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百六十五話

「ねえ、花菜? これも勝負……なんよね?」

 出番を待つ花菜の後ろで、音声が乗らないようにマイクを外してあいが花菜に声をかける。

「うん、そうだね。一応一人ひとりのタイムは測ってるからね」

「約束、忘れてないんよな?」

「私に勝てたら、卒業でも移籍でも好きにしたらいいと思うよ? 勝てたらね」

 はなみずき25のグループ内には、ある密約が存在していた。

 それは、おもに花菜とスカウト組とで交わされた約束。

 何でもいい、花菜に何か一つでも勝てるのならアイドルを辞めてもいいという密約。

 夢乃は演技という役者志望の本分で勝つことができたから、花菜も夢乃の卒業を渋々受け入れていた。

 もし、それが無ければ花菜はどんな手立てを使ってでも夢乃の卒業を認めなかっただろう。

 そして、オーディション組の中でもただ一人、その密約が交わされた現場にいた美祢にもある約束が存在した。

 花菜が負けたとしても、美祢がスカウト組に勝てたならその時は、卒業を認めないという条件。

 当然花菜に有利な条件である。

 だが、スカウト組はそれを了承していた。

 初期のころの美祢は、何故オーディションを合格できたのか当の本人でさえわかっていなかった。

 エースの花菜の親友という、そのただ一つの肩書きで合格したのだろうと誰もが思っていた。

 しかし、今になってスカウト組は痛感していた。

 美祢は、最強のストッパーであるということを。

 体力勝負では、美祢に勝つことはかなりの無理筋だ。

 だが、今回の階段リレーなら美祢も花菜も経験したことが無い種目だ。

 万が一が起きてもおかしくはない。

 だから、あいは花菜に確認をした。

 そんなあいの思惑など、気にした様子もない余裕の表情の花菜。

 まるで、スカウト組など眼中にないかのように見える。


 そう、実際眼中にないのだ。

 あいの問いかけにも実はそれっぽい返答をしているだけで、その内容など気にもかけてはいない。

 なぜなら、花菜にとって久しぶりの主のいる現場なのだから。

 花菜が冠番組に出るときは、作詞作業や本業の打ち合わせで会えないし、逆に主がマスコットをしているときは花菜が、取材や別番組の収録に行っていてまともに会える機会というのがなかった。

 そしてようやく今日、主と同じ現場にいる。

 それだけで、今の花菜には何も聞こえていないのと同じだ。

 要するに、花菜は舞い上がっていた。

 残念なことに自他ともに認めるトップアイドルが、オッサン相手に舞い上がっているのだ。

 なんなら、ストレッチをしている主に駆け寄り抱き付きたい衝動に駆られている。

 だが、さすがの花菜も主とそれなりにコンタクトをとってわかってきたことがある。

 まだ、花菜に対して主が緊張しているのだということ。

 思えば、ファーストコンタクトはドッキリの仕掛け人と被害者だったし、2回目は胸倉つかんで頭突きをした。そんなことをした相手が、3回目には抱き着いて食事をおねだりしたり、挙句は騙してペアリングを購入させたりしたら、相手が花菜でも流石に怖いだろう。


 それを思い出した花菜は、身もだええる夜を何日か過ごした。

 そして作戦を練ることにしたのだ。

 今までの印象をリセットするために、よりよい関係を構築しなおすために、先ずは害が無いんだという距離で微笑む。トップアイドルが、そのアイドルとしての経験全てをつぎ込んだ笑顔を特定の個人に向ける。

 これは、かなりの効果が見込めると花菜は自負していた。

 その時がいつ来てもいい様に、花菜は主の視線に集中していた。

 だから、あいの言葉は花菜には届いていないかったのだ。

 あいが立ち去った後、その時は訪れた。

 ストレッチをしていた主が、不意に顔を上げて花菜を見たのだ。

 今だ!!

 花菜は、渾身のアイドルスマイルを主に向けて放つ。

 決まった。

 完全に、主とじゃれ合っている後輩を優しく見守る慈愛あふれる先輩の笑顔。

 完全に無害な乙女を演出できただろう。

 花菜は、自分のアイドルとしての才能が怖くなるほどのタイミングで、渾身の笑顔を披露できたと内心はしゃいでいた。

 そんな花菜の笑顔を見た主が、後輩たちに何かを話し自分のところに来るではないか。

 こんなのにも効果が絶大だったとは。

 ようやく、花菜と主の関係が正常に戻るのだと。花菜は浮かれ気分だ。


 主は花菜の元まで来ると、何故か覚悟を決めたような表情をしてひざを折る。

 両膝を丁寧に折りたたむと、地面に手を付けて頭を下げる。

 そして一言。

「何のことかはわかりませんが、許してください!!」

 主は得意の渾身の土下座を披露したのだった。


 普段あまり笑わない人が、遠くから自分を見て笑っている姿。

 加えて、花菜は力強いアイドルの代表格だ。

 その花菜が、アイドル経験をすべて込めた笑顔を見せたのだ。

 主にとっては、威圧感のある笑顔で自分を見咎める花菜に見えても仕方が無いだろう。

 もしくは何か含みのある笑顔に見えたのかもしれない。

 何せ花菜が笑顔を見せた時、大抵の場合は主は多額の出費をしているのだから……。

「ねぇ! なんでぇ~~!!」

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