二百二十六話
「監督、変更用の歌詞。3通り用意したから目を通してくれるかい?」
撮影が始まろうとした直後、安本は撮影の監督に近寄ると変更したという歌詞を見せる。
「え? あ、あの……あのコンテは、お気に召しませんでしたか?」
「ん? いやいや、とっても良かったよ。だが、あの世界観を共有したいんだ。ただそれだと歌詞が弱い気がしてね」
「そ、そうでしたか。……拝見させていただきます」
安本に無用な手を煩わせたかと、監督の喉が鳴る。
だが、そこに描いてある歌詞の世界観は、元の歌詞にイメージに沿った形で修正されている。
とりあえずは、安どの息を吐く。
歌詞からのイメージした世界観をコンテに落とし込んだというのに、歌詞を変えられるということはその根底を否定、もしくは変更させられるということだ。
映像を仕事としている手前、この大作詞家に世界観が合わないと見聞されては、自分の今後の仕事にも関わってくる。
そんな心配がとりあえずは無いことを喜ぶ。
「えっと、これだと、ここのリップシンクはどうしましょうか? 時間的にフレーズは入るとは思いますが、演者の入りを待つのが……」
「ふふふ、大丈夫。だろ?」
安本が振り返ると、そこに立っていた美祢と美紅が力強く頷いている。
「歌詞だけならもう覚えましたから」
「……良かったぁ~。セリフだったらどうしようかと」
「え?」
監督は美祢と美紅の言葉に、驚きを隠せないでいた。
本当に始まる直前まで、彼女たちが元の歌詞を口にしているもを見ていた。
なのに、何も問題が無いと言い放っている。
しかもその表情は決して、強がりや安本の無茶ぶりに応じた風ではない。
本当に大丈夫だと言っているのがわかる。
それはわかったが、本当なのか? と、疑わざるを得ない。
こんな直前の変更など、そうは聞かない所業だ。
それだけでもおかしな話なのに、それを問題ないと言い切るアイドルがいるはずがない。
「じゃあ、テストで一回やって、難しそうなら表情だけの演技にしましょうか」
信じがたいがやらせてみればわかることだと、自分も割り切る様に言い放つ。
自分のイメージとは少し離れてしまうが、仕方がない。
撮影に使える時間は有限なのだから。
しかし、始まってしまえば自分の認識が甘かったと思うしかなかった。
彼女たちは、やってのけたのだ。
ほぼ二人の歌唱と、演技が中心のMV撮影。
それも直前の変更があったのにもかかわらず、ミスなく歌いきってしまった。
もうどっちがおかしいのかわからない。わからないができてしまった。
目立ったNGもなく、撮影は進んでいく。
進んでいくが、どうしてだろうか?
彼女たちを見ていると、それまで描いていた画面が物足りない気分にさせられる。
映像を確認していくにつれ、それは次第に大きくなっていく。
自分も変更を伝えるべきか?
彼女たちなら応えてくれるのではないかと、欲が沸き上がって来る。
だが、ここにいる安本源次郎の存在がそれを躊躇させる。
煩わせることにメリットなどない。
自分が納得できないなら、飲み込めばいいだけの話のはず。
優先するべきは依頼者の意向。それは先に提出していたコンテで満たしている。
それにこのアイドル達を無駄に拘束することにいい顔をするはずもないことも、重々承知している。
「~~~~!!!! ちょっと……カット18と47撮り直ししようか」
抑えきれなくなり、とうとう口にしてしまった。
「監督! そこ撮り直しだと前後が繋がらなくなりますよ!?」
慌てたように助監督が詰め寄る。
それもそうだろう。
通しで録ってしまったために、前後のシーンの日の傾きに繋がりが無くなってしまうのだから。
「なら、もうちょっと印象的な詞に変えてみようか?」
取り直しを受け入れたように話す安本が新しい歌詞を手に、監督たちの会話に割り込んでくる。
それを視た監督は、新しいインスピレーションを得る。
「じゃあ! このシーンもっと画角変えてみましょうか? 例えば……こんな風に」
「いいねぇ!! こっちの前の音に少し余韻を持たせてみようか? できるかな?」
安本は監督の変更を受け入れて、さらに作曲班も巻き込んでいく。
「ちょっと待ってくださいね。余韻、余韻。こんな風にです?」
「そうそう! いいじゃない!」
そうなってくると、もう制作の上位者たちは止まることを忘れてしまう。
ダンス担当の本多も呼ばれて、もう別の曲をこの場で作るような勢いで変更がされていく。
まるで幼い少年たちが、遊びの設定を考え始めたかのような盛り上がりを見せる。
「……やっぱりこうなった」
そんな様子を事前に予期していた松田は、自分の仕事に間違いがなかったことを確信する。
先輩についていた時に、経験したあの悪夢が再び始まったのだ。
これが始まってしまったら、今日中に終わることすら怪しい。
場所の申請も、宿泊施設も抑えている。
関係者のスケジュールも余裕をもって抑えている。
だから、自分の仕事に不足は無いんだと確信していた。
「これが……安本源次郎の……仕事」
初めて見た安本の現場仕事に、目を奪われている主の存在に気が付かないほど、松田は安堵してしまっていた。




