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二百六十話

 美祢は先程誰とすれ違ったのかもう忘れてしまう。

 目に写る主の様子は、さっき見かけたときとは違い落ち着いているかのように見える。

 だがその顔色は、未だにこれまで見たことのない主の顔色をしている。

 美祢の判断は、まだ主の緊急事態が継続している、だ。

「先生! 大丈夫ですか!?」

「あ、うん。もう大丈夫」

 青い顔色にもかかわらず、美祢に安心するよう諭す優しい主の声。

 確かに大丈夫だと言ってはいるが、それを信用していいものか?

 これから大事な仕事の前だというのに、それどころではなく動転してしまっている美祢がいた。

「ホントですか!?」

「大丈夫、本当だよ」

 美祢が主の眼を覗き込むと、それに力強く返ってくる視線。

 ジッと見つめていても、主の眼は逸らされることなく美祢を見ている。

 そうしていると、次第に主の顔に血色が戻ってくる。

 頬に赤みが灯り、ようやく見知った主の顔に戻っていく。


 美祢はそれを視ると、ようやく胸をなでおろす。

 受け答えも、視線もいつも通り。

 顔色も戻ってくれば、何の問題も無いだろうと。

「よかったぁ~!! 先生が青い顔して歩ってたから心配だったんですからね」

「ゴメン。……あのさ、美祢ちゃん?」

 心配していた美祢に素直に詫びる主。

 美祢が安心したように、表情を崩すと何故か主の視線が外れる。

 そして、さっきの顔色がウソのように紅く染まりすぎていく。

 何を問いたいのか、わからない美祢は怪訝な表情のまま主に問い返す。

「? なんですか?」

「あのさ、お化粧変えた?」

「? ……いつも通りですけど」

 思わぬ角度から飛んできた主の質問。

 いったい何が言いたいのか? 美祢はわからないなりに答える。

 いつものメイクと変えたものはない。

 リップすらいつも通り。

 完成披露の試写会、そのインタビューを受けるというのに。

 これを見たいつもお世話になっているメイクさん。保政銀司まさやすぎんじに何か言われないだろうかと心配するほど、何も変えていない。


「そうか……」

 美祢の答えに納得できないような表情の主が、首をかしげる。

 まさか、目がおかしくなったか? などとつぶやいていれば主の見解を聞かないわけにはいかなかった。

「どうしたんですか?」

「いや、いつもより綺麗に見えたから」

「っ!!!!?????」

 主のあまりにもストレートな誉め言葉に、気が動転してしまう美祢。

 予想だにしない一撃というのは、意外なほど効果があるのはどんなモノでの同じだ。

 さっきまで、主を心配して自分まで青くなっていた美祢の顔が、ゆでられたタコのように真っ赤に染まる。

 両手で口を押えて、叫びだしそうになった声を物理的に抑え込んでいる。

 そんな美祢を見て、さすがに何かがおかしいと思ったのか、主は美祢に声をかける。

「ん? どうしたの?」

「いっ! いえ……なんでも、な、ないです」

「そう?」

 もう! 何でこの人は、こんなこと言って普通の顔していられるの!?

 もっと照れたり、『いやいや、そういう意味じゃなくってさ、あ~、うん』みたいないつものフォローにもならないフォローもないの?

 美祢が心の中で、主にものすごい勢いで抗議を始める。

 だが、抑えた口がにやけるのを抑えることができない。

 口を押えている手のひらに、上がっていく口角の感触が伝わる。

 だって仕方がないじゃない、きれいだって言われたんだし。

 美祢の中のもう一人の美祢が、叱られる前に言い訳をはじめる。

 そして、そのもう一人の美祢は、あろうことか悪びれることもせずに、わざと見ないふりをしていた事実に目を向けさせる。

 ねぇ? 今。先生と二人っきりだよ? と。


 これまでも、主と二人っきりの場面は何度も経験している。

 背中越しに、その体温を感じたことさえある。

 だが、いつものその状況とは違うことがある。

 自分は、インタビュー用の衣装で着飾っている。

 そして直前に、主の口から『綺麗になった』と言われた。

 もう、本音が漏れ出ても仕方がない状況。

 美祢の脳内会議は、全会一致を得るのだった。

「あ、あのっ!」

「ん?」

「そ、そんなに、きれいですか?」

 それじゃないだろ! と、脳内会議の円卓からお叱りの言葉が飛んでくる。

 でも、本当に言われたか、もう一度聞きたいじゃない? 美祢は、頭の中に必死に言い訳をする。

「うん。とっても」

 主の視線が、美祢を向いて動かない。

 もうこれは、仕方がない。

 そういう空気があるって、何かで読んだことがある。

 主と対峙しているアイドルが、少女を優先する瞬間だった。

「……っ! せ、先生!」

 意を決して、主に声をかけると場内アナウンスが鳴り響く。

 舞台挨拶が始まるらしい。

「あ、美祢ちゃん。ステージに呼ばれたみたい」

 そして、自分の声よりもアナウンスを聞いていた主。

 さっきまでの勢いを、完全に削がれた美祢は、折角セットした髪を掴む。

 そして肺に空気を入れれば、こんな場所で、こんな状況で何をしようとしたのかと、急に恥ずかしくなる。

「~~~っ!! ……はぁ。行きましょう先生」


「うん、がんばって」

 主が投げた、まるで他人事かのような言葉に美祢は違和感を覚える。

 えっと……。

 あれ? 自分のカン違いかな?

 美祢は、ちょっとした怖さを感じて確認のために、主に問いかける。

「……? 先生? 先生もですよね?」

「? いや」

 真面目な表情のまま答える主。

 あれ? やっぱり間違いか。

 美祢は、手にしていた進行用の台本に視線を落とす。

 ある。

 やっぱり主のペンネーム、@滴主水の名前が台本に書かれている。

 ご丁寧に、原作者への質疑応答の時間も書かれている。

「え? だって台本」

「……。……! 奥津君めっ!!」

 美祢から受け取った台本に目を通した主は、それが美祢の台本だとわかっていたのに床に台本を投げてしまうのだった。

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