百六十三話
「クッソぉ~!! こんなに酷使されるならもうちょっとギャラ増やしてもらおうかな!!」
主は仮設されたテントのなかで、ジャージに着替えながら音が外に漏れても構わないと、それなりの音量で現状に対する文句を口にする。
そんなことを口にしていたら、ふと先日のことを思い出す。
本業である小説の担当編集との会話を。
◇ ◇ ◇
「え~~!! 先生、今度は作詞業まで始めたんですか!!??」
その回想は、担当編集の佐藤の驚きの声から始まった。
ライトノベル史上初となるであろう、3カ月連続刊行という無謀な広告戦略が終わっていも、その後のストリーを相談するために、佐藤にプロットの提出はしていた。そしてその何度目かの提出の際に、安本の策略に見事ハマり、新しい仕事をしなくてはいけなかったことをこぼしたのだ。
「はじめたくて始めたんじゃないですよ! ……契約がそうなってて、やらなくちゃいけなくなっただけで。どうせ今回だけですって」
「でも、あのフィクサーが何日も付きっ切りでやらせておいて、それで終わりなんてあるんですかね?」
主の頭の片隅にあった不安を、見事にいい当てた佐藤。
あの安本のアイドルである、かすみそう25。新人グループだとしても、それなりの売り上げは見込めるだろう。……例え、全くの素人が作詞を手掛けた楽曲がカップリングだとしても。
だが、売上自体は問題ではないのだ。
問題はその反響。
仮に良い反響があったとしたらと考えると、主の胃を締め付けるのだ。
「あ~! 思い違いだったとか、期待ほどではなかったとか、……言い出してくれないかなぁ」
「あれ? 先生。あのフィクサーが先生に期待してたって思ってるんですね。意外です」
主には、その佐藤の言葉が自分をイジッている言葉だと思い、紅くした顔を佐藤に向けて何か弁明しなくてはと焦ってしまう。
しかし、佐藤の顔はそんな自分を貶めようというような雰囲気は微塵もなく、ただ本当に感心したような表情を浮かべていただけだった。
「先生が、人の期待とか考えるような人種にまでなれたんですね。きっと安本案件は、先生の仕事にプラスになりますよ。これからも大事にしないと」
軽いディスりが混じっているが、佐藤が安本の仕事を肯定的に受けとるのは、これが初めてのことだ。しかも、継続するように言ったのもこれが初めて。
ただ、少しだけ難しい表情を浮かべる。
「あ、そうか。二つの番組でて、作家やって、作詞業か。……先生。個人事務所の設立を考えても良いのかも知れませんね」
作家の個人事務所は、さほど珍しい話ではない。
傘部ランカなどの漫画家では、大御所と呼ばれる部類になれば全然普通の考えである。
そして、ラノベ作家の個人事務所が過去に事例がまったく無いかと言えば否定される。
「先生の場合、税金対策よりもスケジュール管理が目的になるでしょうけど。マネージャーと、編集の感覚を持ってる最低二人もいれば……」
そんな構想を頭の上で考えていた佐藤の目線が主に戻る。
「そんなリスクなんてって思ってると、後で痛い目見るものですよ」
「なんで……人の頭の中読むんですか?」
佐藤は、むすっとした主を見て笑みを浮かべる。
「最近ね、分かるようになったんですよ。先生が何を考えてる時の表情なのかって。……たぶん、勘のいい娘と先生をよく見てる娘にはバレバレだと思いますよ?」
「あの娘たちのことなんて、一言も言ってないんですけど?」
「言ってましたよ。顔がね」
◇ ◇ ◇
「個人事務所か。……こういうギャラ交渉とかもできるのかな?」
不満の薄れてきた頭で、そんなことを考える。
確かにスケジュール管理を誰かにしてもらえるなら、それほど楽なことはない。
だが誰かを使うとか、潰れる可能性のある会社を作るなんて行為を自分がするというのが皆目見当もつかない主。
事実として、まだ主一人の能力で十分賄えるのに、他者を介在させるというのにも抵抗がある。
そして、まだ主の実績では吹けば飛んで消えてしまうような新人作家でしかないという意識が、佐藤の提案を受け入れられないのだ。
そこまで考えれば、薄れていた不満など不安には勝てず、上っていた血が下がりいつもの主の思考へと戻っていくのだ。
そして冷静になった主の思考に、外の音が帰ってくる。
それはテントの外から聞こえる。
「先生ー! スタッフさん怖がってるからいい加減出てきてください!」
「パパ~! 背中貸そうか?」
「こら! ちびっ子ども! 今日の先生はこっちチームのメンバーなんだから遠慮しなさいって!」
「ちがう、先生はみんなのもの。かなセンパイ大人げない」
ワイワイと賑やかな声が聞こえてくる。
彼女たちは先の不安よりも大切なものがある。
だから、こんな無茶に思える企画にでも全力で挑むのだろう。
「よし、じゃあ先の不安よりも目の前の困難をやっつけに行くか」
彼女たちと共に。




