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二百五十四話

 晴海は、主を伴って会場の搬入口へと歩いていく。

 まだお披露目ライブは終わったばかり。まだ時間的に余裕があるはず。

 今この時は二人っきりの時間を作り出せる。

 たぶん今日言わないと、この先に自分の想いを口にできる時間は無いだろう。

 晴海は人生の一大決心をしていた。

 主という年上の男性。

 その人への想いを遂げると言うのがどういうことなのかを考えていた。

 会えない時間、ただそのことだけを考えていた。

 そして、ようやく答えが出た。


 あたりが暗くなっていく。

 搬入口から漏れる外の街頭だけが光源となり、二人の輪郭をなんとか浮かばせている。

 晴海は、おもむろに振り返り主に語り掛ける。

「あの、先生。私、高校卒業したんです」

「うん、おめでとう」

 もちろん主も知っている。

 前に聞いたよ。なんて無粋なことは言わない。

 ただもう一度同じ言葉を口にする主。

 大丈夫。聞いているから。

 そんな想いだけを乗せて。

「あの、……それで、今後のこと考えたんです」

「うん」

 晴海は乾いていく口腔を恨みながら、なんとか口を動かして声を絞り出す。

 こんなに緊張するのはいつ以来だろう?

 

 晴海は自分の身体に視線を落として、ポツリと話し始める。

「私は、この身長のこと、コンプレックスだったんです。可愛く見られないし、女の子に見られないし」

「うん」

「でもね、先生にあの日、可愛いって言ってもらえて本当にうれしかったんです。私が望んでた言葉を言ってくれたから……」

「……」

 そう、本当は可愛いと言われる女のコになりたかった。

 好きになった男の子に、頬を染めながら『一番カワイイ』と。

 だが、その身長のせいで可愛さよりもカッコよさを求められる。

 最近は、前ほど抵抗は感じなくなったが、どこかで求めていた言葉なのは事実だ。

 そしてそれを言ってくれた主がいたから、自分の求めたアイドル像ではなくとも頑張れた。

 気持ちを整理できるようになった。

 主が、主ならどんな自分でもかわいいと言ってくれるとわかったから。

 だけど、そのアイドルでいられる時間は限りがある。

 いつまでできるだろう?

 それを考えた時に、続けていきたい仕事が目の前に残った。


「で、どうせカッコいいを求められるなら、もっとカッコよくなりたいなって……思って」

「うん」

「将来、モデルとしてもっとお仕事していきたいんです。だから、ニューヨークに留学しようと思うんです!」

「うん……そっか」

 晴海の選択は、コンプレックスだった身長を活かす仕事だ。

 何度か出たファッションショー。

 アイドル枠ではあったが、あの雰囲気が好きだ。

 歩くという誰でもできる行動で、誰にもできないような服の見せ方ができる。

 本業と同じくらい真剣に向き合った仕事だった。

 だから、高校を卒業した今しかない。

 何の制約もなくやりたい仕事へ歩き出す決断をするなら、今しかなかった。

 ……そして、同じくらい譲れないこともある。


 晴海は大げさに見えるくらい、勢いよく頭を下げる。

「だから先生にお願いがあります! 私に先生の時間を下さい!」

「……」

 大事な大事なお願い。

 自分はどっちも諦めることができない。

 主とモデル。

 その両方を天秤にかけても、一ミリすら動かない拮抗。

 だから、どうしてもお願いするしかない。

「一緒についてきてくれませんか?」

 そうお願いするしかなかった。

 自分で言っていて、なんて自分勝手なお願いなんだと思う。

 しかし、晴海にも選べない。

 なら、両方を願うしかなかった。

「……」

 主は何も言わない。

 ただ、晴海の言葉が続くのを待っている。

 もう一度、想いを言葉にしてお願いする。

「あの……大好きなんです! 先生のことが! 誰よりも」

「……」

 

 主が息をのむ音が聞こえる。

 これ以上何もないと、晴海はゆっくりと頭を上げる。

 主はその晴海を見て、ゆっくりと口を開く。

「えっと……」

 ようやく聞こえた主の声。

 どんな音を出そうかと、主の口が忙しなく形を変えていく。

 そして一度きつく結んだ唇が、ようやく開かれた。

「水城さん。ありがとう。……でもゴメン」

「あ」

 やっぱり。

 やっぱり駄目だったか。

 晴海の心には、主の答えがどこかでわかっていた。

 想えば、何度か同じ言葉を口にしても、主はその首を縦に振ろうとはしなかった。

 熱くなった目を開いて、どうして自分ではダメなのかと問いかける。

 言葉にはできないが、どうしてなのかを願ってしまう。

 晴海の視線の意味を理解したように、主は短く息を吐きだしてから、晴海に向けて言葉を形にしていく。


「君には応えることができない。……僕は、どうしても忘れられない女性ひとがいるんだ。それなのに、好きな女性ひとまでいる」

 忘れられないと言わせる女性が許せないかった。

 自分の好きな人を縛り付けて、離さないなんて。

 それでも好きになった女性がうらやましかった。

 この人の心を、誰か知らない女性に縛られているこの人を動かす程のその魅力が。

「……」

 口を開こうとする晴海を追い越す様に、主の言葉が先に空気に触れる。

「だから、君を好きになることはないと思う」

 決定的な言葉だ。

 前のこの人では、口にすることすらなかった言葉を口にされてしまった。

 それをさせたのは、いったいどっちの女性なんだろう。

 羨ましい、悔しい。

 でも諦められない!

「その後でも!」

「そんな男が好きなの?」

 主の言葉が、晴海を撃ち抜いていた。

 そうじゃない。

 あの時かけてくれた、『可愛い』は、そんな軽薄さが無かった。

 だから、自分はこの人が好きになったんだ。


 晴海の口から、はぁと息が漏れる。

 前の様に世間体が悪いからと振られたわけじゃない。

 主が口にした、望んでいた、言い訳を忘れるくらい好きになった女性が自分以外にいた。

 これ以上のない理由だ。

 もう追いすがることはできない。

 だって、本当にカッコいい女性になりたいと願ったのも自分なんだから。

 晴海は、ぎこちなさの残る笑顔を主に向ける。

「……。あ~、完璧に振られちゃったか」

「ごめん。……モデルがんばってね」

 振ったはずの主の顔のほうが、苦しそうに歪んでいた。

 本当なら口にしたくはない言葉だったんだろう。

 それを自分のために口にしてくれた。

 背中を向けた主に、晴海は努めて明るく声をかける。

「いつか、先生が悔やむような女になって帰ってきますね」

「あはは、そんなの直ぐだよ」

 振り向くことなく、後ろ手に手を振って肩を落としながら去っていく主。

「さようなら、先生」

 初めて好きになった人の背中に、呟くように最後の声をかける。

 涙が声に乗らなかった。それだけは晴海は自分を誇らしく思うのだった。

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