二百十八話
出来上がったプロットと、新作の冒頭を読む佐藤の表情を息をのむように見つめる主がいた。
無表情な佐藤ではあったが、それでも主にとってはかすかな手ごたえではあった。
それまで主が提出してきたプロットを見る佐藤は、わかりやすいほど表情でダメを出してきた。
だから表情の変わらない佐藤の姿は、どちらかと言えば好感触と言える。
「……」
だが、それでも時間が経つにつれ不安が首をもたげてきてしまう。
「ど、どうですか?」
束ねた紙を机で揃える佐藤に、主は恐る恐る声をかける。
自分としてはかなり、いや、渾身のプロットのはずだ。
これまで提出したどれよりも力の乗った作品ができたはず。
そんな自信をもって提出したはずが、今までのどの作品よりも答えを聞くのが怖い。
「うん、いいですね。これまでのより断然にいいです」
「本当ですか!? よかったぁ!!」
主の不安を吹き飛ばすような佐藤の言葉。それを聞いてようやく胸をなでおろす主。
終わりの見えた作品を抱える主にとっては、これ以上にない安心する言葉だ。
次回作をようやく作ることができる。その入り口に立てた喜びが、全身を弛緩させる。
「特に主人公の女の子! 彼女が良いですね。目立たない選手が活躍する王道ストーリーですけど、仲間と共に突き進む意志の強さが燃えますね。ただ……」
明るく感想を口にし始めた佐藤の表情が少しだけ曇る。
これは口にしていいのかと。
間違いなく、佐藤の考える通りの答えが返ってくるだろう。
それを聞いても良いものかと、佐藤は口を閉じる。
「ただ、なんですか?」
そんなこととは思わない主は、何か不備があったのかと佐藤に次の言葉を促す。
何でもいい。直すところがあるなら、今すぐ聞かせて欲しいと。
「先生。ここまで作風変えて、大丈夫ですか? まだ3巻あるんですよ?」
佐藤は、とりあえず当たり障りのないところから問いただす。
現在抱えている『疾風迅雷伝』とは大きく変わってしまった@滴主水の作風。
今いるファンも戸惑うのではないかと。
それ以前に残りの『疾風迅雷伝』に影響はないのかと。
佐藤の認識では、@滴主水という作家はその時の気分やテンションが作品に与える影響が顕著な作家だ。そんな作家が新作のテンションを旧作に持ち込まないかと心配してしまう。
「……大丈夫です。一応終わりまでは書いていますから。……ああっ! あとで持ってきますね」
しかしそれは大丈夫だと主は言う。もう完結している作品だからと。
それは初耳だと佐藤の表情が曇るのを見た主が少し慌てたように弁明をする。
佐藤は聞いてもいない原稿の存在を知り、憂鬱そうに息を吐く。
3巻分のチェックがいきなり発生してしまったのだから仕方が無いだろう。
それは置いておいてと、佐藤は今一度主に向き直る。
「あの……、それと、もう一つ」
「はい?」
「この主人公なんですけど、……モデルいますよね?」
佐藤は自分が気が付いた核心的な質問をようやく口にする。
そう佐藤が気が付いたのは、主人公のモデルとした人物がいるかもしれないということだ。
自分は気が付いたが、読者はそれに気が付くだろうか?
もしかしたら気が付くかもしれない。
だから、一応の安全のために確認が必要だと。
少なくとも自分だけは知っておかなくてはいけないだろうと。
「っ! ……はい、います。……やっぱり、わかりますか」
指摘を受けた主は最初は驚いた表情だったが、すぐに恥ずかしそうに顔を紅くする。
そんなにわかりやすくしたつもりはなかったが、わかる人にはわかるのだと。
まさかそれが目の前の佐藤だとは、思ってもいなかったからだ。
「ええ、まあ自分もあちらとは少し交流有りますし、作品もチェックしてますから。でも……あっちとは、その、性格がかなり変わってますけど? あっちの作品はどうするんですか?」
主人公のモデル。それは佐藤も知っている人物だ。
@滴主水がデビューするきっかけを作った人物。
アイドルの賀來村美祢。
彼女を主人公に置いた作品はもう存在している。
今現在、かすみそう25のCDに特典として付けている小説。
芸能界のフィクサーの依頼で書いている小説の主人公が、彼女のはずだ。
その作品とは、主人公の性格が大きく変わっている。
仲間想いなのは変らないが、暗い雰囲気を漂わせない明るい性格。
それでいて、何故か同じ人物を思い浮かべてしまう。
気が付いたファンがどう思うのか、少しだけ不安を感じずにはいられない佐藤がいた。
もしかしたら、また炎上なんてことにはならないだろうかと。
だが、主は心配ないと首を振る。
「あっちは、……主人公を変えることにしたんです。彼女の話は次の原稿で終わりです」
「え? あの……それって大丈夫なんですか?」
一瞬佐藤は、主の言葉を理解するのに時間を要した。
しかしもう書かないから大丈夫だと言っていることに理解が及ぶと、また別の疑問を口にしないといけなくなる。
その疑問にも主は力強く頷き、問題ないと口にする。
「ええ、安本先生にも許可を頂きました。彼女を書くのは彼女が卒業する時ってことになりました」
「そうですか……ファンは少し、戸惑うでしょうね」
本来口にしていい情報でもないだろうに、主は自分に話すのは当たり前だと言った表情を見せている。
ならば、もう……仕方が無いだろう。
自分が読んでいた作品でもあるあの小説が終わるのかという、少し残念なネタバレだったが自分だけは理解してあげないといけない。
自分はこの作家の担当編集なのだから。
「そうですね。申し訳ないですね、僕が不甲斐ないばっかりに」
ファンを想えば、主は詫びるしかないのだ。
彼女に特別な感情を抱いてしまった自分の未熟さ故のことなのだから。




