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十八話

「賀來村、収録終わったか?」

「! ……っはい、終わりました」

 美祢は泣きはらした顔を隠すように立木に答える。美祢は自分の失態を見られてはいないだろうかと動揺して、立木が自分に声をかけてくる違和感に気が付かない。

「ちょっと、話せるか?」

「はい。大丈夫です」

 まだ湿っている頬をぬぐって先を歩く立木の後を追う美祢。美祢には見えないが立木の表情は硬い。もしそれを他のメンバーが見ていたら美祢の脱退が決まったかと噂が駆けめぐっていたかもしれない。

「あの、話って何ですか?」

「……ここじゃ言えないが、お前と話したい人が呼んでるんだ」

「立木さんの用じゃないんですね……?」

「ああ」

 美祢はここにきてようやく違和感を感じとった。立木からならもしかしたら仕事の話かもしれないと思ったが、立木は美祢を呼び出す役でしかない。

 運営の上層部でもある立木にそんなことをさせることができる存在。そこに気が付いた美祢はようやくどこに連れていかれるのか悟ることができた。


「あの、もしかして」

「ああ、俺たちの大将が直接話をしたいそうだ」

 立木が大将と呼ぶ人物は一人しかいない。グループの発起人にして楽曲製作には必ずクレジットされる人物。なにより芸能界で数十年アイドル育成を続けてきた、美祢から見れば神に等しい人物。

 大作詞家、安本源次郎やすもとげんじろうその人だ。

 立木が立ち止ったのは、安本の作詞部屋だった。

 グループメンバーの誰も立ち入ることのできない聖域。運営スタッフでも入ったことがある人を探す方が困難なほど、多くの人の侵入を拒んできた扉の前に美祢は立っている。

 不安になり周囲を見回しても、そこには誰も居ない。

 美祢はその扉の存在感に恐怖から、その扉の前で自分が小さくなってしまったかのような錯覚をしてしまう。

 立木が短いノックするときには、思わず体が震えてしまう。

「連れてきました」

 用件を伝える立木の声に神は応える。

「開いてるよ」


 扉が開かれ、入室を促す立木の顔はいたって普通の顔をしているが、美祢には悪魔か何かの顔に見えてしまう。

 もう一度目線で入室を促す立木を不安そうに見て、恐怖心の残る足取りで美祢は不可侵の聖域に入っていく。

「よくきたね。賀來村美祢さん」

「はい! 賀來村です。宜しくお願いします」

 まるでこれからオーディションでも始まるかのような言葉に、安本は口角を上げる。

「なにも面接しようってわけじゃない、さ、座って」

 見るからに高価そうなソファーに着席を促されるが、思わず戸惑って立木の顔を見る。

 立木が頷くことで、ようやく美祢はそのソファーに腰を下ろすことができた。

 テーブルをはさんだ向かい側に安本が座る。立木はそのまま立ちながら二人を見ている。

 

「いや、すまないね。疲れているところ呼び出してしまって」

「いえ、疲れてなんかいないです」

 人のよさそうな柔らかい表情で美祢に話しかける安本だったが、美祢の眼にはその存在感があまりに強く、言いようのない重圧を感じていた。

「そういえば、君だったね。あの小説家を見出したのは」

 誰のことか一瞬わからなかったが、すぐに@滴主水のことだと理解する。そして安本の言葉に首肯する。

「君は素晴らしい縁を結んだようだ。彼との縁、大切にするといい」

 いったい安本は何が言いたいのだろうかと、美祢の頭のなかは疑問符で埋め尽くされる。

「今回君たちのグループでリリースするアルバムに、彼の書いた小説を特典としてつけることにしたんだ。読んでみなさい」

 そう言って渡された原稿に目を移す。三人称で書かれたその小説は、発売中の@滴主水あっとうてきもんどの小説『疾風迅雷伝しっぷうじんらいでん』とも違う作風だった。美祢から聞いた日常の話題もうまく織り込みながら、よりメンバーを知ることができるまるで、はなみずき25の入門書のようにも思える。

 読み進めると、美祢はある違和感に気が付く。途中、語りが急に感情を見せる。

 まるで今までの物語が、誰かのモノローグを見ているかのようだ。

 終盤になって、ようやくそれが自分の紹介になっていることに気が付く。@滴主水との会話の中で隠していたはずの劣等感の塊は、見事にさらけ出されている。

 恥ずかしいと思いながらも読むことがやめられず、結局最後まで読み切っていた。@滴主水の描いた美祢は劣等感を抱えながらも未来への歩みを始める。


 さっきカメラの前でみせた醜態が急に恥ずかしくなった。まるで諦めたかのような自分の発言に対して先回りで励まされていた。

「多少願望が多めになっているが、君という女の子をよく観察して書かれている。ただの特典小説にここまで応えてくれた彼には、何かお返しをしないといけないと思わせるほどに」

 安本は別の紙を美祢に向ける。受け取った美祢は目を疑った。

 その紙に書かれていたのは楽譜だった。しかも未発表の新作楽曲。

「彼に直接返すよりもおもしろい趣向を思いついてね。これは君が歌うソロ曲だ、もちろん今回のアルバムにも収録する。……ただし、隠しトラックとして」

 その楽曲は他のアルバム収録曲とは毛色が違っていた。他の楽曲は明るい、希望をもって走り出す少女が主役の楽曲が多い。複数の楽曲を通して一つのストーリーとなり、少女が未来への希望や儚い恋心を胸に羽ばたいていく、そんなストーリーとなっている。

 しかし、美祢の見ている楽曲は、羽ばたいていった少女にとり残されたもう一人の少女の目線となっている。一人取り残された少女は、それでも目標とした少女を追う為に、自分なりのルートを信じ動きだすという物語。


「この『エンドマークの外側』という楽曲は、彼の信じた君というアイドルが歌わないと成立しない」

「……」

 とてつもないチャンスが舞い込んできたにも拘わらず、美祢の表情は冴えない。このソロ曲をもらえたのは美祢の実力や努力を評価してのものではない。あくまで@滴主水の小説に対する評価。

「いいかい? アイドルは鏡だ。アイドルとは、ファンの理想を体現することで輝くことのできる魔鏡だ。少なくとも彼は、君がアイドルとして上を目指し、歩みを止めないと信じている。今、彼だけが」

 美祢はその言葉を聞いて安本の顔を見る。

「ただ……もしこれを君が歌うとなったら、小説を読んだ人はこのアルバムの主役が君だったのではという疑念を持つだろう。人気最下位のアイドルが、突如ファーストアルバムの主役に躍り出る。面白くないと思う人も居るだろうね。そして君と彼との関係を疑うことだろう。こんなに贔屓するからには個人的に何かあるに違いないとね」

 未だに優し気な表情を崩さない安本の顔に、美祢は恐怖を隠さず見つめている。

「だけど、君はこれを歌わないといけない。アイドルとして期待されているならアイドルとして応える、それが道理だからだ。苦境の中でも輝けるアイドルに君はなれるかい?」


 美祢には選択権は用意されていなかった。歌わないと言えばアイドルでない、アイドルでないならグループに席はない。これを歌わないなら花菜に並ぶという美祢の想いも叶わない。

 だからこう答えるしかないのだ。

「……歌います」

 と。

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