゃないか?

 そんな不安が、口をついて出てしまう。

「そうなんですけど……表題曲の振り入れも出来てないのに」

「ああ、『花散る頃』だっけ? あれ、良いよねぇ」

 のんきに曲の感想を口にする主。

 一瞬呆れた智里だが、わずかな主の変化を見逃がさなかった。


「え、珍しい。先生が曲に感想なんて」

「え~、そうでもないでしょ」

「私は初めて聞きました」

 そうアイドルグループと関わっておきながら、主が曲に関して感想を言うことなど智里の記憶にはない。

 このところの主に生じた変化についつい驚いてしまう。

 そこまで驚かれてしまっては、恥ずかしいという感情が主の顔を染める。

 一つ咳払いをして、主は話をソロ曲へと戻そうと試みる。

「そうだったかなぁ? まあ、それは良いとして……」

「まあ、安本先生と立木さんが決定してるんですもんね」

 自分の聞いていない話ではあるが、トップ二人が決定したことを覆すことができないのはもう経験している。

 ならば、無駄な思考は排除して与えられた仕事のクオリティを上げる努力をした方が健康的だ。

 智里は、まだわからないファンの反応への不安に蓋をして曲に向き合うことを決める。

「そうそう。頑張って」

 急にやる気になった智里は、主のよく知る智里だった。

 機嫌よくエールを送る主に、少しだけ拗ねたように智里が返す。

「もう頑張ってますけどね」

「智里ちゃんならできる!」

「私の何知ってるんですか?」

 それでも明るく智里を励ます主に、智里が怒ったような顔を向ける。

「知ってるよ。ずっと見てきたからね」

「……仕方ないですね。先生にそう言われちゃ」

 確かにそうだった。

 デビューしてからずっと、近くでこの人は自分達を見守ってくれていた。

 その人ができると言うなら、出来るんだろう。

 智里の顔に、少しだけ笑顔が戻る。

「うん」

 笑顔を返した主に、智里がまた不安そうな顔を向ける。

「先生? 美祢さんにも……声かけてくれませんか?」

「う~ん、大丈夫だと思うけど……わかった。そうする」

 少し前に見た美祢を思い出して、智里の言葉に違和感を感じた主は強く頷くのだった。

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