百九十九話
年末も差し迫ったころ、かすみそう25の外仕事の合間に美祢と美紅はレコーディングスタジオに来ていた。もちろんこれもかすみそう25の仕事。それもメインとなる楽曲収録の仕事だ。
「み、美祢。どうして私はここにいるんだろう?」
「美紅、歌収録初めてじゃないんだから、そんなに緊張しなくって良くない?」
「緊張するよ! なんで美祢と一緒なの?」
「そんなの……私と美紅が二人でセンターするからに決まってるじゃん」
そう新しいかすみそう25の楽曲『隣のあなたに』は、美祢と美紅がセンターを務めることになった。
いつものポディション発表の際、いつもなら早々に呼び出される美紅がどれだけ経っても呼ばれないことに戸惑い、しきりにドッキリを疑って周囲をきょろきょろと見まわす姿がカメラに収められている。
その様子を見たファンは、意外なセンター起用に驚くとともに、美紅のリアクションに盛大に笑うこととなる。かすみそう25の歴史の中でこれほど笑える発表シーンは他にはないと語り継がれる場面だ。
そんな軽いやらかしをした美紅は、今でも自分がセンターをすることを受け入れられていなかった。
美紅自身の自己評価では三列目の真ん中、難しいフリであれば二列目の端に起用されるのが妥当だと思っていた。
それが前には誰もいない、横にはかすみそう25のエースの美祢だけ。
そう考えれば考えるほど、そこは自分の位置ではないと思ってしまう。
そしてファンに一番近い位置に立たないといけないという恐怖に似た感情。
謎だ。謎の起用に驚いたのは、ファンでも誰でもない美紅自身だった。
「……どうしてこうなったっ!」
「美紅、安本先生たちの決定理由なんて考えても無駄だよ? ……本当にわからないんだから」
美祢の言葉は、美紅に説得力しかない言葉に聞こえていた。
突然ソロ曲を歌わされたり、新しいグループをリーダーとして兼任させられたりと、振り回されてきた結果なのかもしれない。
安本源次郎の真意を推し量ってはいけない。
そう言われてしまえば、美紅はもう何も言えない。
せめてもの抵抗とその場で動こうとしない美紅は、美祢に引きずられてスタジオに入っていくのだった。
「やあ、二人とも。忙しいのに悪いね、ちょっと幾つか修正したから確認しといてくれるかい」
美祢と美紅を出迎えたのは、先ほど話題に上がっていた安本源次郎だった。
歌詞を書いた紙を手に、人のよさそうな笑みを浮かべている。
美祢は何度かその笑みから出てくる悪魔のような決定を知っているので、安本の『ちょっと』が言葉のままではないと嗅ぎ取ることができた。
だが、美紅は安本に会うことすらめったにない出来事で、本物の安本源次郎だとパニックになりながら歌詞を受け取ってしまった。
「えっ!?」
美紅は受け取った歌詞を見て、思わずリアクションをしてしまう。
美祢は、こう来たかと眉だけの反応に留めることができたのだが。
美紅の反応を見て、安本はいたずらに成功したかのような満面の笑みを浮かべて美紅の肩に手を置いて一言。
「じゃ、センターは頼んだよ」
と、言い残してスタジオを出ていってしまう。
その言葉に得も言われぬ恐怖を感じた美紅は、固まったまま動くことができなかった。
美紅の視界には、当初とは全く違う歌割の歌詞だけが映っていた。
「美紅、……美紅! ねえ、美紅ってば!!」
「ハッ!! あの! これってどういうことなんですか!?」
「安本先生、もう帰ったよ」
気が付いてなかったのかと、半ば呆れたように美紅を見た美祢の両肩を美紅がガシっとつかむ。
「美祢! なんであんたそんなに冷静なの!? これっ見たの!?」
「見たってば~。だからこの通り歌うしかないでしょ」
「いやいやいやいや。……いやいやいやいや」
「いやが多い」
「だって、これほぼ私ら二人しか歌わないじゃん!! 表題曲だよ!? ユニット曲じゃないんだよ!?」
「だから見たってば」
「だからっ!! なんで美祢はそんなに冷静でいられるの!?? 智里も公佳も! 後輩たちだって歌うのほとんど一節程度じゃん!! そんな表題曲聞いたことないんだけど!!? これ私たちの負担多くない!?」
美紅の混乱も理解できるが、美祢はかすみそう25のリーダーとしてこの混乱を収める責任もある。
なにせこの場には、歌収録の仕事に関わるスタッフの皆さんが勢ぞろいしているのだから。
何かトラブルだとでも思われたら、翌日にはワイドショーであることないこと言われてしまう職業なのだから。
「美紅、いい? よく聞いて……そう! ダンス&ボーカルユニットなら歌唱メンバーとダンスメンバーで役割違うじゃない? 曲にも参加するけどコーラスだけとかあるじゃない? そう思ったらどうかな?」
「私たちってダンス&ボーカルユニットだっけ?」
「……違うけど」
「じゃあ違うじゃん!! この曲が売れなかったら私のせいとか言われるんだよ!?」
「……それは私も同じだと思うけど」
「だから! なんでそんなに落ち着いていられるわけ!?」
はぁ~と息を吐きだすと、美祢は改めて美紅を見る。
その眼に美紅は気圧されたように黙り込む。
「美紅、だから言ったよね? 安本先生の決定の意味なんて……考えるだけ無駄なの。私たちは歌う! ただそれだけ」
襟を掴まれた美紅は、その衝撃よりも美祢の瞳に魅入ってしまう。
年下で、先輩で、小さな身体でグループを引っ張る、このエースはどんな覚悟をもってアイドルをしているのか。
そしてその瞳は言ってた。安本源次郎のプロデュースのアイドルである『かすみそう25』の一員なんだから、どんな無茶な変更だとしてもファンに歌を届けなくてはいけないんだと。
アイドルになりたいと望んだのは自分たちなのだから。
「美紅、出来るよね?」
「う……うん!」
美祢の言葉に、美紅は強く頷くしかなかった。
どんなに自分の言葉が空虚に聞こえたとしても。
うなずく以外の選択肢など、無いのだと理解出来たのだから。




