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百六十九話

 その日、美祢は好調だった。

 比較的に、詰まった出番の間隔でも疲れることもなく、ステージに立てば会場の隅まで視界に収まる。

 自分に向けられるアピールを見逃すことなく、レスとして求められたファンサービスを返すことが出来ていた。なんだったら、隣にいるももへのアピールを見つけて、教えてあげるくらいの余裕さえある。

 主役の夢乃が望むような、笑顔の公演ができていた。

「美祢、今日なんか調子いいね」

「ももにもわかる? そうなんだよね」

 汗をぬぐった美祢が答える。

 9月の夕暮れ、湿度が高く不快な空気ではあるが美祢の表情は明るかった。

 他のメンバーは、吹き出す汗をなんとか押さえる作業に不快感を隠せていなかった。

「お水の交換お願いします!」

「は~い!」

 出ていく水分を補うため、メンバーは何時もよりも水分に手が伸びる。


「みんな、もう3本目かぁ~。まだこれは半分あるから……え、……あれ? これって……賀來村ちゃんの?」

 スタッフが見つけたのは、水が丸々残ったボトルだった。

 美祢の名前が書かれていたそのボトル、自分はいつ交換しただろうか? と、そんな疑問が頭をよぎる。

 確認しようと周囲を見れば、忙しく走り回っているスタッフしかいない。

「誰か交換したよね。……舞台袖にも置いてあるし」

 そう判断したのは、正解なのだろうか?

 その結果は、案外早くに訪れる。


 4曲目のパフォーマンスをし始めた時、美祢は違和感を感じていた。

 はなみずき25の2枚目シングル『名も知らぬ君』を踊っていた時だった。

 この曲は、ファーストシングル『冷めない夢』と対をなす曲だ。花菜の話に触発された安本が、立場を逆にして男性目線の歌詞を載せている。

 立場的には主を描いた曲なのだが、安本の書いた主は花菜を探し街中ですれ違う女性に声をかけるなど、積極的に花菜を探すような描写がされている。

 そして、青年の焦燥感を煽るようなミドルテンポの曲調に合わせて、激しく踊るアイドルたち。

 美祢にとっては、踊り慣れたはずのダンスが、今日はやけに難しい。

 右足が思うように動いてくれない。

 さっきまでの好調がウソのように、脚が重い。

 動かすたびに、ひきつるような痛みまで出てきた。

 なぜだ?  何で今日なんだ?

 前で踊る夢乃が視界に入ると、申し訳ないような悔しいさがこみ上げてくる。

 動いてくれという美祢の願いとは裏腹にそれはできないと、美祢の右足はステップを重ねるごとに重く、そして痛みで主張するのだ。

 もう悔しさと痛みと口惜しさで、美祢の顔から笑顔は無くなっていた。

 こぼれる涙を拭くこともできず、ただ周りから遅れないようにと最後尾で踊る姿は、まるで結成当初の美祢に戻ったかのようだ。


 いや、もしかしたら今までのことも幻だったんじゃないかと美祢は想いだしていた。

 『エンドマークの外側』も、かすみそう25も、主さえも。

 最後尾で花菜を見ることに耐えられなくなった、自分が生み出した幻想なんじゃないかと美祢は想ってしまう。

 そう、こんな馴染みのあるステップすら踏めない私は、誰も見てくれることのないあの時から幸せな幻想に逃げ込んでいたんじゃないか?

 今もなおステージの影でしかないんじゃないか?

 辞めなくちゃいけないのは、夢乃じゃなく自分じゃないのか?

 せっかく施したメイクは、美祢の悔しさと恐怖の涙で落ちていく。

 そんな『名も知らぬ君』が終わると、予定されていたMCを止めるよう指示があいの耳に届く。

 何が起きたのかとメンバーを見れば、美祢の様子がおかしいことにようやくメンバーたちも気が付くのだった。

 メンバーは美祢を隠す様に抱えて、舞台を急いで降りていく。


「賀來村!! 大丈夫か!? おい!」

 駆け寄る立木の手を払いながら、美祢は泣いている。

「っっ! や~だぁ!! 足痛いぁ~!」

 メンバーに抱えられた美祢は、まるで幼い子供のように泣きじゃくっている。

 立木の言葉にも反応できないほど、泣いている。

「とりあえず、救護室だ!!」

 近くにいたスタッフに指示を出して、美祢をメンバーから受け取り急ぎ救護室へと運び込む。

 暴れながら運ばれる美祢の手は、メンバーに向けて伸びている。

 まるで、置いて行かないでと言っているかのようだ。


 救護室に運ばれた後も、美祢の涙が止まることはない。

 問診しようにも美祢は、一切答えずただ泣いている。

 救護室には、再開したであろうライブの音と美祢の泣き声だけが響いている。

 だが、美祢の顔がやけに紅潮しているのに気が付いた救護スタッフが周囲のスタッフに確認する。

「この娘、ライブ中水分摂ってたか!?」

 それを聞いたスタッフ数人が、各所へ走り出す。

 走ったスタッフの答えを待たず、救護スタッフは経口補水液を美祢に与える。

 次第に落ち着きを取り戻した美祢に、ホッと胸をなでおろすスタッフたち。

 それでもまだ問題が無いわけではない。

 美祢が痛みを訴えている右足。

 ケイレンを伴った痛みを訴えている状況で、美祢をライブに戻すわけにはいかない。


 美祢は自分の犯した失態で、今度は顔を青くする。

 夢乃の最後のライブ。

 そんな舞台で、穴をあけてしまうなんて。

「賀來村! 大丈夫か?」

 遅れてきた立木が顔を見せると、美祢は診察台から落ちそうになりながらすがってしまう。

「立木さん!!! で、出れます! 私大丈夫ですから!!」

「落ち着け! もちろん戻ってもらう。だが、直ぐにじゃない」

「でもっ!!」

 何とか立木に思い直してもらいたい。美祢は運ばれる前の恐怖に再び支配されそうになっていた。

 そんな美祢を見ていた人物が、立木の影から出てきて美祢を抱き締める。


「ち、智里……? なんで、ここに?」

「美祢さん、大丈夫。大丈夫ですよ、……私がちゃんと代役努めますから」

「……え?」

 智里は美祢に安心するよう笑顔を向けていた。

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