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二百五十九話

 主の表情を見て、悠理は納得したような顔を見せる。

 そしてあの頃にも見せなかった、晴れやかな笑顔を見せて主に衝撃の一言を言い放つ。

「うんうん。よし! じゃあ、もう推し変を許してあげるか!」

「えっ!?」

 推し変とは、ファンが応援するアイドルを変えることだ。

 アイドルにとって、あってはならない言葉の一つ。

 それを元アイドルの悠理は、許可をすると言っている。

 もともと許可制なのか不明だが、それをしてもいいと。

 明るい顔で言ってのける。


「嫌だったけど、許してあげる!」

 悠理は自分がアイドルであった過去を何ら恥じてはいない。

 それより、誇りにさえ想っている。

 確かに自分のアイドルとしての幕切れは、多くの人に不本意だったのかもしれない。

 確かに自分の活動中に、トラブルは多かった。

 だが、それは自分というアイドルに熱狂してくれていた証。

 ファンが本当に自分を好いていてくれた証なんだ。

 だから、当時のファンがいなくなる事実は、不愉快でもある。

 しかし、いつまでも引き留められないのも知っている。

「12年、お疲れ様。私のことはもう、忘れていいよ」

 むしろ、よく12年もファンでいてくれたと思う。

 わずかな活動期間ではあったが、すべての現場に顔を出して、あれほど好意を伝えてくれていた主。

 そんな彼が、今でも自分を誰かの引き合いに出してくれる。

 そんな熱烈な好意は、片桐でも向けてくれなかったのかもしれない。

 だから、もう進んで欲しい。


「あっ……」

 悠理の何かを悟ったような表情。

 そんな彼女の顔を今まで見たことは無かった。

 あんなに見逃がすまいと思っていた、彼女の表情。

 そんな彼女の知らない表情。

 すべてを見てきたと思っていた、高橋悠理が自分の知らない表情をしている。

 眼差しは優しい。それでいて、表情から受ける印象はどこか悲し気。

「好きな人、出来たんでしょ?」

「……!」

 好きな人と言われて、ようやくわかった。

 自分よりも好きな人ができたんだろうと聞いているんだ。

 自分が好きな人に、いや、好きだった人にまでバレてしまった。

 違うと、否定したくなる気持ちが主の首を横に振らそうとする。

 だが、それは完全には振られることは無かった。

 嘘になるから。

 今は違うとしても、かつて好きだった人に嘘までつきたくはない。

 嫌われてもいい。

 蛇蝎のごとき視線を向けられてもいい。

 それでも、自分がウソをつきたくはなかった。


「わかるよ。あの頃の顔してたもん」

 そう、かつて悠理に向けられていた主の好意の表情。

 それはもう、自分の知らない誰かのモノ。

 それを悟った悠理は、もう自分に拘らなくっていいと、主を諭す。

 主にもそれは伝わる。

 胸が締め付けられて、うまく呼吸ができなくなる。

 音を立てて、息を吸い込み。

 詰まった息を必死に吐き出す。

 主の視界は、もう機能していなかった。

 あんなに大好きだった、高橋悠理の顔がぼやけてしまう。

「っ……! ごめん……なさいっ! あなたが……大好きでした」

「うん」

「あなただけがっ! っ……でもっ! い、今はっ!」

「うん」

 なんとか音として吐きだす主の言葉を、悠理は優しく受け止める。

 あの時の主は、こんな表情をしてくれていただろうか?

 忘れていないと思っていた、自分のファンの顔。

 それは、12年の時を経て自慢の悠理の記憶に齟齬を産み出していた。

 確かに彼は自分が好きだと言っていた。

 でも、12年前に自分が彼を含んだファンを振って去っていった。

 そして今日、12年間の恋が終わる。

 今日、高橋悠理は、佐川主に振られてしまった。


 主から出てきた名前。

 それは、自分の旦那の関わる番組で度々話題に上がるアイドルの名前。

 あんなに好きだと言っていた彼を自分というアイドルから奪っていった相手。

 想いを告げることの叶わない、大事な大事な想い。

 主は涙に詰まりながらも、悠理にどうしてその娘を好きになったのかを語る。

 彼にとっては、アイドルではなく一人の女の子。

 だから、自分想いを口にできないと。

 でも、それでも好きなんだと。

 まるで、青春時代の男の子のように。


 主の涙が乾き始めた時、主と悠理のいる控え室のドアが音を立てて開く。

「先生っ!?」

「っっ!! み、美祢ちゃん!?」

 入ってきたのは、賀來村美祢。

 思わず主の顔が紅く染まってしまう。

「あ、あの娘なんだ。……ふぅ~ん、かわいい娘ね」

「えっ!? い、いやっ! あのっ……」

 まさか、高橋悠理と美祢が鉢合わせるとは思っていなかった。

 何とも言えない焦りが、主を支配していく。

 そんな慌てた主に笑顔を見せて、顔を主へと寄せる。

「旦那には黙っていてあげる。頑張ってね」

 まるで悪戯をするかのような、可愛らしい笑顔を主に残して去っていく。

 駆け寄る美祢の真正面に立つ悠理。

「先生! あ、貴女は?」

 何やら主と親し気な女性。

 どこかで見たことのある、誰かの面影を悠理に見る美祢。

 幼いころ、ステージ上にいた彼女を美祢は思い出すことは無かった。

「片桐の妻です。……もしかして賀來村美祢さん?」

「……はい」

 見知らぬ女性に名前を当てられて、警戒心をもって対応してしまう美祢。

 そんな美祢を優しく見て、美祢に道を譲る。

「あの先生のこと、お願いしていいかしら?」

「え、あっ! はい!!」

 美祢は主の元へと走って行く。

 道を譲った悠理には目もくれず。

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