二百十四話
「もぅ! お園っ!! あいつ、いつまでいるのよ!」
綾と公佳が主を確保する少し前。花菜は、何とか主に近寄るチャンスをうかがっていた。
背中は通路を無視した美祢が占拠しているし、真正面には捕まると主との時間が確保できなくなるくらい面倒なレミがいる。
花菜は、何とかして主との時間を確保する必要があった。何故なら今日この日の恋愛運が絶好調だと朝のテレビでやっていたから。そう、ただそれだけ。
それだけのことが、どれだけ嬉しかったか。
美祢が次のシングルに参加しないと言われた時から、なかなか入らなかったギヤが久々に噛み合った気分になれたのだ。お陰で今日の仕事も上手くいった。
生放送の披露もほぼ完璧にパフォーマンスできたのだ。だから、そんな大事な占いを仕事だけに使っては申し訳がない。
なんとしても、主との時間を確保しなくてはいけない。
「早くどきなさいって!!」
少しだけ大きくなった独り言。
まさか誰も聞いてはいまい。とは、考えていない花菜。
花菜にとって自分に都合の悪いことなど起きるはずがない。これが花菜の思考。
美祢に劣等感を感じていながらも、主人公気質な花菜はいつものように無警戒に口を開く。
「おやおや、園部君は苦手なのか」
「……っ!? ……なんだゲン先生か。ビックリしタァ~」
突然後ろから声がかかり、跳び跳ねるように振り返った花菜の目に入って来たのは安本の姿だった。
安本を見た花菜は、安堵したように肩の力を抜き自然な笑顔さえ向けている。
「久しぶりだね。花菜」
「そうだった。この人も名前呼びだった~」
「ん?」
主に名前呼びしてもらうという特別感に、未だにこだわっている花菜。久しぶりに安本と顔を合わせて、また特別感が薄れたと頭を抱える。
そんな花菜に何かあったのかといった視線を向ける安本に、花菜は首をふって答える。
「ううん! 何でもない……です?」
そういえば、目の前の人物は主が緊張するような大物だったと思い出して、少しだけ語尾に戸惑う。
自分がこの人にどんな態度だったのか? と。
「今さら敬語になるなんて……これが最後の晩餐か」
大袈裟に肩を落とした安本の反応が、明らかに自分をバカにしたような仕草であるのに気が付くと、
花菜はいつもの態度を思い出す。
「ちょっと!」
「あはは、もちろん冗談さ。うん、半分は」
「もう!」
芸能界広しと言えど、花菜のような態度を安本にとるアイドルはいない。
周囲のスタッフが花菜を咎めないのは、安本本人が彼女の態度を受け入れているからに他ならない。
その花菜への態度が、周囲へのメッセージになっている。
はなみずき25は、高尾花菜というアイドルのためのグループなのだと。
花菜と安本を視界の端に納めている、はなみずき25のスカウト組メンバーたちは、酒気に浸った頭であってもその事実を嫌でも認識してしまう。
だからこそ、花菜に勝たないといけない。
安本という芸能界の大物が特別だと公言するかのようなアイドルに、自分は勝てるのだと。
自分という人間のタレント性が、どの程度優れているのか。それを示さないといけない。
そんな、暗さを纏う気分を酒と共に飲み下していく。
「花菜は@滴君が本当に好きなんだね」
安本に言い当てられた想い人。
デビュー前に話していた、初恋の人をあっさりと見破られた花菜は少しだけ慌ててしまう。
「げっ! ……ゲン先生……わかる?」
「ああ、バレバレだね」
しかし、目の前の人物をたばかることなど出来ないと知っている花菜は、諦めたように認めてしまう。それに対する安本の態度は軽いものだ。
少なくとも自身の手掛けたアイドルに、恋愛を禁止させている男の態度ではない。
そして花菜の態度も、決定的なミスを仕出かした認識はないように見える。相手は芸能界のフィクサー、安本源次郎だというのに。
「ん~!! ごめん。来年はもっとガンバル」
「頑張りなさい。なるんだろ? 最強のアイドルに」
「うん、ゲン先生との約束だからね」
二人の間には、特別な何かがあることだけ。それだけが二人の間に流れている。それは今はまだ誰も知らない。
自分が来ていることすら気が付いていない腹心に目を向ける安本。
自分の思い付きと、上からの介入によほど押さえ付けられていたのだろう。
部下と酌み交わす杯が、やけに早い気がする。
そう言えば、立木と飲みに行ったのはどれくらい前になるか?
「ああ、約束だ。……じゃ老人は退散するかな」
「帰るの?」
「立木にあまり飲むなと言っておいてくれ」
あんなに楽しそうなところに水を差すこともないと、安本は立木には何も言わず花菜に伝言だけを頼み帰っていく。
「ん~、わかった……?」
いつもと様子が違う安本を不思議そうに見送ると、綾と公佳に手を引かれる主を見つける。
花菜は安本の伝言など忘れて、ガードされた主を何とかして奪い取ろうと終始するのだった。




