二百六十八話
主の描いた歌詞を見直しながら、安本は思い出す。
そう言えば、彼にやってもらいたかった仕事があったんだと。
「いや、ああ、それと@滴くん」
「は、はい」
「はなみずき25の方でも1曲お願いしたいんだけど」
久々の安本本人からの依頼。
かすみそう25にはもう何曲も提供しているが、はなみずき25には初の提供だ。
作詞は、かすみそう25専属だと思っていた主は、背筋を伸ばして仕事を引き受ける。
「はい」
安本は主の態度に満足したように、依頼内容を話し始める。
「矢作くんのソロ、お願いできるかい?」
「はい……ソ、ソロ!?」
初めてすぎる仕事を振られて、困惑の表情が出てしまう。
今までどのグループにも書いたことのない仕事。
「うん、君まだ書いたことないだろ?」
安本の承知しているようだ。
だからこそ、主は緊張を感じてしまう。
大人数で歌う歌詞と一人で歌う歌詞は、主の中では全くの別物だ。
割り振れる歌詞に、限界があると主は感じているからだ。
いくら歌の能力を研鑽している人物であっても、息を吐きながら歌う文字数には限界がある。
それを意識せずにやってきた作詞作業。
その一点が、主には大きなハードルに感じてしまう。
だが、この仕事を続けていくことを決めた時から、何時かはやらなくてはいけないとも思っていた。
出来る事ならやりたい。
だが、下手をすれば自分だけではなく、矢作智里というアイドルの汚点にもなりかねない。
そのせめぎあいで、主の表情は固い。
「ええ、まだ……いいんですか?」
主の言葉、その表情には、安本からもわかるぐらいの不安が見えている。
しかし、その主の眼は逃げ出すような人間のそれではないのもわかる。
なら、不安でもやってみせて欲しいと頷く。
「人となりを知ってもらえるような、そんな歌詞を載せてあげて欲しい」
「わかりました」
「頼んだよ」
立ち上がり、手を差し出そうとした安本の足元が揺れる。
ほんの一瞬で持ち直し、何事もない様に改めて主に手を向ける。
主も一瞬だけヒヤッとしたが、何事も無いならと安本の手を握る。
そんな二人を見る本多の表情は険しい。
「……源次郎、大丈夫か?」
自分と同い年の安本源次郎。
自分は腰を患い、振付師を退く。
当然、この男も何かしらの問題を抱えているはず。
それを今まで感じさせてこなかった。
常識で考えれば、そんな訳は無いのに。
まして、自分よりも運動量が絶対的に低い体形をしている安本の身体。
もし万が一が生じたら……。
本多の視線が、多くを語っている。
そんな本多の視線を受けながら、安本はおどけるような表情を見せる。
「ガタが来てるのは、一緒さ」
お前も、自分も。
わかってるさと、でも大丈夫だからと答える。
「まあ、……お互い年だしな」
大事ないならそれでいい。
思い過ごしなら、それに越したことはないと本多の視線がそれる。
だが、安本の視線に光が灯る。
「忠生、……社長やってくれないか?」
そんなに心配してくれるなら、僕の仕事を減らす仕事をしないかと。
「先生のとこみたいにか? やってもいいが、しばらく時間くれ」
心配した手前断ることもできず、振付師を引退した後でも仕事があるならそれに越したことはないと快諾しそうになる本多の脳裏に一つの懸念が思い出される。
引退後に少しでいいから時間を創らせてほしい。
その後なら何でもやってやると言い始める。
安本は不思議そうな顔を向ける。
やるなら、早く減らしたいと態度に出てしまう。
「どうして?」
「かかぁを旅行にでも連れて行ってやらんとな。このままじゃ捨てられちまう」
顔を紅くしながら答える本多を、珍しい現象でも見ているかのような安本の視線が向けられていた。
その視線は全く動く様子もなく、ただただ紅くなる本多の顔を捉えていた。
少しの間のフリーズから、ようやく安本が帰還すると今度は納得するように何度も首を縦に振る。
「そうか……そうだよな。……僕もちょっと休もうかな」
安本は、確かに自分も家族へのかかわりが薄いという事実を思い出す。
最後に娘を抱きしめた、いつの頃か。
まあ、もう成人しているし、そんなことをすれば嫌な顔を向けられるだろうけど。
よくよく考えれば、長期の休みはいつの間にか取ることすら考えにない。
それはそれで、不健康にも思えてしまう。
妻にはそういう人間だからと、諦められているだろうけど。
ため込んだものが、爆発しない理由はないしなぁ。
安本が主の前で、初めて青く表情を見せる。
いや、人間らしい反応を見せたのが初めてかもしれない。
お互い同じことしてたかと、本多が笑う。
「そうしたほうがいい! 無理だろうけど」
俺はこれからできるけどな、お前はお前で頑張れと。
他人事をおかしく笑う本多がいた。




