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百九十六話

「おーい、賀來村!」

「? 立木さん。おはようございます」

「今日レコーディングだったよな?」

「ええ」

 もうすぐ年末となる12月下旬。はなみずき25もかすみそう25も歌番組や年始の特番の収録などに呼ばれ、世間同様に一年で一番の忙しさを迎えていた。

 そんな中、両グループともに年明けに発売される新曲の制作にも追われるという例年にはない忙しさを経験していた。

 ちょうど美祢もそんな忙しい制作活動の中でも、一番の緊張を強いられる仕事へと向かう道中に立木に声をかけられ足を止める。

「なんですか? ……まさかっ!」

「違う違う、最近警戒される仕事の振り方してないだろ? いい加減許してくれよ」

「……そんなつもりは無いんですけどね。つい」

「あのな……まあ、いい。大将から伝言だ。『宇井をよく見ておけ』だそうだ」

「江梨香ちゃんを? どうしてですか?」

「さぁな。とにかく伝えたからな」

「……はい」

 立木も忙しいのか、美祢の返答を待たずに走り出していてしまう。

 伝言の意味を考える美祢は見当もつかず首をかしげながら、立木の背中を見送るのだった。


「あ! 美祢ちゃん。おはよう」

「先生、おはようございます」

 レコーディングスタジオに着いた美祢を出迎えたのは、建物から出てきた主だった。

 今作でもユニット曲の作詞を担当することになった主。

 起用の理由は、他のグループに提供した楽曲が大ヒットとはなあらなかったもののそれなりの話題性を世間に提供できたことが理由とされている。

「今回の詞もメンバーには好評でしたよ」

「本当? よかった~」

「自信持ってください! 先生は今や話題の新人作詞家でもあるんですから」

「そうは言ってもね。相変らずどうも何か足りないような気がしちゃってね」

 自信なさげに頭をかく主にほほ笑みながらも少しもじもじしたように、美祢が疑問を口にする。

「あの……先生はこれで、帰っちゃうんですか?」

「いや、中が禁煙だからね。少し裏に行こうと思って」

「そうなんですね。……よかった」

 初めて主が作詞をした楽曲を歌う美祢。その姿を見守っていて欲しいと、美祢の小さな願いはどうにか叶いそうだ。

「今日はよろしくね。美祢ちゃん」

「はいっ!」

 主の言葉で気合を入れなおした美祢が、ブースに向かと、そこには宇井江梨香がたたずんでいた。

 手にした紙を眺めながら、耳にはイヤホンをつけ集中している。

 周囲の音を遮断するかのような江梨香を安本の伝言の通り素直に観察する。

 江梨香は時々天井を見上げて、何節か歌うと頭を振って何かを追い出すと再び紙と向き合う。

 美祢が見てもあまり集中出来ていない様子がうかがえる。美祢には安本の言葉の意味がわからない。確かに宇井江梨香は歌の上手いメンバーではある。

 だが、正直それだけだ。


 ステージで魅せる姿は、佐川綾の方が目を見張るものがある。デビュー1年目であの姿をファンに見せられるのは、同じグループながら美祢も脅威を感じてしまうほどだ。

 しかも江梨香は最近仕事中の空回りが目立つ。悪い方向の空回りが。

 特定の人物の前で、……特に。

「お待たせしました。……ってまだでしたか?」

「作詞の先生を待ってたに決まってるじゃないですか!」

「えっ! あ、ごめんなさい!」

 ベテランのミキサーに怒られて、ブースの隅で小さくなる主を見送ってから、美祢と江梨香は録音ブースへと進んでいく。

 美祢も江梨香も少しだけホホを紅くしながら。

 似たような二人だが決定的に違うのは、ホホを染めた理由だ。


 美祢は親しく、そして想いを寄せている男性の恥ずかしい場面を見てしまったという気まずさから。

 江梨香は主を意識してしまった自分に対する気まずさから。

 そしてそれは、歌詞に乗って表現として現れるのだ。


「はい、一旦止めます。…………賀來村は、もうちょっと情感乗せて。リードなんだってちゃんとわかる歌い方して。宇井は、そのままで。ただ少しハシってる所気を付けて。じゃあもう1回いきます」

 主が書き上げたかすみそう25のカップリング曲『でも、君が……』は、それまで意識はおろか、見えてもいなかったクラスメイトに突然恋心を抱いてしまう男女のストーリー。

 互いに想いあっているにも関わらず、すれ違いから相手が自分の友人を好きなんだと勘違いをしている描写がある。

 主が@滴主水として描くラブコメによくあるパターンを歌詞に落とし込んだ作品だ。

 @滴主水のファンである美祢は、主らしい曲だと初見で笑ってしまうほど。


 しかし@滴主水の作品を理解していない江梨香は、笑えずに息を呑んだ。

 主と美祢の関係は、かすみそう25メンバーの中では最早確定的とみなされ、公然の秘密となっていた。

 だか、この歌詞。まるで誤解なんだと誰かに言い訳をしているかのような歌詞。

 これはメッセージなんじゃないだろうか?

 いや、そんなわけがない。だがしかし、あの場にいたメンバーでなんで私の手を引いたんだろうか? しかもこんな詞を歌わせる私の手を……。


 関係のない事象をつなぎ合わせて、自分の都合のいい結論に知らず知らず自分を導いていく江梨香の姿は、美祢が見てもまさに恋に翻弄される乙女の姿だ。

 そんな江梨香の姿に注目させる安本の意図とは?

 美祢は突如として生まれてきた嫉妬と苦悩により、いつもよりも苦労を強いられたレコーディングを経験するのだった。


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