二百四十四話
美祢の撮影中、主はカメラの遥か後方で美祢の演技を見ていた。
もっと近くで美祢の演技を見たい気持ちはある。演技をしている美祢というのは貴重だ。
その表情は、たぶんまだ見たことのない美祢だろう。
だが、それを直視するには恥ずかしい。
なぜなら、美祢が演じているのは昔ではあるが、確かに好きだった人なんだから。
まるであの頃の高橋悠理、いや、当時の主の目に映っていた高橋悠理が美祢を通してそこにいる。
そんな恥ずかしさと、好奇心の狭間が、今の主と美祢の距離を作り出す。
「作家先生」
ただジッと美祢を見ていると、背中から誰かに呼ばれる。
振り向いてみればそこに立っていたのは、思わず主でも見惚れてしまう顔だちの男子。
明かに年下なのが分かるほど、幼さが残っている。
奥津との会話を頼りに、この少年の正体を探る。
「あ、えっと……柏樹悠斗くんだっけ?」
「ウッス」
よかった。
どうやら当たっていたらしい。
だが、名前を間違えなかったというのに、この少年は明かに不機嫌そうな表情をしている。
たぶん……初めましてだ。
これほどの顔だちなら、たとえ男でも忘れはしない。
なら、なんで自分はこんなに不機嫌をぶつけられているのだろう?
いったい自分はこの少年に何かしたのだろうか?
そんな主の想いが、少しだけ声色を暗くする。
「何かな?」
「あんた……賀來村ちゃんの何なんっすか?」
「え?」
少年の口から出てきた、美祢の名前。
そして尋ねられた、その関係性。
その唐突さに、主は何をどうして応えればいいのか迷う。
「何の関係があってあんなことしたんっすか?」
「あんなこと?」
いったい本当に、自分は何をした?
尋ねられているモノに、一切の見当がついていない。
何が聞きたいんだ?
その思考は、声色に顕著に出てしまう。
その主の聞き方が、気に入らなかったんだろう。
もしくは、はぐらかされたと思ったのかもしれない。
悠斗の声が完全に敵対者に対しての言葉に変わっていく。
「親し気に頭なでてたじゃないっすか!」
「えっ!?」
あれを見ていたのか!
主は一連の悠斗の言葉をようやく理解する。
もう悠斗はその不快感も隠さない。
表情からも主は敵だと言っていた。
「見ましたよ。その後もずっとあんたらは仲が良さげだった」
「あ……それで、関係か」
さてどう答えたら良いものか。
美祢と主。アイドルと作家、これが最も適している。
だが、ただの作家がアイドルに付きまとっているという事実は、美祢にとって良くはない。
何より説明が言い訳じみている。
「……」
主が言葉を選ぶ様子を黙って見ている悠斗。
イラついている様子は、主にも伝わっている。
だが、……。
「ゴメン、うまく言えない」
簡単に説明できる関係ではないし、今の主は、自分が美祢を好きだと理解してしまっている。
それを別の言葉に置き換えることが、どうしても不愉快で。
そもそもなんで、この少年に、初対面の男に説明しなくてはいけないんだという反抗心も出てきてしまう。
それに若さにかまけてこんなコミュニケーションをしてくるのが、主には何より気に入らなかった。
「じゃあ、あの娘に近付かないでもらっていいっすか」
「うん? ……何でだろう?」
問い返してはいるが、主の言葉には明確な拒否が込められている。
それは悠斗にも伝わった。
だからこそ、こんな簡単なことを受け入れない年寄りが、余計に気に食わない。
「あんたは大丈夫でも、あの娘はアイドルだろ!」
そう、彼女は今も好奇の眼に晒されている。
悠斗は、何故だか彼女を、賀來村美祢を守らなくてはいけないような気がしてしまっている。
そんな悠斗の表情を見て、何か納得したような表情を見せる主。
「心配なんだね」
「あ!?」
お前に何がわかるんだ? 悠斗はそう言っている。
それとも今までの言葉の意味さえ理解しているのか?
そう問いただそうとする目だ。
「そうだね、中途半端じゃダメだったね」
「おい、あんたさぁ……」
この男は理解しておきながら、何を言い始めたのか?
悠斗の主に対する不快感は、これ以上ないぐらいに膨れていく。
知らず握られていた拳に、悠斗の意思を込めた力が宿っていく。
「大丈夫、これ以上近付かないよ」
「え?」
流石に目に見えた暴力は嫌うようだと、悠斗の気が抜ける。
ようやくわかったかという安堵でもあったのかもしれない。
「僕は彼女の夢を知ってるからね。その邪魔はしないよ」
「……」
主の表情。それはまるで美祢といた時の様に優しい。
おそらく、主の眼には鮮明に美祢が映し出されているんだろう。
だから、悠斗は少し油断してしまった。
「だから、君もそれ以上踏み込んじゃダメだよ」
主の強い視線に、少しだけ怯んでしまう。
さっきまで、自分が美祢を守っていたと思っていたのに、いつの間にか自分がけん制されている事実に悠斗は狼狽する。
「俺はっ!」
そんな訳ない。
俺はそんなこと考えていない!
だが、主の眼を見るとそれだけの言葉がどうしても出てこない。
「ダメ、だからね」
再度念を押される形の主の言葉に、出掛かっていた言葉が戻ってきてしまう。
「っ!」
「そこから先は、君の出番はないよ」
そして、再び主の言葉に込められた拒絶の意思。
僕以上に、君は彼女に関係ないだろうと。
「っかんねーだろ!!」
悠斗は思わず感情のまま叫んでしまう。
今はそうでも、これからは!
そんな感情の芽生えにも、主は大人げない言葉を口にする。
「そんなに役入り込んで、さすがは期待の新人さんだ」
君の感情は、役のせいだよ。
愚かな言葉を口にするのも、彼女を守りたいと思うのも。
全部全部、僕の用意したモノなんだから。
「その先は、何も用意してない」
だから、それ以上彼女に近ずくな。
主の敵対者に見せた顔を、美祢は知らないままだった。




