二百二十七話
「絶対ダメです!!」
「え? 何で駄目なんですか?」
宿舎に戻った主と松田が、ロビーで言い争いをしていた。
正確には、松田に叱られている主がいた。
「先生! 安本先生がOK出された歌詞変えるなんて正気じゃないです!!」
「で、でもですね? 安本先生があそこまで変えちゃったら、共通イメージ無くなっちゃいますし。一応2曲のイメージは似せないとッて思うんですよ」
ああ! 最悪だ!!!
どうしてこうなった!
松田は嘆かずにはいられなかった。
せっかく先を見越して仕事をしていたのに、この目の前の新人作詞家のせいで全部ふいになるかもしれない。
こともあろうに、この男。安本源次郎が詞を変えたから自分も修正してみたと言い始めたのだ。
確かにこの短期間に2曲のMV撮影をすることは、安本源次郎が言い始めたことだ。
だけど、今日のことだけでもギリギリだというのに、2曲とも変更があっては製作が間に合わない可能性すら出てくる。
それだけは避けたい。いや、避けなくてはいけない。
今ならまだ間に合う。
こんな頓智気なことを自分に言ってきた主のことを呪いながらも、よくぞ自分に言ってきたとも褒めてしまいそうになる。
万が一安本に先に言われていたら、本当に変更されてしまうのかもしれない。
そしてそれは、自分程度の権限では抗うことなどできないんだから。
どうにかその前に、この提案を握りつぶしてなかったことにしなくてはいけない。
「だいたいですね! 安本先生は先生に、先生は安本先生に世界観に寄せてたら、それこそ共通イメージ無くなっちゃいますよ!?」
「あ……そう言われちゃうと……」
「それに、言いたくないんですけど。……時間が無いんですよ」
「時間?」
「ええ! 歌も収録しなおさないといけませんし、それに美祢の映画。クランクインまで時間が無いんです。何のためにあの娘がはなみずき25の新曲不参加になったと思ってるんですか?」
美祢がはなみずき25の新曲に不参加となった決定は知っているようだ。
明かに主の表情が曇ったのを、松田は見逃がさなかった。
もう一息。
いや、もうこの男の眼に、変更を強行するほどの力は無い。
松田は自分の勝ちを確信した。
そう、勝ったのだ。
クリエイターの理不尽から、時間を確保するという勝利を得たのだ。
「どれ、見せてみなさい」
そう、安本に主の変更案を奪われるまでは、確かに勝ちは揺るがないはずだった。
だが、こうして事前に握りつぶすはずだったモノを見られては、どう転ぶかもわからなくなてしまった。
安本は、意外なほどに@滴主水に甘いのだ。
まるでわがままを言う孫を見守る好々爺を思わせるほどに。
「@滴くん。これはダメだ」
しかし、松田の予想とは違い、安本は険しい表情でダメを出した。
「これじゃ君の曲の世界観が台無しだ。いいかい? このフレーズは絶対に変えちゃいけなかった」
そういうと、主を座らせて安本による添削が始まる。
修正した歌詞に、赤いペンが次々に走って行く。
「いいかい? 僕が今回修正しようと思ったのは、君の世界観が面白いと思ったからだ。言うなれば、君の歌詞が今回の軸なんだ! 背骨だ! 監督だってそれがわかったから、ああやって頑張ったんじゃないか!」
「う、……はい」
「軸を継ぎ足しても、不恰好なだけだよ。もっと君は自分の仕事に自信を持ちなさい!」
「……わかりました」
肩を落として去っていく主の背中を見ると、さすがの松田も気の毒に感じてしまう。
彼だって良かれと思って行動したのは事実なんだろう。
なにより、自分より大物であるはずの安本が、彼の目のまえでああもフレキシブルに動いていたら自分も動かないといけないのではと思うのも仕方がない。
そんな同情心が芽生えた松田の耳に、安本のとんでもない発言が入ってくる。
「よしよし、やっぱりこういう行動に出るよな。彼なら」
「……先生、……まさか?」
安本の顔が少年のような笑顔になっていた。
松田は、信じられないようなものを見る目をしていたのを自覚していた。
「ん? ああ。そうだよ、彼に本当の締め切りってやつを教えたくってね」
やはり!!
やはり、わざとだった。
こうしてわざわざ貴重な時間を消費して、自分の仕事を@滴主水に見せつけたのも。
彼の修正案を叱責して、却下したのも。
すべては、@滴主水を刺激するため。
そのためだけに、本来なら修正しなくてもいい自分の歌詞を変更して、MV撮影をかき回すだなんて!
このために、かすみそう25のメンバーはしなくてもいい仕事に時間を取られていたなんて!
松田は、極力顔に出ないように感情を押し殺す。
だが、それは簡単ではなかった。
「いやいや、君たちには申し訳ないことをしたと思っているんだ。だけどね」
安本はそれまで浮かべていた薄ら笑いを消して、真面目な表情を浮かべる。
「今日のことが、君や、彼女たちを救う時が必ずくる。それだけの価値のある仕事をしたと想っていて欲しい」
それは安本なりの謝罪だった。




