百七十五話
夢乃とレミの歌が終わる。
最後の一音が空気に完全に溶けていくと、二人の風景に徹していたファンたちは両手を激しく打ち合わせ、二人への称賛を送る。
そしてファンとして色々な言葉を、彼女たちへ送りたい衝動にかられる。
だが、先ずは伝えないといけない。
自分たちファンには微塵の苦悩も苦痛も、屈辱さえも見せず3年間のアイドル活動を終える彼女へ。
「夢乃~!! 卒業! おめでとう!!!!」
まるで示し会わせたかのような、会場全体から夢乃へ向けられた祝福の言葉。
その瞬間だけは、誰が誰を推しているなど関係がなかった。ただ誰もが夢乃のアイドル活動の最後に花を添えることだけを考えていた結果だ。
鳴り止まない拍手と、祝福の言葉。
夢乃は想うのだ。はなみずき25でよかったと。
胸の熱さが、夢乃の涙腺を刺激し続ける。
気を抜けば、涙が止めどなく溢れ言葉を返すこともできずに、崩れ落ちてしまうかもしれない。
それだけはダメだ。
このステージを降りるまでは、私は彼ら、彼女らのアイドルなんだから。
「みんな! 今まで本当にありがとう!! 本当にアイドルやれて楽しかったヨー!!」
夢乃の瞳は潤んでいたが、表情は満開の笑顔のままでステージを降りることが出来た。
そう、最後の最後まで夢乃はアイドルを演じきれたのだ。
「ユメさん、お疲れ様でした」
「夢乃さん、今までありがとうございました!」
舞台を降りてきた夢乃を待っていたのは、はなみずき25の全メンバーそして、急きょピンチヒッターを買って出た智里だった。
駆け寄るメンバーたちの後ろで、智里は夢乃に一礼だけしてそのまま何も言わず控え室へと去っていく。
今から駆け寄っても、メンバーが夢乃の道を塞いでいては智里には追い付くことはできないだろう。
自分のために、美祢のために予定にもないステージで健気な後輩役を演じきった智里に、夢乃は心の中で礼を言う。そして誓うのだった。
「この借りは、どこかで返すからね」
「夢乃さん?」
「ううん、何でもない」
智里本人も知らない夢乃だけの誓いが、そこにあるだけだった。
そうして渋谷夢乃というアイドルの仕事はすべてが終わり、はなみずき25は16人という新体制での活動をはじめる。
いなくなったメンバーを想い、心境を話し、新しい仕事へと向き合うことで彼女たちにとっての別れにどんな意味を見出すのか。それは明日から始まる時間が教えてくれるだろう。
ただ今は、去っていくメンバーを胸に抱いて同じ想いを口にするだけだった。
「なんか、みんな笑顔なのって、やっぱ複雑!」
「ユメ! あんたが言い出したことやろ!!」
「あははは」
そう、夢乃の残していく寂しさと少しだけ残るであろう胸の痛みを抱いて、16人はこれからもアイドルとして活動を続けていく。
夢乃も自分が手放したものの本当の価値に気が付くのは、もっと、もっと後になってからだろう。
自分の決断、夢と天秤にかけた、はなみずき25というグループが自分に与えていた影響を理解し、消化するには時間がかかる。
だが、こうしてメンバーと共に笑い合うために今日という日を過ごしていたことに、メンバーと共に協力し合ったことは、協力し合えたことは確かなのだ。
だから、夢乃は笑う。
心の底から、……みんなで。
「いたいた! 美祢ちゃん!!」
「あっ! 先生!」
「お、先生も来てくれてたんだ」
美祢を見つけるために、会場の裏を走り回ったのだろう。
主は息を切らせて、メンバーの輪に駆け寄る。
「っと、渋谷さん。卒業おめでとう」
「うん、……ありがとうございました」
美祢が連れてきたこの男、新人作家の@滴主水という人物のお陰で、夢乃は自分の夢へとようやく歩き始めることができる。
美祢が結んだこの男との縁が、今後のはなみずき25と自分にどんな影響を与えてくれるのか。
そう思って見る主の顔は、自分の周りにいる大人たちとはずいぶんと違う気がする。
かすみそう25のメンバーが、父と呼ぶのも今なら理解出来そうな気がしてくる。
そんなことを考えている夢乃から、主は思い出したように美祢へと視線を移す。
「美祢ちゃん、ご両親と一緒に病院行こう!! 車で待っててもらってるから」
「えっ!? 大丈夫ですよ!」
「ダメ! 今は大丈夫な気がしても、後々影響出たりしたら大変だから!」
「え~、……打ち上げ終わってからじゃダメですか?」
「ダメに決まってるでしょ! ほら、ご両親も心配してるから!」
珍しく主の言葉に抵抗を見せる美祢を、眺めながら夢乃は思った。
いつの間にか、この二人の間に流れる空気が自然なものになっていると。
「あっ! 賀來村! @滴先生に頼んで病院に……って、いましたか。後宜しくお願いします」
「立木さん、任せてください。さ、美祢ちゃん行くよ!」
「あっ! 夢乃さん、これからも連絡くださいね!! もう! ……わかりましたから、先生押さないでください」
夢乃に声をかける美祢の背中を押しながら、主は一刻を争うと言わんばかりに美祢を急かす。
だがその足を止めて、主は再び思い出したように夢乃を見る。
「そうだった、渋谷さん! 監督と音響監督から連絡貰ってたんだ! 二期もよろしくね!!」
笑顔を見せた主は恥ずかしそうに顔を背けると、また美祢の背中を押して行ってしまう。
失うものと得るもの、夢乃にとってかけがえのないものは果たしてどっちなのだろうか?
それを知っているのは、未来にいる夢乃だけだ。
そして思いがけない未来を告げていった背中は、いったい何を手にするのだろうか? と、夢乃は想う。
それはまだ、誰も知ることのない未来だけが知ってる。




