二百八話
「松田、……宇井が目立ったことで二期生が、全体的に良くないか?」
「ええ、まるで御披露目の時みたいです」
美祢と江梨香がWセンターとして機能し始めると、二人の周囲にいるメンバーがようやく視界に入ってくる。そして3列目で美紅とシンメのポディションである綾も美祢と同じように引力を発揮し始める。
それに負けないように美紅が奮闘し始めれば、2列目や3列目の端にまで視線の陽動が行われる。
それにより、かすみそう25というアイドル全体がしっかりと視界で光始める。
松田の『お披露目の時』という言葉の通り、一期生の美祢や美紅が目立つ序盤から次第に二期生の江梨香や綾へと目立つ者が変わっていくのは、まさにあのステージの再現と言えるかもしれない。
立木は口を手で押さえながら、ポツリと一言こぼす。
「……練習風景としてネットに上げるのもありか?」
「えっ! またですか!? これ一応、未発表ですよ!?」
立木の言葉に思わずツッコまずにはいられない松田。
前作のカップリング曲の『スタートライン』に続いて今回もかと。
確かにあの時は仕方がなかったとはいえ、本来は楽曲をこんな風に発表するなんてありえない話なのだ。
メンバーを綺麗な衣装に包み込み、映像制作のプロを呼び、楽曲から監督のイメージを吸いだし、綿密なカット割りの元、出来上がった商品価値のある映像を創ってこそ初めてファンに向けて、『今回はこんな楽曲なんですよ』と紹介するものだ。
事実『スタートライン』のMVも悪くはなかったものの、アカペラちゃんねるの『走らなきゃ見えない』で初披露された匡成公佳と佐川綾の二人のアカペラ歌唱のイメージを強くファンに印象付けてしまった。お陰で某掲示板には『ユニット曲じゃなかったっけ?』などの書き込みが多い。
映像を創る監督は外部の人に発注している手前、その効果に疑問ができてしまえば発注への費用の無駄も指摘されるし、何より『やりがいのないMV制作』や『やりずらいアイドルグループ』などというイメージを持たれてしまえば、今後のMV制作に支障をきたす。
そんな懸念を持つ松田の視線にも気が付かない立木の瞳は、もう止まりそうにもなさそうだった。
「なに、未発表曲をネット先行するのは初めてじゃないし、良いんじゃないか?」
「やっ、安本先生っ!!」
松田の不安を一蹴するように、鶴の一声が聞こえてしまう。安本源次郎という絶対的な鶴の声が。
そうなってしまえばもう、立木を止める言葉を幾ら並べたところで無駄になってしまう。
「大将、……そうですね。ちょっとその方向で調整してみます!」
まだ曲の途中だというのに、立木は走り出していってしまう。
このままいけば、年内にはこの映像は公開されてしまうだろう。
冠番組でもまだ、新曲制作の発表すらしていないのに。
ああ、急いで制作会社にフォーメーション発表の画像を入れ込んでくれるように話さなければと、松田は新しくできてしまった仕事を脳内のスケジュール帳に書き込む。
「ああ、頼むよ」
安本は立木の背中に短い声をかけて、流れている楽曲とパフォーマンスをするアイドル達へと視線を動かす。
「う~ん。それにしても前の時も、今回も、彼の曲かぁ。……少し妬けてくるね」
そんな安本の言葉を、松田は少し背中に冷たいものを感じながら聞くのだった。
「松田君。MV、いつ撮影だっけ?」
「あ、はい! 年明けすぐです」
急に自分に向けられた言葉に、驚きながらもきちんとした答えを即座に返すことに成功した松田は、自分を褒め称える。この大作詞家を煩わせることが無かったことに胸をなでおろす。
しかし、そんな松田の安堵をあざ笑うかのように、安本はその柔らかい表情から松田の一番聞きたくない言葉を口にする。
「そうか、……最年少組のも一緒だったよね? 少し手直しするから」
安本の『少し』と『手直し』という言葉に、松田は昏倒するかのようなめまいを覚える。
ああ未来の私、仕事始めは押しに押すMV撮影から始まるみたいだよと、少し涙目になる。
そんな松田に追い討ちをかけるように、安本の口から更なる地獄が創り出される。
「ああ、そうそう。私も現地に見に行くから時間調整、お願いできるかな?」
「はっ、はい! 先生のマネージャーと調整しておきます!」
「うん、頼んだよ」
またしても即座に答えられたものの、あの大作詞家は何と言ったんだろうか?
ただでさえ年末に詰められた仕事が今増えたばかりだというのに、とんでもない大仕事が今発生した気がしてならない。
深呼吸しようにもうまく吸えないまま、安本の言葉を反芻し始める。
「安本先生が、現地に!? もしかして現地でも修正? だとすると……ボスも抑えないとか」
反射的に起こりうる未来を予測して必要な仕事を口にして、松田は次の行動に移るべくスマホに手をかける。
「……、……あ、もしもし? 松田です。年明けのMV撮影に安本先生が同行すると。ええ、はい。なので、ボスの、本多先生の抑えもしないとと思いまして、はい。はい、そちらはこれから。……お願いします!」
そして一つ仕事を終えた松田に、安本の言葉が反響し始める。
その言葉が、今この瞬間から始まる地獄の工程を映し出す。
「ヤバいヤバい! 納得するまで口出すからなぁ……あっ! 近くのホテルも抑えないと! あと、向こうの監督にもっ! あ~! ……母ちゃん、ゴメン。今年も帰れそうにねぇ……」
遠い空の下にいる母へ向けて、松田は一筋の涙を流すのだった。




