二百三十一話
「はい、お時間で~す!」
「みね吉! またね!」
美祢の握手会のレーンは大盛況と言っていい。
かすみそう25のメンバーの誰よりも多くの人が並んでいる。
その中には、はなみずき25のファンも混じっているんだから当たり前と言えば当たり前だ。
しかし、美祢自身はそうは思っていなかった。
ほんの一年半前、美祢のレーンはだれも見向きをしていなかったのだから。
スカウト組じゃないからなんて言い訳にもできないほど、誰にも見つけられていなかった。
そのころは、自分が笑顔を見せる意味さえ解らなかった。
「うん! またね~!!!」
だが、今は笑顔を向ければ笑顔を返してくれるファンばかりだ。
つかの間の時間を熱望され、別れを惜しまれる。
何より新しいファンの顔が増えていることがうれしい。
緊張している初めての顔が、笑顔に変わっていく瞬間は何より代えがたい。
あの時、主に見つけられて安本源次郎の眼に留まり、涙がこみ上げるほどの決断をした自分を誇りに思う。
あの決断が無ければ、こうして自分に会いに来てくれる人などいなかったのだから。
それが自分の夢である花菜のとなりに立つということに繋がっているんだから。
ファンのみんなが押し上げてくれなければ、自分の夢など到底叶うわけがないと知れたんだから。
ファンの様々な笑顔に、勇気づけられるように一人ひとりのファンと向き合う美祢。
そのファンの多くが、かすみそう25のメンバーとしての美祢が好きだとしても。
もうすぐお別れしなくてはいけない、笑顔なんだとしても。
少しだけセンチメンタルな笑顔のまま、次のファンの入室を待つ。
「はい、入室で~す!」
「……こんにちは」
係員にうながされてはいってきたのは、美祢も見知った顔だった。
「あ! 横山くんだ~!! 久しぶり、今日はどうしたの?」
彼は横山。元々はなみずき25のファンで、熱心にイベントに参加している一人だ。
デビュー当時からよく見かけている顔だ。
だが、どうしてだろう?
横山が美祢の握手会のレーンに並ぶのは、随分と久し振りだ。
ましてかすみそう25の握手会となれば、ほぼ初めてだろう。
「どうしたのって……そりゃ美祢ちゃんに会いに来たんだよ」
「え~!! 花菜推しだったよね?」
そう、横山は花菜推しを公言していた。
何度かの握手会でも、花菜に会った後に来たと言い放たれてヘコんだ記憶がある。
そんな横山をかすみそう25のライブ会場で見かけるようになったのは、最近になってからだ。
なので、ファン相手には厳しいツッコミになってしまう言葉をついついこぼしてしまう。
横山もバツの悪い顔を浮かべる。
ファンにとっても推し変、推しを変更するというのはそれなりの重圧がある。
増やすわけではない、変更するというのは一大決心なのだ。
美祢の言葉は、そんなこと言ってはいない。
だが、花菜推しのファンがなんで自分のところにいるんだと聞かれるとは。
だが、それも横山には想定内。
この握手会に参加することを決めてから、何度か頭の中でシミュレーションした問答の一つに過ぎない。
だから横山は数ある言葉の中で、一番無難な言葉を口にする。
極めて平静を装って。
「はなみずき25はね。かすみそう25は美祢ちゃん推しだから」
そう、推し変じゃなく推し増しだから。俺はそんなんじゃないから!
そんな態度で返答を終える。
よくできた。よくやったぞ自分!! そう横山が自分を誉めていると思わぬ言葉が、美祢から飛び出てくる。
「本当かなぁ~。前にお姉さん系好きって言ってたじゃん」
おいおい、昔の自分よ。
お前は何を言ってるんだ!?
マジか! 本当に馬鹿なことを口走ったな!!
ノンデリカシーにもほどがあるわ!!
お陰で聞きたいことすら聞けないじゃないか!!
過去の自分を責め立てていた横山は、ため息を落として切り替える。
過去に言ったことは消せない。
だが、今の言葉には嘘はない。
いや、今から口にするのが本当なんだと自分に言い聞かせて。
「あ~、本当に言うんじゃなかった。……本当に応援してるよ」
「ありがとう!」
美祢の笑顔は眩しくなった。
本当に、本当に眩しくなった。
はじめてステージから魅せたあの笑顔から、本当に変わった。
変ったからこそ、聞いておかないといけないことがある。
衝動のまま口にできたら、どれほどよかったか。
意を決して、そう何度も想い、握手している手に力が入る。
何度目かの沈黙で、横山は喉を鳴らした後にようやく言葉を口にする。
「あのさ……美祢ちゃんは、やめないよね?」
「え?」
「はなみずき25、やめないよね?」
最近のかすみそう25の勢いはすさまじい。
姉グループのはなみずき25の勢いを追い越すばかりの勢いだ。
いや、SNS界隈ではもう抜かされてしまったんではないかと言われる始末。
古参のはなみずき25のファンとしては、聞いておかないと安心できない。
勢いのあるグループのリーダーでもある美祢が、このままはなみずき25に居るのかを。
グループ卒業以外で、楽曲不参加なんて初の出来事なんだから。
「やだなぁ、やめないよ。大丈夫、今回はただお仕事で参加できないだけだから」
横山の決意とは裏腹に、何とも軽い調子の美祢の言葉が返ってくる。
「本当!?」
そんな調子の噛み合わない美祢の答えに、横山の声が思わず上ずる。
「うん、本当。……もしかして寂しかった?」
美祢はイタズラするような表情に変えて、横山を追撃する。
「なっ! ……っ!」
そう、寂しかったのだ。
それを言い当てられて、動揺を隠せない横山。
だが、認めてしまおう。
自分に正直に、言葉にしてしまった方がいい。
だが、時間は無常に過ぎていく。
よし! 言うぞ!! と、決心した横山の体を係員が引きはがす。
「ハイ、お時間で~す」
「あ! またね~!!!」
放れ際、慌てた美祢は手を振って見送る。
なんか、懐かしいな。
そんな思いが横山に訪れる。
つい最近まで、美祢は去っていく自分にあんな表情で別れを惜しんでくれていた。
「……っ! 寂しいよ! 美祢ちゃんのいないはなみずき25は、寂しいよ!」
横山はその懐かしさに負けて、本心からの言葉を置いていく。
君をあの場所で応援できないのはさみしいと。
「ありがとう!!」
美祢は退室する横山の背中が見えなくなるまで、手を振って見送るのだった。




