二百四十五話
久々に美祢と美紅は同じ現場にいた。
移動の最中から美紅は美祢とベッタリと、美祢のいなかった時間を取り戻す様に寄り添っている。
さながら、猫が久しく会っていなかった飼い主に自分の匂いを擦り付けているかのよう。
もしくは、別の犬の匂いがする浮気性な飼い主の匂いを上書きするかのような、本能から来る主張行動のように。
美紅は美祢にそんな意識すらなく、片時も逃すまいとそばにいる。
「美祢、撮影どう?」
だから、そう聞いている美紅の表情はいたって普通だ。
深層にある寂しさなど、本人にも自覚すらない。
「ん~。色々大変! でも、楽しいよ。美紅は?」
美紅の言葉に笑顔で返答する美祢。そんな美祢の顔を必要以上に見ていることすら美紅には自覚もない。
「こっちは大丈夫。みんなしっかりしてるから! ……そっか。ならよかった」
美祢が楽しそうに応えていることに、うれしくなる。
噛みしめる様に、美祢の言葉を反芻している美紅がいた。
入館手続きを終えて、ロビーを進んでいると美祢がふいに美紅へと声をかける。
「あ、楽屋着いたらちょっと挨拶しに行きたい人いるから、先にお弁当食べてて」
「え? あ、私もあいさつしに行こうかと」
自分のことは気にしなくていいと、先輩らしさを口にした美祢であったが美紅も用事があると言い始める。
美祢は自分の要件を思い出して、まさか美紅も? と言った表情を浮かべる。
「……もしかして?」
「アルカリ湿電池さん?」
美祢が問えば、美紅は美祢のあいさつする予定の人物を言い当てる。
中堅芸人コンビのアルカリ湿電池。コントをメインとした芸風で、大きなコンテストで上位グループの常連。メディアへの露出もここ数年で大幅に増えてきている注目株だ。
そんな芸人コンビに、いったい何の用が?
普通ならそう思うような会話だが、本人たちはお互いに納得の表情を浮かべている。
「なぁんだ、美紅も同じこと考えてたんだ」
だが、少しだけ美祢は感心したような表情で美紅を見ている。
少しだけ先輩らしい顔になって来たんじゃない?
そんな美祢の表情に、少し照れたように美紅は目を逸らす。
「まぁ……悠那なら大丈夫だと思うんだけどさ」
そう、二人が何故アルカリ湿電池という中堅芸人コンビに用があるかと言えば、後輩メンバーのためだ。
かすみそう25の二期生、小飼悠那。年が明けて18才になったばかりで、学年で言えば美祢の一つ上。かすみそう25内では、年長メンバーに属する美祢と美紅の後輩。
その後輩メンバーが、4月から新しい番組を担当することになった。
「ラジオだけど、単独で初めてのレギュラーだからねぇ」
急きょ決まったかすみそう25の新しい仕事。しかも二期生のメンバーが担当することに美祢は自分のことのように喜んでいる。
パフォーマンスはしっかりとしているが、あまり目立つ方ではない小飼悠那。
ポディションも3列目でひっそりとそこにいるという印象が強い。
だが、美祢はそんな悠那の姿に違和感があった。
もしかしたら、この仕事をきっかけに本当の悠那の姿が見えてくるんじゃないかと期待さえしている。
美祢と同じ想いの美紅だが、少しだけ心配なこともある。
「だけど21時までの2時間の生番組かぁ。ちなみに美祢はやったことある?」
長時間の生番組という経験したことのない仕事。
もし自分だったら?
全く想像もつかないと、恐怖さえ感じて美紅は自分の身を抱き締めてしまう。
だが、美祢ならばもしかしたら?
そんな美紅の問いに、美祢は大げさに手を振り否定する。
「無い無い! 私もまだ出演できない」
美祢を呼びたいと言ってくれている番組は、この2年で増えてきている。
だが、そのオファーを出すことも受けることもできないでいた。
そう問題は時間だ。
放送上の自主規制として、年齢制限が厳密に存在する。
高校生の美祢はあまり遅い時間への出演ができない。
ラジオ自体は、美祢も慣れた仕事の一つだ。
はなみずき25の仕事の中で、唯一初期からリラックスして仕事に望めた心のよりどころでもある。
もちろん生番組にもゲスト出演したこともある。
だがそれは、遅くても夕方の時間まで。
そこから先の時間は、かすみそう25でも年長メンバーの出演時間だ。
そういう意味では、美紅のほうが詳しいでしょ?
そんな美祢の視線を受ける美紅は、まだ自分を抱いている。
「ラジオのゴールデンタイムじゃないとはいえ、初レギュラーで生放送……怖いね」
言い直しやカットの出来ない生放送。
それを毎週やらないといけないというプレッシャー。
それを考えただけで、美紅は恐怖を感じてしまう。
ちなみに、かすみそう25も収録ではあるがはなみずき25と同じ局でラジオ番組のレギュラーがある。メンバーがそれぞれ持ち回りで放送回を担当する同じ形式の番組が。
その中でも美紅は、一番長く収録するメンバーだった。
はなみずき25とかすみそう25、両方合わせても一番長く収録している。
もちろん放送時間は同じ。
美紅は、一番カットの多いディレクタ―泣かせのメンバーとして有名だった。
その自覚のある美紅は、自分が生放送なんて何をやらかすかという恐怖もある。
「ね! だから何とかフォローお願いしておこう」
「うん!」
美祢は小飼悠那の初めての単独仕事に喜びながら、どうにか上手くいってほしいと願いを込めて目的の楽屋へと進んでいくのだった。




