二十一話
美祢がアイドルとしてひと皮むけ、新たな一歩を迎えている頃主は苦境に立たされていた。
「あ、佐川です。すいません、今日ちょっと体調がおもわしくなく、はい、はい、すいません」
本業の病院に欠勤の連絡をして、主はパソコンに向かう。いつもの自宅にあるパソコンではなく、編集部にあるパソコンに。
いわゆる缶詰と呼ばれる状態に追い込まれていた。
それは自身の小説『疾風迅雷伝』の2巻の作業が滞り、佐藤の判断で缶詰となった。
そうは言っても話自体は既にあるし、なんなら余分に書き下ろした部分もある。なのに何故か?
それはまさに余分に書き下ろした部分が問題だった。十分使える量がありながらも、結局ヒロインに焦点を合わせたそれは前後が繋がらす浮いたモノになっている。
それを解消するために、どうにか2巻の範囲に組み込むことができないだろうか画策している。
「先生~、進捗どうですか?」
佐藤が以前の清潔感を取り戻した姿で現れる。
「ダメですね。最初書いてたときのテンションが違うからかなぁ?」
同じページを複数枚印刷し、ラインをして元の2巻の原稿に入れては読み、別の部分を入れては読み返すを何度も行う。
「ちょっと確認するんで、休憩いってください」
「お願いします」
佐藤と入れ替わるように部屋を出て行く主の顔は暗く何処か刺々しい。
「なるほど、@滴先生は缶詰に向かないっと」
実際1巻がかなりの早さで刊行されたお陰で、2巻の締め切りラインまでまだまだの余裕はある。しかし佐藤は@滴主水という作家の限界を把握するためにあえて無理をさせてみた。しかし効果のほどは思わしくない。
「テンションが違うかぁ」
読んでみて佐藤は納得の表情だ。
「確かに、どうするか? このまま数か月とか、下手すると2巻間に合わないかも……」
繋がりも何もなくなっている酷い文章に頭を悩ませる。
「これならいっそのこと……」
「戻りました」
「先生、嫌な提案していいですか?」
「まあ、聞くだけなら……」
佐藤は真剣な表情で、主をみて言う。
「ここまで違うなら、いっそのこと今後の展開含めて全部書き下ろしにしちゃいましょう」
「全部……って全部ですよね?」
「はい、全部です」
主は即答できなかった。投稿サイトでは未だに連載中であるこの小説。思い悩みながら頭に浮かんだ風景を文字に書き起こす作業というのは、一番主人公や周りの登場人物が輝く瞬間の場面に、どう到達するのかという主人公たちと共に主自身が冒険をした記録でもある。
それを全くイチから始める。加筆とは違い、言いようのない胸のつかえを感じていた。
携帯から自分の小説にアクセスし、特に思い出深い場面に目を通す。
すると、主の頭の中の主人公たちが新しい場面を産み出していく。
主はその場面をリフレインさせながら、その場面に必要な要素を見つけ書き出していく。
物語の時間で3年分をさかのぼり、新しい要素を手にした主人公たちの3年間を再度進めていく。
主人公たちの歩みは加速していき、主に見えていたラストシーンから離れた結末になっている。
そのラストシーンは、残念ながら主にとって面白いものではなかった。なので、再度物語の時間を遡行し、再び結末へと帰ってくる。
それを爪で机を叩きながら、何度も何度も繰り返す。
「先生……?」
返事の前に黙り込んだ作家を前に、佐藤は少しだけ動揺していた。
作家の中には物語に口を挟まれるのを嫌う者もいる。主もそのタイプだったかと佐藤は少しだけ後悔した。しかし、それを口にも態度にも極力出さないよう訓練している。
本が出ないという最悪の結果を招くよりも、自分が泥をかぶっても本を出すまでもっていくのが編集者としての自分の矜持だと言い聞かせる。
「あ! できた」
主は何度も何度も始まりと終わりを繰り返し、自分の望む結末へと到着することができた。
しかし、それは自分の頭の中で完結するには問題ないが、読者がいる立場では許されないこともある。
主はキーボード必死に叩き、さっき出来上がった結末までの大まかな流れを書き込んでいく。
そして出来上がったものを佐藤へと提出。
「ちょっと読んでください。書き直すならこれで行こうと思います」
「……」
提出された文章を読み、それまでの物語と比較していく。
悪くはなかった。むしろそれまで腑に落ちなかった設定が無理なく落とし込まれているように感じる。
「これでいつまでにできそうですか?」
「本職クビになるつもりなら朝まで、本職と平行なら3、4日ください」
「わかりました。今日はもう帰っていただいて4日後にもう一度提出で」
缶詰を解除され、ようやく主はわが家へと帰ることが許される。
それからしばらくして、@滴主水の小説『疾風迅雷伝』の2巻の発売予定が発表されるのだった。