百七十話
「ちょ、ちょっと待って。智里出るって! ……そもそも、なんでいるの!」
笑顔を向けられた美祢は、戸惑った表情を智里に返す。
それに対して、智里はさも当然かのように答えを出す。
「ちょうど見させてもらってたんですよ。そしたら美祢さん辛そうだったから……気付いたら裏に回ってました」
「智里……」
まさか、自分の不調が客席から見られていたなんて。
同じアイドルだから、智里が美祢の不調に気が付けたというわけではないだろう。
きっと、他のファンたちにも気が付いた人がいたはずだ。
プロとして3年目。そんな失態をこの場面で、と美祢は自分を恥じる。
だからこそ美祢は智里の提案を受け入れることができない。
代役を立てるなんて、前代未聞なことをしたら自分と智里が目立ってしまう。
今日は夢乃の卒コンなのに。
目立っていいのは、夢乃だけのはずなのに。
だが運営の上層部である立木は、美祢にこう切り出す。
「賀來村、矢作の提案に俺は賛成だ」
「待ってください! 智里ははなみずき25じゃっ!」
そう、智里ははなみずき25のメンバーではない。
自分とは違い、完全に別のグループの人間だ。
確かに関係者ではあるし、夢乃ともともに活動していた時期もある。
それだけで許されるのかどうかさえ、美祢には想像もつかない。
もし万が一、智里がファンに受け入れてもらえなかったら?
ファンの不満の炎というのは、かなり根深く表面の火が消えたとしても地中深くでその熱を蓄えるものだ。それが再び噴出するような事態になれば、智里のアイドル人生に大きな禍根を残すことになる。
そんな一人のアイドルの重大な決断を立木がした事にも驚くしかなかった。
「確かにな。だが、……かつてはつぼみだった。違うか?」
しかし、立木は美祢と同じ理由を肯定の材料としたのだ。
かつて短い時間ではあったが、確かに智里もはなみずき25の一員だった。『はなみずき25 つぼみ』という開花するまでのほんの短い時間存在したアンダーグループ。
もう現場の最高責任者である立木が決断してしまったのだから、それを覆すのは難しい。
それがわかっていながらも、美祢は再び立木への反論を試みる。
「そうですけど……でも、ダンスとか……」
そう、美祢は2列目やフロントメンバーに選出されている。
目立つ位置で、はなみずき25を背負ってパフォーマンスをする楽曲もある。
そのダンスは、他のメンバーとは違う振り付けも存在し一朝一夕に踊れるものではない。
それだけでない、複数人で踊るダンスなのだから呼吸を合わせなくてはいけない。
それを智里ができるのか?
「美祢さん、大丈夫! 美祢さんのパートなら、私たちはみんな、全曲踊れますから!」
美祢の不安に智里本人が答える。
出来ると。自分にならできるとその笑顔は言っていた。
任せて欲しい。
そのための準備はしてきたから、どうか任せると言ってくれと。
「もう! わかった。智里お願い!」
「まかせてください!」
美祢はこれまで、智里たちかすみそう25のメンバーに頼ることを極力避けてきた。
頼ってしまえば、別れた時にその存在がいないことが不安になるから。
後輩を導くために、かすみそう25のリーダーに就いているんだから。
自分の決断でアイドルの正道からは外れてしまった後輩たちに、これ以上の負担をかけたくはなかった。
だが、そうではなかった。
彼女たちは、本当の仲間として自分を支えようとしてくれていたのだ。
自分のように口だけで、仲間だと言っているわけではない。
なんて、ヒロイックで格好いい後輩たちなんだろうか。
なら、仲間らしく彼女に助けてもらうのが正しい。
美祢は、右足の痛みに耐えながら智里を送り出す。
さて、智里だけに甘えてはいられないと、美祢も動きだす。
最初の問題は、この右足の痛みだ。
これを取り除かないと、立つことも難しい。
「あのっ!! 足どうにかなりませんか!!?」
救護員に恐る恐る聞いてみる。
「ん~。つってるだけなら自分で対応した方がいいね」
しかし返ってきた答えはそっけないものだ。
ただ、この救護員が悪いわけではない。
足がつった場合、他者がやるよりも本人が対応したほうが安全なのも事実。
医師ではない救護員が、問題なく対応するとするならこんな答えが返ってくることもある。
「っ……わかりました。ん……っ!」
救護員に言われた通り、自分で対応しようとする美祢。
だが、ほぼ初めての経験でうまく対応することができない。
その様子を見た救護員は、当然の選択を口にする。
「出来そうにない? ……じゃあ病院かなぁ?」
先ほどの智里との会話を聞いていてなお、こう発言する救護員を美祢は悲しい表情で見つめる。
「賀來村! 元だけど、看護師さん連れてきた!」
そこに立木が再び現れる。
一人の男性を伴って。
そこにいたのは、はなみずき25の関係者であり、今回の夢乃の卒業に深くかかわる人物。
佐川主だ。
「美祢ちゃん、大丈夫!?」
「せ、先生!」
主の登場は、美祢の目にはもう一人のヒーローが現れたように見えた。
慌てて顔を青くして登場する、世にも珍しいヒーローを美祢は見たのだ。




