表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

258/405

二百五十八話

 高橋悠理とふいに遭遇してしまった主。

 主は控室に入るなり、近くにあった椅子に体を預ける。

 こんな情けない姿を、彼女に見せるなんて。

 当然だとは思いながらも、どこか悔しい主がいた。

「大丈夫?」

「え、ええ。だいぶ良くなりました」

 重力から身体を支えなくていい。それはだいぶ楽な行為だった。

 未だに頭の中はうまく動いている感覚はないし、強い疲労感すら感じる。

 だが、少しだけ視界は晴れてきているような気がする。

「ほら! 大丈夫じゃなかったんじゃない!」

「あ、……すみません」

 悠理の指摘に、主は身体を縮こませる。

 迷惑をかけてばかりで申し訳ない。

 しっかりと謝罪しようと顔を上げると、膨れていた悠理の顔がほころぶ。


「それにしても、あの会長くんが映画の原作書いてたなんてね」

「いや、それはたまたま」

 そう偶然に過ぎない。

 こうして再会したのも、主が望んだことではない。

 だが、彼女の笑顔を見ると、どうしても当時のことを思い出しいてしまう。

 あの頃のまま、輝く笑顔を。今日は自分に向けてくれている。

 あの頃望んでいた、彼女との時間。

 こんな時間を過ごすことができるなんて。

 あの頃の自分は考えもしなかっただろう。


 緊張しながらも表情に余裕が見えた主を見て、悠理は懐かしさに負けてついつい零してしまう。

「奥津君も今や監督さんだしねぇ」

「っ!」

 主の表情が急に険しくなる。

 やっぱり聞いてたか。

 以前奥津と会った時には、引退してそれほど時間もたってなかったせいもあって少しだけ意地悪をしてしまった。

 まるで初対面かのようにふるまった。

 多分それを聞いていたんだろう。

 だが、予想していた表情でもなかった。

 たまたま自分だけを思い出したわけでもない。

 あの件を忘れたわけでもない。

 忘れたフリをしていただけ。

 それを理解した表情だ。


「気づかないわけないでしょ。私のウリ忘れた?」

「い、一回会った人の……名前と顔を忘れない」

 さらに主の表情は険しくなる。

 もう彼の中では確信に変わったのだろう。

 だからこそ、彼の表情が険しくなったのもわかる。

 あの事件のことを、引退の言い訳に使ったあの事件を自分が覚えているのに、なんでこんな話をしているのか? それが疑問なんだろうな。

「そう、気づいてた。でも、奥津君には知らないフリ出来たんだけどなぁ」

「……」

 主の顔色がまた悪くなっていく。

 まだ気にしているんだ。

 ……それはそうか。

 あの件は、自分の引退とは何の関係もない出来事だというのに。

 優しかったからなぁ。自分のせいだと思ってるんだよね?

 ただ私が片桐と結婚するからやめただけなんだけど。あの件が無くっても辞めるのは決ってたんだけどなぁ。

 事務所との契約で、そのことを公表できないのが申し訳ない。

 ファンの多くが、彼らを責めていた時も自分は口を閉じていた。

 もう関わりのない人なんだと言い聞かせて。

 

 当時は感じなかった罪悪感が、悠理の中で生まれる。

「いきなり出てくるんだもん。思わず声に出しちゃった」

 努めて当時の自分のようにふるまう悠理の顔に、少しだけ陰が浮かぶ。

「……ごめんなさい」

 それを主は、自分がいるせいだと勘違いしてしまう。

 あの事件のせいで、アイドルを辞めなくてはいけなかった。

 そう自分を責めていた男にとっては、当たり前の結論だった。

 やはり、この仕事を始めたのは間違いだったんではないかと。

 そんな主を見て、悠理はまた優しく微笑む。

 自分を大好きだと言っていた彼が、それほど変わらない空気を纏っているのが少しだけうれしい。

「本当に変らない。……でも、ここのしわ、深くなったみたい」

「……そりゃ、年取ったし」

 指をさされた眉間のしわ。

 深くなったということは、当時からしわがあったのかと思う。

 その一方で、当時の自分を覚えていてくれた喜びを感じてしまう。

 不謹慎だと頭を振って、触れそうになった悠理の指を避ける。


 あ~あ、避けられちゃった。

 そうか、あの時の君じゃないんだねと、自嘲気味に自虐を口にしてしまう悠理。

「そうね。私もオバサンだしね」

「そんなことない! ……です。あなたは今でも綺麗だ」

 思わず主の体が浮いてしまう。

 立ち上がった主は、バツの悪さを感じて小声になりながらも、それでも自分の言葉をはっきりと口にした。

 それを聞いた悠理は、再び輝くような笑顔を主へと向ける。

「本当!? ありがとう! 最近は旦那はちっとも言ってくれなくなったから、うれしい!」

「……言わないだけだと、思いますけど」

 お礼を言われて、うれしいような。でも片桐を旦那と呼ぶ悠理に寂しさを感じてしまう奇妙な感覚。

 忘れていた感覚が、主の中に帰ってくるのを感じていた。


「ああ~~!! 会長くんが優しい! ……やっぱり変わったね」

「……そりゃ、12年経ちましたから」

 昔は優しくなかったのかな?

 当時の自分を思い返して、そこまで変な態度は無かったはずだと頭をかしげる。

 それでも、彼女がそう感じるなら時間のせいだろう。

 12年。そうか、そんなに経つのか。

 自分で口にした言葉に驚く。

 つい昨日のことのような気もする。

 それはきっと、彼女があの頃のような笑顔を見せてくれているからだろう。

 感傷に浸る主に、悠理が意地悪を理解して問いかける。


「ねえ? 今でも私のこと……好き?」

「……わかりません」

 少しだけ間が空いたが、それほど動揺せずに主は答えを返す。

 そう、主の中でも今の悠理に対する感情がはっきりしない。

 当時は、確かに好きだった。

 誰に聞かれても、自分は高橋悠理が好きだと答えていただろう。

 だが、本人に聞かれても、今ははっきりしない。

「もうアイドルじゃない、今でも私に嫌われたくない?」

「そんなんじゃ……ないです」

 カッコを付けているんじゃないかと問われて、少しだけ顔が熱くなる。

 でも、そうではない。

 上手く自分の言葉が出てこない。

 そもそも彼女を目の前にして、冷静を取り戻している自分も不思議でならない。

 主は、自分の感情を整理するように頭に浮かんだ言葉を吐きだす。


「……本音では嫌われたかった。でも、あなたの顔を見て、わからなくって」

 確かに『君はそのまま』を書いていた当時は、あんな事件を起こした自分が嫌で、嫌われて当然だと思っていた。

 いや、今でも少しはそんな気持ちも残ってはいる。

 だけど、それだけではなかった。

 高橋悠理という女性に嫌われるのはつらい。

 でもそれはもう、主にとって自分への罰にはならないような気がしている。

 

 そうかと、不意に心に落ちるものがあった。

 自分にとって、もう高橋悠理は、一番ではない。

 そんな言葉が浮かんでしまう。

 ああ、だからか。

 あの娘への言い訳に、高橋悠理を使っていただけ。

 本当に嫌われたくない相手は、別にいる。

 なるほど、確かにこの2年は目の前の女性を思い出す時間が減っていた気がする。

 そんな納得が、主の顔に浮かんでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ