百六十四話
メンバーたちにせっつかれて、主が外に出ると頭上に赤いアーチが目に入る。
そのアーチから上へと視線を移せば、まるで宇宙まで伸びているかのような錯覚に陥る。
「やっぱり、……デカいな」
「先生、もうすぐ上る娘もいるんだからそういうこと言わないの」
「あ、ゴメン」
まみにもっともなお叱りを受けてもなお、主の目線は上にあった。
「でも、……登れるかな」
「できますよ! 先生なら!」
美祢は主の弱気に、即座に反応する。
そこに私情があるのは、美祢だけの内緒だ。
「そうそう、やる前から弱気になっちゃ何にもできないよ」
美祢に賛同するように、まみも主の弱気を否定する。
「パパ、ストレッチしないと! 怪我したらお蔵入りだからもったいないよ」
公佳は、やるからには放送に乗る様に頑張ろうと主を励ます。
もう、誰も主が企画に参加することに何の疑問も持ってはいない。
それはそのはず、前回の合同ヒット祈願企画で主が参加した時のファンの反応は、主に対する同情の声とメンバーに劣るはずの体力を振り絞ってバトンを繋げた主への賞賛の方が多かった。
また、25人という縁深い数字となった演出に対しても何かを感じるファンは少なくなかった。
なので、今回も主が参加することへの疑問などメンバーとスタッフにはさらさらなかったのだ。
「わかった、やるだけやってみる」
公佳の頭を撫でて、主はストレッチをはじめる。
しかし、どこか不安の消えない主がいた。
それはファンに対する印象ではない。
純粋に目の前の建造物を登ることへの不安だ。
上へと昇るということは、重力に逆らう行為。
そのエネルギーは、やはり膨大なものと言っていいだろう。
平面を同じ距離走るのとはわけが違う。
主の不安は、すでに上っているメンバーへと降りかかていた。
「調子に乗って、っ……一段飛ばしなんか、……っするんじゃなかった!!」
随伴するカメラも意識できなくなった美紅が、紅くなった顔で盛大に反省していた。
序盤少しでも時間の消費を抑えるため、美紅はかなり速いペースで階段を駆け上がっていった。
だがそれも半分を過ぎる前には、後悔と反省の残る行為となってしまう。
600段という非日常的な階段。経験することのないその段数は、日常の意識とは大きくかけ離れる。
単純にペース配分が難しいのだ。
そして、上れども上れども続く目の前の階段という最悪の風景が、上る者への大きな障害となる。
しかも障害はそれだけではない。
「やっと、最後!!」
残り少なくなった体力と気力を振り絞って最上段まで到達した後は、来た道を戻らないといけない。
「あとは、下りだから……っわ!!」
先ほどまでとは違う筋肉を使う下りの階段。
落ちていく自分の体を支え、踏ん張るという重労働を美紅はこの日初めて知るのだった。
身体を支えきれず、階段から落ちそうになったという恐怖。
残り少なくなった体力と気力は、一気に削られていく。
まだまだゴールは果てしなく遠いのだと、美紅の脳裏に焼き付いてしまう。
そんなことを想えば、不意に目に涙がにじむ。
「まだダメ! 泣いたら降りれない!」
いつも明るさが印象的な美紅。
その美紅が、涙を流すという事態に陥っていることを地上の誰もまだ知らない。
だが、随伴しているカメラマンは痛いほどわかっていた。
思わず、励ましの言葉を口にしてしまいそうになるのをグッとこらえる。
あくまで、視聴者の目となることを全うしようとカメラを担ぎなおす。
涙を拭きあげて、美紅は一段一段慎重に、それでも後に続くメンバーに少しでも時間を残すためにできる限りの速度で走り出す。
美紅への救いは、視界の端に近付いて来る地上が見えてきたことだけだった。
まだ遠いその地上へと飛び込みたくなる衝動を抑えながら、美紅は体力と気力の最後の一滴まで使ってどうにかバトンを次のメンバーへと渡すことに成功した。
だが、途切れ途切れの息では繋げることができなかったモノもある。
階段を上がるという過酷さ、そしてペース配分に気を付けろという重要な情報を直後のメンバーには伝えることができなかった。
なんとしてでも伝えないといけない。
美紅はどうにかできないかと、倒れこんで狭くなった視界の中から手立てを探る。
……いた!
倒れこんだ美紅に近寄る人物。
美祢のジャージを強くつかんで、美紅は必死に単語を並べる。
「うん……わかった、美紅はもう休んで」
「リーダー、っおねがい」
スタッフに運ばれていく美紅を見ながら、美祢は闘志を燃やしていた。
美祢は思い出した。
ヒット祈願企画はただのバラエティーではないのだ。
はなみずき25にとって、これは勝負事。
その内容が、本当にヒットにつながるかどうかは関係が無い。
その内容がどんなに過酷であっても負けてはいけない理由がある。
だから、その内容がどんなに意味不明であろうと、全力で臨まないといけない。
その全力で企画を成功させるのは、アイドルの仕事。勝負事とは別の話だ。
美祢は、不安そうに出番を待つかすみそう25の二期生へと駆け寄る。
せめて、かすみそう25は何の他意もない全力をファンに見て欲しいから。




