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二百十七話

「先生、ずいぶんと久しぶりな気がしますね」

 綾に疑惑の一晩について問い詰められてから数日後。主は新年早々ではあるが佐藤の待つ出版社へと来ていた。

 年末の忙しい時間に連絡を入れ、まだ会社として新年を迎えていない日に時間を創った佐藤の第一声。

「佐藤さん、そんな嫌味いわなくても……」

 主にとっては少しだけ棘を感じずにはいられない言葉だった。

 しかし佐藤はそうじゃないと首を振る。

「いやいや、実際久しぶりですよ。何かを思い付いた目をした先生に会うのは。……新作の話ですよね」

 佐藤は作家、@滴主水が何かを思いついたのを察知していた。

 永らく結果の出ない、@滴主水の新作へのアプローチ。

 それが@滴主水自身がようやく自分なりの答えを持ってきたのだと、年甲斐もなくワクワクしていた。


 主は神妙な面持ちで、佐藤へと問いかける。

「ええ、……佐藤さん。アレまだ持ってますか?」

「アレ? ……どれですか?」

 いったいなんだろうか?

 おそらく過去に@滴主水が、自分に提出した原稿やプロットの話だろう。

 しかしその数は、アレで通じるほど少なくはない。

 そのすべてを保管しているが、どれの話なのか見当がつかない。

 そんな佐藤の疑問を口にしようとする主は、一回喉を鳴らして意を決したように口を開く。

「疾風迅雷伝の2巻で使おうとした書き下ろしです」

 2巻の単行本作業の時に産み出された本編に入らないヒロインとその仲間たちにスポットを当てた作品。

 佐藤をしてよく描けていると言わしめた、幻の第2巻原稿。

 佐藤もその扱いを決めきれずにいた。そうこうしているうちに@滴主水の疾風迅雷伝は、元の結末からは大きく外れてヒロインたちの役割も変わってきてしまった。

 今更外伝とするにしては、3カ月連続刊行など早いスパンでの発刊がたたり機を逃してしまってもいた。

 そんな原稿の話をされるとは思わず、佐藤は主の決意とは逆に気の抜けた返事をしてしまう。

「書き下ろし……っ! ああっ! ありますあります!」

 佐藤は自分のデスクの奥深くに眠っているそれをどうにか掘り起こすのだった。


「これをどうするんですか?」

 いったいこれをどうするのか? 佐藤は不思議そうに主を見つめる。

「こうします!」

 主は表題に書かれた『疾風迅雷伝 2巻』に射線を引き、新しく考えてきた表題を付け直す。

 そこには『えきでん!』と大きく一言だけ書かれている。

 佐藤はその文字の意味を少しだけ考える。

 えきでん……駅伝。ああ、女子駅伝ということか! そう理解すれば確認する必要が出てくる。

「えっと……現代劇に変えるってことですか?」

 元々バトル物、それも異能力系の学園バトルファンタジー作品の原稿を?

 本当に? という意味と、出来るのか? という二つの意味を込めて確認する。

「ええ、スポーツ物で女の子が主人公です」

 佐藤の問いが全部理解できているのか、主は力強く頷く。

 ここに書かれた彼女たちを活かすなら、それしかないだろうと確信をもって。

 そんな主を見ても尚、佐藤はもう一度同じ意味を込めた質問をする。

「あの、でも知識は?」

「ちょうど兄が陸上部だったので、そこの伝を借りようかと」

 それでも主は、いや、@滴主水はできると言い放つ。

 むしろこれじゃないとできないとでも言うように、力強い目で答えるのだ。


「……先生、プロット何時までに出来ます?」

 @滴主水の言葉を理解した佐藤は、ようやく担当編集としての顔を見せる。

 もちろんすべてを理解できたわけではない。

 主の言葉が正しいとしたわけでもない。

 だが、目の前の作家には見えているのだろう。

 この持て余してしまった原稿に描かれた彼女たちが、走って行くゴールが。

 ならば描かせてみよう。

 彼女たちを見せに来たころと、同じ目をしたこの作家の好きなように。

 ダメならダメで担当編集者として決断を突きつければいいだけなのだから。

「ふふふ、そんなこと聞かれるのも久しぶりですね」

「あのね、……はぁ。使える部屋無いか確認してきますね」

 自分の置かれた立場を理解しているのかと、少し呆れ気味で佐藤は同僚よりも先に仕事始めを行う。

 そんなことはお構いなしに、主は自分の中で余裕を持った時間を告げる。

「あっ! 佐藤さん、4時間は下さいね!」

 相手が担当編集とは言え、他人を拘束するのに加減が無くなったなぁと自分の言葉に主が少し驚く。

 佐藤は少し驚いたような顔を見せるが、目の前の人物が誰かを思い出して主に注意を促す。

「先生、くれぐれもキーボードは壊さないでくださいよ! 今日は替えを買いに行く時間はありませんからね」

 

 主は佐藤に案内された会議室で、集中して物語を構成していく。

 時々漏れ聞こえる破壊音にも似た音を聞きつけた警備員がその部屋を覗きに来ても、主がキーボードを叩くのを止めることはなかった。

 ただひたすらに集中して。

 警備員が恐怖に顔を染めていたとしても、止まることはなかった。

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