百六十六話
「もう! 先生、そんなに怖がらないでよ」
「ごめんごめん、つい身体が反応しちゃって」
花菜は自分の作戦が空振りになったことを悔やみながらも、主とのいつもの調子の会話をどこか楽しんでいた。そしてこれも悪くはないと思うのだ。
主が少し緊張しながら、どうにか気安い関係に修正しようと言葉を選んでくれるのもうれしい。
(じゃあ、これでいいか)
花菜は今のフワフワソワソワするような関係性に居心地の良さを感じて、自分の作戦などどこかへ捨て去ってしまう。
「あ、次美祢ちゃんだ。ガンバレ―!!」
主は美祢が階段の下に待機しているのを見つけると、さも当たり前のように、カメラやマイクなど気にしないで声をかける。
その姿が少しだけ羨ましいと花菜は思う。
何より、はなみずき25のメンバーの中で、美祢だけ名前で呼ばれているという特別感がうらやましい。
「先生、美祢だけは名前で呼ぶんだね」
「えっ!! ……あ~、かすみそう25のメンバーは名前で呼ぶことになっちゃったからね。美祢ちゃんだけはってことにならなっくって」
主はとっさに時系列を入れ替える嘘をついてしまう。
はなみずき25のメンバーに、呼びかたのことを聞かれたのは初めてで、しかも花菜がそんなことを気にするとは思わず動揺した結果だ。
「私も名前で呼んでって、……言ったらどうする?」
花菜は美祢への対抗心から、主が困るとわかっている質問をしてしまう。
名前で呼んで欲しいと、素直に言えばその通り読んでくれるとわかっているにもかかわらず、わざと選択肢の残る質問にしてた。
「あッ……ど、どうしようか?」
主が悩んでくれている。真剣に悩んでくれている。
自分の言葉が、ちゃんと彼の耳に届いている。
そんな些細なことがうれしくて、少しイジワルな言葉を口にしてしまう。
悩み、思いついては押しとどまり口を押えるその姿が、たまらなく可愛い。
「んふふ、先生。私も名前で呼んで欲しいな」
そんなことを口にする花菜は、自然と上目遣いになっていた。
それに反応する主も可愛く見える。
そして、自然と主のことをもっと知りたいと思う自分に気が付く。
それに気が付くと、ふと去年の秋ごろを思い出す。
美祢に言った自分の言葉。
主の過去のことなんかより、これからを知りたいといった言葉。
それに嘘はないはずだったのに、美祢のいった言葉が重みを増すのだ。
(確かに、そんなことじゃないんだ)
もっともっと彼のことを知りたい。
これからのことはもちろん、今までのことも全部。
だから、もっと名前を呼んで欲しい。
「ダメかな? 名前で呼んで欲しいな?」
「あ、うん。……花菜ちゃん……でいいのかな?」
「うん!」
自分の名前を呼んでもらうと、何かが心を満たしてくれるような温かさを感じる。
うれしい。そして恥ずかしくてじっとしていられない。
「あっ! 花菜ちゃん。順番みたいだよ」
「あ……うん。行ってくるね!」
「花菜ちゃん、頑張って!」
「うん! 頑張る!!」
花菜はこれから上るその頂上を見上げる。
なぜだろう? さっき見ていたよりも電波塔が低く見える気がする。
なんだか、誰にも負ける気がしない。
そんな気分のまま、階段を駆け上がる花菜。
花菜は、その日のトップタイムを記録してしまうのだった。
◇ ◇ ◇
主はアンカーとして、階段を駆け上がっていた。
なぜ、部外者の主が最後なのかという疑問があった。
それも演出のせいだと言ってしまえばそれまでなのだが、その演出に疑問が残るのは確かだった。
しかし、もし失敗した時にメンバーのせいではなくなるのかと思えば、それは正しいような気もする。
だが、企画の成否を部外者が握るのは正しくないような気もする。いや、圧倒的に正しくはない。
なにせ、主が走るまでに34人が死力を尽くしてこの階段を駆け上がったのだから。
彼女たちの行いは、彼女たちの頑張りとして評価されて欲しい。
そこに自分がいると、何か濁ったような気がしてしまうのだ。
34人という、少女たちが体当たりで挑んでいるんだから。
そんなことを考えていると、何か大事なことを見落としているような気がしてならない。
なんだろう? この企画の根本を揺るがすような何か重大な見落としがある気がする。
はなみずき25のメンバーの総数は、美祢を入れて17人。
かすみそう25のメンバーの総数は、美祢を入れて18人。
今回美祢は、1回しか走らないのだから、主を抜かして34人。
おかしい。
確かに美祢は、両グループを兼任しているのだから両グループに換算されるのが正しい。
だが、そこに自分が走ることではなみずき25のカウントとなるのはなぜだ?
元々アットくんは、かすみそう25のマスコットだったではないか。
なら、回数の不公平感は増すばかりだ。
確かに最近は二番組にマスコットとして出演はしている。
なら、自分も二つのグループに換算されるはずで、不公平感は解消されない。
だとするならば、自分の走る意味は何だ?
出走直前のMC陣の表情を思い出す。
そして随伴するカメラを見て、再びアットくんの設定を忘れて吠える。
「クソっ……だましたなっ!!!」
主が階段を上っている間に、エンディングの収録が始まっていることが主の答えと一致していることを証明していた。




